日曜日の朝
次の日の日曜日、布団に潜っていると弟が「ドラえもんが始まるよ」と言って僕を揺すった。僕は飛び起きて時計を見る。九時二十五分。母親が「顔を洗いなさい」と言うけれど、僕は服を着替えると顔も洗わずにテレビの前に座る。なんとかオープニングに間に合った。
ドラえもんは、のび太の為に四次元ポケットに手を突っ込むと、何かしらのひみつ道具を取り出す。未来の秘密道具っていうのは、いつも夢のあるものばかり。でも、その秘密道具に頼ってばかりで、いつも成長のないのび太。それが面白いんだけど、僕は思う。のび太って奴はいつもドラえもんに助けてもらってばっかり。「きっと碌な大人に育たないぞ」とか偉そうに思ったりする。でも、映画では、そんなのび太がかなり格好良かったりする。昨年見たドラえもんの映画は最高だった。僕も、のび太のような冒険をしてみたい。タイムマシンで恐竜時代に行けるなんて、本当に羨ましい。もし、ドラえもんがいてくれたら、なんだって出来るじゃないか。僕だって、タケコプターで空を飛んでみたい。恐竜のピー助にだって、僕も会ってみたい。
ドラえもんが終わると、僕は子供部屋に戻り二階の窓から外を眺めることにした。貴子お姉さんが家から出てこないかなと期待しているのだ。貴子お姉さんに会いたいのなら、隣の家なので家のベルを押せばよいようなものだが、そんな勇気は僕にはない。お姉さんから、もっと色んな話を聞いてみたい。江戸川乱歩の小説がたくさんあったけれど、全部読んだんだろうか。他にも難しそうな本がいっぱいあった気がする。貴子お姉さんのことを考えると、僕の知らない何か違う世界を見せてくれそうな気がする。僕にとってのドラえもんって、もしかするとお姉さんなのかもしれないと、思ってみたり。
そんなことを考えていると僕の視界に自転車がやって来た。僕はそれを見て、驚いて少し隠れる。あの赤いサイクリング自転車だ。また、やって来た。自転車男は貴子お姉さんの家を通り過ぎると向こうの角で自転車を停めて振り返り様子を見ている。僕は、慌てて階段を下りた。靴を履いて玄関を出て、なるべく平静を装って自転車男がいた場所を見る。もうその男がいない。僕は自転車を引っ張り出すと慌てて男のいたところまで走っていく。表の通りに出ると、走っていく男の背中が見えた。
僕は心臓がドキドキしているのを感じた。興奮しすぎて口から何かが出てきそうだ。自転車男を尾行することに、何の迷いもない。あいつの居場所を突き止めてやろうと思った。僕が住む住宅地はそろばんのように家の路地が平行に並んでいる。自転車男はスピードを出すわけでもなく、住宅地を大きくぐるりと回ると、また、貴子お姉さんの家を確認しに行き、そして通り過ぎる。僕は家の影、電柱の影に隠れながら、男に見つからないように追いかける。ただ、尾行というのは思ったよりも難しいことを知った。見つかってはいけないので、男が角を曲がり切らないことには、僕は自転車を漕ぎだせないのだ。隠れてはダッシュ、確認をしてはダッシュを繰り返して、僕は男を見失わないように追いかける。
自転車男は住宅地の周回をやめると、近所にあるスーパーダイエーの方に向かって走り出した。その道はどぶ川沿いの見通しの良い道で隠れる場所が少ない上に、ダラダラと距離がある。僕は男に見つかるかもしれない危険を感じたが、姿を現して男を追いかける。男はスーパーダイエーに到着すると自転車を停めて店内に入っていこうとした。僕も近くに自転車を停めて男の様子を見る。男が店内に入り切ったことを確認してから、男の赤いサイクリング自転車に近づいて行く。名前でも確認出来たらと思ったのだ。
