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何をしたいの

 次の日の日曜日、僕は布団の中で丸まったまま、なかなか起きることが出来なかった。昨日は、一晩中、灰色の巨人を読んでいた。夜更かしをして、最後まで読んでしまった。どっぷりと浸かるという表現がピッタリなくらい僕は本の世界に入り込んでしまっていて、目が覚めた今も、僕の頭の中は、まだ物語の中にいるような感じがする。できれば、この夢見心地のまま、ずっと布団の中で微睡んでいたい。わずらわしい現実世界に戻りたくない。僕は、そんな風に思いながら、夢とも現実ともつかない狭間の中でウトウトとしていた。


「お兄ちゃん、ハットリくんが始まるよ」


 階下から、弟が僕を呼ぶ声がする。日曜日の九時半から放送されていたドラえもんに代わって、この秋から忍者ハットリくんが始まった。日曜日になると欠かさず観ていたけれど、今はどうも布団から出て行く気持ちになれない。とにかく眠い。寝かせて欲しい。僕は、階下の喧騒から耳を塞ぐようにして、更に布団に丸まった。普段ならアニメを観るために必ず起きてくるのに、僕が布団から出てこないので、母親が心配して二階に上がってきた。


「どうしたの、ヒロちゃん。骨折した腕が痛いの?」


 そう言って母親は、僕の布団の横に座る。僕が返事をしないので、布団の中に潜り込んでいる僕の額に、母親は自分の手のひらを当てた。毎日の家事のせいか少し荒れた母親の指が僕の額をザラザラと触る。


「熱はないようね。朝御飯の用意が出来ているから、起きてきなさい」


「ご飯は、なに?」


 ご飯のことはどうでもよかったけれど、僕はそんな風に聞いてみる。


「目玉焼きとみそ汁よ」


「えー。目玉焼きー」


 いつもと変わらない朝御飯。多分、美味しくもないのに「お漬物も食べなさい」って言うに決まっている。


「文句を言わないの。さっさと起きて」


 母親に無理やり布団を剥がされてしまい、更にはパジャマも脱がされた。母親にされるままになりながら、僕はギプスで巻かれた左腕を見る。僕の心もギプスで支えて欲しい。憂鬱な気持ちのまま、食卓に座りお箸を手にしたけれど、ご飯は半分も食べれなかった。僕は、箸を置く。


「どうしたの、ヒロちゃん。もう、終わり?」


 僕は、コクリと頷くと、階段を上って二階の子供部屋に戻っていった。母親が押し入れに仕舞ってしまった布団を再び引っ張り出すと、それに包まって、目を瞑る。とにかく眠い。


 昼過ぎ、布団に潜り込んでいた僕は目が覚めた。今朝の夢うつつと違ってはっきりと目が覚めた。耳を澄ますと、母親が台所で皿を洗っている音がする。弟と妹の遊んでいる声がする。テレビのコマーシャルの音がする。そうした音に交じって、表で自転車がブレーキをかける音が聞こえた。次に、自転車のスタンドを立てる金属音が、カシャンと響いた。僕は飛び起きて、表通りに面した窓に飛びつく。自宅に帰ってきた貴子お姉さんが、ジャージを着た姿で立っていた。窓から顔を出した僕に気が付いた貴子お姉さんは、僕に笑顔を見せる。


「こんにちは。いや、その様子だと、おはようかな」


 僕は、笑顔になる。譲治の一件くらいから、僕はずっとお姉さんに会っていなかった。二か月ぐらいのことだけど、もう一年以上も会っていなかったような気がする。


「おはよう」


 僕は、挨拶を返してみたけれど、ちょっと緊張した。


「結構、久しぶりになったね。いま、クラブから帰って来たところなの」


 クラブではいじめがあったりと大変だったけど、頑張っているんだと思った。僕は、何を話していいのか分からなかったけれど、場を繋ぐために口を開いた。


「今から、昼ご飯?」


「そうよ、クラブで頑張りすぎて、もう、お腹ペコペコ」


 お姉さんは、ジェスチャーを交えて、ひょうきんに言う。僕は、思い切って言った。


「後で、遊びに行っていい?」


 貴子お姉さんは、少し考える素振りを見せたけれど、僕に笑顔を見せてくれた。


「三時頃でいいかな。準備しておく」


 僕は、首を縦に振る。お姉さんは、笑いながら僕に手を振って家の中に入っていった。僕はお姉さんとのやり取りが終わると、急にお腹が空いていることに気が付いた。音を立てて階段を下りていくと、母親にご飯が欲しいとせがんだ。


 三時きっかりに、僕は西村家の呼び鈴を押した。家の中から、「はーい」というお姉さんの声が聞こえる。ガチャリと玄関を開けたお姉さんは笑顔で出てきてくれたけど、僕の左腕を見てお姉さんは眉間に皺をよせる。


