キンケシ
小川のプレゼントの為に太田にお金を渡した次の日、普段と変わりなく僕は学校に登校して、本荘先生の授業を受けた。一時間目に算数、二時間目に国語、三時間目に社会、四時間目に体育の授業があった。最近は体育の授業でマット運動を行っている。教室で体操服に着替えるとクラスの皆は体育館に移動する。マット運動の為には、先ず体育館の用具室から白いマットを引っ張り出して準備をしないといけない。マットは結構重いので、四人がかりで持ち上げて、体育館の中央に運ぶ。六枚のマットを平行に並べたあと、僕たちは先生の指示に合わせて準備運動を行う。それぞれのマットの前に、一列に整列して並ぶと、マット運動が始まる。
「はい、次」
本荘先生が合図をすると、一人ずつ順番にマットの前に立って逆立ちをする。逆立ちをしたあと、前転で転がってマットの上で立ち上がる。立ち上がるときは、グリコのお菓子のように両手をYの字に伸ばしてポーズを決めなければいけない。整列したクラスの皆は、先生の合図があると、次々に同じマット運動を繰り返す。でも、僕は腕が骨折しているので、体育館の隅で三角座りをして見学をしている。マット運動は、どちらかというと得意な方だったので、ちょっと残念だ。
それでも、クラスの皆の練習風景を見ていると、これが結構面白い。太田は一連のマット運動は出来ている方なんだけれど、逆立ちから前転に移るときにドサッと崩れる感じでちょっと美しくない。対して小川は、太田に比べるとスムーズに動きが連動していて上手だ。伊藤は、逆立ちそのものが出来ていない。見ていると、怖がっているのが良く分かる。加藤裕子は、もともと運動神経が良いこともあるが、とっても綺麗に出来ている。たぶんクラスで一番上手だと思う。坂口直美は、ちょっとドン臭い。逆立ちから前転に移るときにバッタリと倒れてしまった。ちょっとあれは痛かったんじゃないのかなと心配になった。
マット運動の練習は、流れ作業のように練習が繰り返されるわけだけど、どうしても待ち時間が出来てしまう。待っている間がちょっと暇なので、落ち着きがない奴がちらほらといる。小川なんか、前の男子に膝カックンをしてふざけている。そんな、クラスの様子を見ていて高橋哲也の様子が少し気になった。マット運動の待ち時間になると、クラス委員長の二宮誠にヒソヒソと話しかけているのだ。すこし顔が険しくて、何度か太田の横顔を盗み見るような仕草を見せている。僕は高橋の素振りから、太田と高橋との、この間のトラブルが気になってしまう。このまま大きな問題に発展しなければいいのにと心配になった。
午前中の授業が終わって、給食を皆で食べた後は、昼休みが始まる。僕は、席を立ちあがると太田に会いに行くことにした。今日一日、何となく太田が僕に対して、余所余所しいのが気になっていたのだ。小川へのプレゼントの件も聞いておかなくてはいけないし。
「太田、ちょっといいかな」
僕は、太田に呼びかける。太田は、振り向く。
「なんや、部長」
「あのー、小川へのプレゼントの件が気になって、僕に出来ることがあればなと」
「ああ、その件な」
太田は、僕に顔を合わせることなく、何故か言い淀んでいる。僕は、さらに口を開く。
「少年探偵団シリーズで、分かることがあれば、説明するけど」
「買った」
太田は、僕が話している途中で呟いたので、僕はうまく聞き取れなかった。
「えっ、なんて」
「だから、買った」
太田は、少し声を荒げて再度言った。
「ああ、そうなんだ。それなら、良いんだけど。じゃ、小川に渡さないと」
「もう、渡した」
「あっ、そうなんや」
太田は、とても不機嫌で、ぶっきら棒で、僕はどのように接したらいいのかが分からない。ただ、今回の小川へのプレゼントは、今までとはかなり様子が違うことだけは強く感じた。どちらにせよ、皆から集めたお金だ。曖昧には出来ない。
「あの、何をプレゼントしたの?」
太田は、やっと振り向いて僕の顔を睨みつけた。
「キン消しや」
「えっ!」
僕は、「キンケシ」という言葉が何なのかが直ぐに理解が出来なかった。僕の知っている少年探偵団シリーズの中には、確か「キンケシ」という本は無かったはずだ。
「キンケシって、何?」
太田は、僕から視線を外すと、深いため息を吐く。
「キン消しも知らんのか。キン肉マン消しゴムのことや」
僕は、頭の中が一瞬白くなった。
「じゃ、プレゼントにキン消しを買ったの?」
「そうや、小川がキン消しが欲しいって言うから、買ったんや。大体、本を買うにも百円足らんかったやろ。じゃ、小川が好きなものを買ってやる方が、ええに決まってるやないか」
僕は、太田が語る理屈に、そんな風にも考えるんだと思いつつ、お金を出してくれたクラブの皆の顔を思い出す。
「でも、それは、本読みクラブの皆で出し合ったお金で買ったんやで。買うにしても、ひとこと相談をしてくれ・・・」
太田は、僕の話の途中で、声を荒らげて話し出す。
「もう、買ってしまったんや。文句あんのか」
太田は、握りこぶしを作って、僕を睨む。僕は、太田の怒気に、それ以上、言葉を発することが出来なくなった。暫く太田と睨み合っていると、僕たち二人の所に、クラス委員長の二宮がやって来た。
「なあ、太田」
「なんや」
太田は僕を睨むのをやめると、二宮に視線を向けた。
「高橋の所に、お金を取り立てに行ったんか?」
太田は、そっぽを向いて答える。
「行ったけど、お金は貰ってない」
「貰ってる貰ってないとちゃうんねん。高橋を脅したやろ」
「脅したって、ちょっと強く言っただけやないか」
二宮は、太田から視線を外すと、今度は僕を見た。
「太田もやけど、小林にも言いたいねん。お前ら本読みクラブで、何をしてるねん」
僕は、二宮の言葉に、何て言ったら良いのかが分からない。
「えっ、いや、本を読んで」
「それは、分かってる。そうじゃなくて、なんでお金の取り立てなんかが起きるんや」
僕は、二宮の言葉に、心の中が不安感でいっぱいになる。二宮は、今度は、教室を見回して遠巻きに僕たちを見ていた小川を見つける。
「小川」
小川は、二宮の言葉に体をビクつかせる。
「お前も来い」
小川は、仕方なく僕たちの所へやって来た。そんな小川に、二宮は口を開く。
「お前も一緒に高橋の所に行ったんやろ」
小川は、コクリと頷く。
「俺は、高橋から状況だけを聞かされただけやから、詳しくは分からん。ただ、このことは先生には報告するからな」
二宮は、そこまで喋ると、振り向きもせずに教室を出ていった。今から、本荘先生に会いに行くのだろう。僕は、フラフラと歩きながら自分の席に戻っていき、自分の席に座る。教室の天井を見つめた。頭の中は、グチャグチャで現在の状況が整理が出来ない。何を、どう考えれば良いのか、全く分からないのだ。ただ、不安感だけが僕の中で増大していて、壊れたレコードのように、頭の中で「キンケシ」という言葉だけが繰り返されていてた。