自転車には、名前と高槻南高校のステッカーが貼ってあったが、名前がかすれてしまってよく読めない。微かに治郎とだけ読めた。僕はそこまで確認すると、今度は店内にいる治郎という男を探しに行った。ダイエーの中は多くのお客さんでいっぱいだった。僕の前を買い物かごを持ったおばちゃん達が通り過ぎていく。僕は何処を探せばいいのか全く見当がつかなくて、キョロキョロとする。
ダイエーの入口前に設置された平台には、赤紫色の小さな実がいっぱい付いたブドウがたくさん積み上げられていた。デラウェアと書いてある。甘くて美味しいやつだ。僕は果物売り場を横目に見ながら、店内を走っていこうとするが、人が多すぎてなかなか前に進めない。大根や魚、お菓子や醤油が並べられている棚の間をキョロキョロと覗きながら、人の波を泳ぐようにして僕は走る。ぶつかりそうになったおばさんが、僕のことをキッと睨んできたが、僕はそれを無視して走っていく。
いない。
いない。
いない。
階段を登って二階の衣服売り場に行ってみる。洋服を着せられたマネキンが不審な僕を咎めるようにして見下ろしている。食料品売り場ほどの混雑はないが、自転車男は見当たらない。ぐるぐると走ってみた僕は、プレイランドの前に来た。ここはあまり入りたくない。怖いお兄さん達がいるからだ。中を覗くと、小さな木馬が音楽に合わせて円盤の上をクルクルと回っている。タイヤのない車がウィンウィンと車体を揺すっている。その奥に、大きなお兄ちゃん達が集まっている一角がある。僕は知っている。ギャラクシアンだ。スペースインベーダーより、ずっと面白いらしい。僕は隠れながら、その中に治郎がいないかを探してみる。見当たらない、どこにいるんだろう。絶対ここにいると思ったのに。キョロキョロとしていると、大きいお兄ちゃんのグループがギャラクシアンを遊び終えたのか立ち上がり、大きな声で笑い合いながらこっちに向かって歩き出してきた。僕はビックリして踵を返すと走り出した。これ以上ここにいてはいけない。僕は階段を駆け下りていく。探しようがないので、仕方なく、赤いサイクリング自転車のところで治郎を待ち伏せることにした。ところが、駐車したところまで戻ってみると、既に自転車はなくなっていた。僕は自分の失敗に気がついた。初めから自転車だけ見張っていたら良かったんだ。
とても残念だ。せっかくここまで追いかけてきたのに。だけど、僕には十分な達成感があった。尾行という初めての行為に、僕はとても興奮していた。まだ、心臓がドキドキしている。自転車男の名前が治郎だと分かったことと、高槻南高校に通っていることが分かった。これは大きな収穫だ。早速、貴子お姉さんに知らせないといけない。僕は自転車に乗ると、家に向って一目散に走った。
家に到着すると、僕は、どうやって次郎のことを知らせようか迷った。家の前でウロウロとしながら、意を決して西村と表札がある呼び鈴を押した。
「はーい」
中からおばさんの声が聞こえる。玄関のドアが開くと、意外なお客様におばさんは不思議そうな顔をする。
「あら、小林さんとこのヒロちゃん。どうしたの」
叔母さんに尋ねられてから。僕は何と返答していいのか困った。事件のことや治郎のことは言えない。
「えっと、怪人二十面相をもらったから、」
そこまで言うと、次の言葉が出てこない。もじもじとしていると、おばさんは僕の言葉だけで何か察してくれた。
「あー、貴子からもらったんだ。それで、お礼に来たの。偉いわね。あの子、推理小説ばっかり読んでいるのよ。でも、今は貴子はまだクラブから帰ってきていないの。もうすぐお昼だからそのうち帰ってくるわ」
そう言って、おばさんは家の玄関を閉めた。僕は、お姉さんに会えなかったことに少し落胆したけれど、気を取り直して家に帰る。家では母親から顔も洗わないでどこに行っていたのと責められた。昼ご飯は素麺だった。