「どうしたの、そのギブス」


「運動会で、骨折した」


「痛くないの?」


「大丈夫。ちょっと中が痒くなってきたけど」


 お姉さんは、また笑顔に戻る。


「まあいいわ、二階に上がって来て」


 僕は、玄関で靴を脱いで、挨拶をする


「お邪魔します」


 家の中から返事がない。


「いま、母親は出かけているの」


 そう言って、お姉さんは階段を上がって行く。僕もその後について行った。懐かしい匂いがする。前と変わらない。僕は、お姉さんの部屋に入る。


「どうぞ、適当に座って頂戴」


 お姉さんはそう言うと、部屋の真ん中に用意してあったバームクーヘンの傍に足を崩して座る。僕も、お菓子を挟んでお姉さんに向き合うような位置で正座をする。そんな僕を見て、お姉さんが笑う。


「いやーねー、かしこまって。反省している人みたいだから、足を崩してよ」


 僕の正座がよほど面白かったのか、お姉さんは僕を見ながらまだ笑っている。僕は、顔を赤くしながら、胡坐に座りなおした。


「懐かしいわね、夏休み以来よね。あの秘密基地には、まだ遊びに行っているの?」


「時々、行ってる。二学期に入ってから、本読みクラブを作ることになって、秘密基地に集まったりしている」


「へー、面白いわね。どんな本を読むの」


「お姉さんがくれた怪人二十面相のシリーズを、皆で読んでいるんだ」


「そうなんだ、太田君や小川君もいるんでしょ」


 僕は頷くけど、ちょっと顔を歪める。


「どうしたの、何かあったの?」


 僕の表情に疑問を感じたお姉さんの問いかけに、僕はクラブの設立、運動会での騎馬戦での出来事、誕生日プレゼントのトラブルなど、思いつくままにお姉さんに吐露した。貴子お姉さんは、僕の話を根気良く聞いてくれた。とても嬉しかった。僕の中で、もう収取が付かなくなっていて、グチャグチャになっていたものを手繰り寄せるようにして、引き出してくれた。


「そう、ヒロ君も大変だったんだね」


 僕が一通り話し終えると、貴子お姉さんは自分の部屋の天井を見てそう呟いた。


「お姉さんも大変だったの」


 お姉さんは、僕を見てニコリと笑う。


「ヒロ君たちが、私のテニス大会に来てもらった時、岩城薫の暴力事件があったでしょう」


 僕は、当時の情景をまざまざと思い出す。岩城薫が、真由美お姉さんと陽子お姉さんを殴った事件だ。あの二人のお姉さんが貴子お姉さんをイジメていたはず。


「あの時殴られた加藤真由美は、次のテニス部の部長になるはずだったんだけど、あれ以来テニス部を辞めてしまったの。中学はね、一学期が終わると先輩の三年生が受験の為に引退するの。だから、次の新しい部長を立てる必要があるんだけれど、その部長に、私がなることになったの」


「えっ!」


「そう、びっくりでしょう。良くも悪くも真由美の影響力で二年生はまとまっていたんだけれど、真由美がいなくなると、みんな大人しくなってしまって」


 僕は、お姉さんの話に聞き入る。


「それでね、私を部長に押したのが田中陽子なの」


 僕は、陽子お姉さんを思い出す。たしか、真由美お姉さんとコンビを組んでいたようなお姉さんだ。テニス大会も、そこそこ勝ち進んでいたはずだ。


「初めは、どうしようか迷っていたんだけれど、テニスは辞めたくなかったし、どうせやり直すんなら、その部長を引き受けても良いって思ったの。副部長には、私を押した陽子がなったの」


 僕は、お姉さんの大きな変化に目を開いて感心する。何だか良く分からないけれど深く頷いた。


「やってみて思ったんだけど、部長っていっても、クラブを自由に動かせるなんて思ったら大間違いね。クラブの皆の多くは責任感がないし、言われなきゃ動かないし、自分勝手だし。私、毎日のように怒鳴っているのよ」


 僕は、貴子お姉さんの怒鳴っている姿を思い浮かべようとしてみる。何となく、譲治が連れ去られた時の、怒っていたお姉さんを思い出した。


「部長になってまだ二か月くらいだけど、分かったことが一つあるわ」


「なに、それ?」


 お姉さんは、前のめりになり僕の顔を覗き込むと、悪戯っぽく笑う。そして、体を起こすと右手を上げて、人差し指を立てた。


「方向を示す事よ」


「方向を」


「そう、クラブという一つの組織が進むべき目標を決めることが、部長の仕事だと感じたわ。それでなくても、みんなの気持ちがバラバラなのに、目標がないんじゃ進みようがないじゃない」


 そう言って、貴子お姉さんは笑った。


「じゃ、お姉さんのテニスクラブの目標は何なの?」


「クラブ全体としては、大会での優勝を目指すんだけれど、私は、クラブの一人一人と話をして、それぞれの目標を明確にするところから始めたの。試合で一度も勝ったことが無い子は、まずは一勝をあげることを目標にしましょうねって」


 僕は、「うーん」と唸ってしまった。僕とは全然違う貴子お姉さんの活躍に、僕は尊敬の目を向けた。


「ヒロ君に聞くね」


「えっ、なに?」


「ヒロ君は、本読みクラブで、何をしたいの?」


 僕は、お姉さんに問われて、何も答えることが出来なかった。怪人二十面相が面白くて、それがきっかけで仲間が出来て、それ以上に、僕は何も考えてはいなかった。楽しいだけではいけないんだ。でも、良く分からない。その後、お姉さんと色々な話をしたけれど、心の中では、ずっとお姉さんの質問がこだましていた。

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