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本読みクラブ  ー怪人二十面相が好きだった僕らの時代ー  作者: だるっぱ
ファイル3ー本荘先生
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喧嘩

 運動会から一夜が明けて、僕は自分の部屋で目を覚ました。今日は運動会の振り替えで、学校は休みだ。僕は右手で、重くなった左手をさする。僕の左前腕には石膏で出来たギプスが巻かれているのだ。ギプスの中でジンジンと痛みは感じるが、我慢できないほど痛くはない。僕は天井を見て、「フー」と一息つく。布団の中で、昨日のことを思い出す。


 救急車で病院に入ると、僕は台車に乗せられたまま、処置室に移動させられた。簡単な問診を受けた後、レントゲンを撮られ骨折が確認された。僕はギプスを巻かれることになったのだが、レントゲンも含めて、長い時間を病院で待たされることになった。この時間が非常に退屈だった。母親は、事故の直前はヒステリックに学校の先生に当たったりしていたけれど、僕に付き添いながら、僕が案外普通にしているので、少しは安心してくれたようだ。それよりも、僕は痛くて泣いていると誤解されていることに我慢がならなかった。泣いていたのは、目に砂が入ったためだと、必死に母親に説明した。何度も言う。僕は、痛くて泣いていたんじゃない。すべての処置が終わり、会計の為に待合室で待っていると、運動会を終えた本荘先生が病院にやって来た。僕と母親を見つけると、申し訳なさそうな顔をして、近づいてきた。


「この度は、お子様に怪我をさせてしまい、まことに申し訳ありませんでした」


 本荘先生は、母親の前で深々と頭を下げる。母親は、先ほどのヒステリックだった態度とはうって変わって、本荘先生を気遣うようにして接していた。母親と一通りの話を終えると、椅子に座っている僕の前で膝を折ってしゃがみ、本荘先生は僕の顔を見る。


「小林君、ごめんなさいね。痛い思いをさせてしまって」


 先生は、本当に申し訳なさそうにして僕を見つめる。


「痛いかな」


「ううん、大丈夫。それよりも、騎馬戦はどうだった」


 僕は自分の怪我のことよりも、騎馬戦がどうなったのかが知りたくて仕方がない。本荘先生は疲れたような微笑みを見せる。


「君たちのお陰で、勝てたよ。三組は、優勝することが出来たよ」


「やったー」


 僕は、心から喜んだ。ただ、この喜びをクラスの皆と共有できなかったことが寂しかった。僕は、さらに気になり先生に質問をする。


「太田は、どうなった」


 先生は、少し難しい顔をする。


「優勝の一番の功労者なんだけど、凄く落ち込んでいる。喧嘩はいけない事なんだけれど、太田君の一生懸命な気持ちも分かるから、先生も、何て言ったらいいのか難しくて」


 そこまで言って、本荘先生は僕にお願いをする。


「起きてしまったことは、もうどうにもならないんだけれど、小林君には、太田君の気持ちを聞いてあげて欲しいの。彼も同じように傷ついているわ」


 先生の話に、僕はコクリと頷く。本荘先生はそんな僕を見て、ゆっくりと笑みを浮かべる。


「ありがとう。今日はお疲れ様。怪我はしてしまったけれど、騎馬戦の小林君、格好良かったわよ」


 僕は、先生の言葉に顔を赤くしてしまう。照れ隠しから、本荘先生から目を逸らすと、それが合図のようにして先生は立ち上がる。本荘先生は、僕と母親に、再度、深々と頭を下げると、踵を返して帰っていった。


 僕は布団の中で、太田のことを思い出す。太田は、木村が僕を踏んずけたことに怒りを爆発させてしまった。ある意味、僕のための暴力だったんだ。この騎馬戦への取り組みについてもそうだ。あれほどの執着を見せたのは、本荘先生を矢沢から守る。そんな気持ちが、太田を強く駆り立てた。そう考えれば、貴子お姉さんの時だって、そうだ。太田っていう男は、そういう気性の男なんだと理解した途端、僕はなんだか胸が苦しくなった。太田は、いま、どんな気持ちで朝を迎えているんだろうか。僕は、布団の中でもぞもぞとしながら、太田のことを考え続けると、目から涙が零れた。



 一日ゆっくりと家で休んだ僕は、次の日は三角巾で左腕をブラら下げて学校に行くことになった。不自由ではあるけれど、一日も経てば、これが普通だったかのように馴染んでしまう。ただ、この姿で友達に会うことが、ちょっと恥ずかしい。僕は、学校に向かって歩きながら、隠すことは出来ないのに、なるべくギプスを見られないように歩くには、どうしたらよいのか。その角度やポーズを気にしながら歩いた。そんな僕の肩を後ろから走ってきた小川がポンと叩く。


「よっ、おはよう」


「おはよう」


「痛いか?」


 小川は、僕のギプスを見て尋ねる。


「ううん、もう痛くない。手が動かないだけ」


 小川は珍しそうに僕のギプスを見つめる。


「触ってもいい?」


「いいよ」


 小川は、僕の左腕に巻かれているギプスを触る。


「石みたいやな。固い」


 僕のギプスに触りながら、また口を開く。


「運動会の結果、知ってるか?」


「うん、本荘先生が見舞いに来てくれて教えてくれた。三組、優勝したんやんな」


「そうや、騎馬戦も勝てたんやで」


 僕は、興味津々な顔で小川を見る。


「騎馬戦は、どんな感じやったん」


「三組で、騎馬が崩れたんは俺たちだけや。残りの騎馬は全部生き残った」


「凄いやん」


 僕は、目を開いて喜ぶ。


「まー、俺の作戦勝ちっていうことやな」


 小川がそう言って、自信満々な素振りを見せるから、僕は大笑いした。小川も釣られて一緒に笑う。昨日から、僕の中に鬱積していたモヤモヤが、この笑いで全て霧散していくようで気持ちが良い。僕は、太田のことも気になったので、小川に問いかける。


「ところで、あの後、太田はどうやった?」


 小川は、少し考えるようなしぐさをして、視線を宙に向ける。


「うーん、運動会が終わった後、太田と、木村と、俺たちも集められて、喧嘩の状況について、矢沢に質問された。まー、あの時は、お互い熱くなっていたしな。反省するようにって言われた」


 僕は、小川の話を注意深く聞く。


「俺は、何ともないけど、太田は、ちょっと納得できていない感じだったかな。運動会から一緒に帰るときも、矢沢先生と木村に対する、文句ばっかり口にしていたからな」


「そうかー、太田は落ち込んでいるかな」


「んー、落ち込んでいるというよりも、怒ってる、に近いかな。部長が骨折させられたことで、木村に対する憎しみが倍増ってな感じ」


 小川の話を聞いて、何だか申し訳ない気持ちになってきた。太田の怒りの根っ子に僕の骨折が関わっているなんて。小川とそんな話をしていると、噂をすれば何とやらで、太田がやって来た。


「よう、部長。腕はどうや」


 太田は近寄ってくるなり、僕のギプスを持ち上げた。


「痛くないんか」


「小川にも聞かれたけど、大丈夫。痛くない」


「左で良かったな。鉛筆が持てるし」


「そうやねん。不自由に見えるけれど、ちょっと便利なところもあるねんで」


 太田は、僕を見て不思議そうな顔をする。


「ほら、三角巾で釣ってるから、ここに空間が出来るねん。ここに、怪人二十面相の本を仕舞うことができる」


 そこまで言うと、太田が大きな声で、笑い出した。周りが不思議がるほどに大笑いして、僕の肩に抱きかかる。


「良かった。元気そうで、良かった」


 太田の目じりには、薄っすらと涙が滲んでいるようだった。そんな笑い過ぎの太田と小川と一緒に小学校の正門を潜り、五年三組の教室に向かった。階段を使い四階まで登り、五年生の教室が並ぶ廊下に出る。長い廊下をテクテクと歩き三組の教室に到着した時、ちょうど隣りの四組の教室から、木村忠道が友達を連れ立って出てくるところだった。木村は廊下に出て登校してきた太田を見つけると、足を止めて太田を見た。先程までニコニコとしていた太田も、廊下で仁王立ちになり睨んでくる木村の視線に気が付くと、同じように足を止めて睨み返した。二人は、時間が停まったように、お互いに相手の瞳を凝視する。僕は、そんな二人を見て、どうすればいいのか分からない。口を開いたのは、木村だった。


「お前に、殴られたん、忘れてないからな」


 太田は、その言葉に、眉間に更にしわを寄せて、見下ろすようにして口を開く。


「それ、もう一回、殴ってくださいってことか」


 木村が、その言葉に反応して足を一歩踏み出す。しかし、隣りにいた友達がそんな木村の体を押さえて、「やめとけ」と囁く。


「えーのー、友達に守られて、木村ちゃんは」


 太田は、挑発の言葉を止めない。馬鹿にしたように更に木村を見下ろす。木村は友達の制止を振り切って歩き出し、太田の前に立ちはだかる。二人は、睨み合ったまま。太田が口を開く。


「やるんか、コラ!」


 太田のその一言が終わる前に、木村は右足を上げると、膝で太田の急所を蹴り上げた。


「ウッ!」


 太田は、予想しない不意打ちに両手で股間を押さえて、後ずさる。顔を歪めて、木村を睨みつける。


「やったな」


 怒りに沸騰した太田が、木村に掴みかかろうとしたとき、僕はそんな太田を右手で押さえて、両者の間に入った。そして、木村に背を向けて太田の顔を見た。太田は、僕が取った行動が理解できず、怒りの形相をそのまま僕に向ける。


「何してるねん、部長」


「もう、やめよう」


「俺は、部長の敵討ちをしてるんやで」


「でも、」


「どっちの味方やねん」


 太田は、怒りの形相から信じられないという顔をして、僕を見下ろす。その時、二人の喧嘩を見ていた生徒に呼び出されたのか、本荘先生と矢沢先生が廊下を走ってやってきた。


「コラ、また喧嘩か」


 矢沢先生が、先に駆けつけて、太田と木村を見る。


「暴力は、アカンやろ」


 矢沢先生が、そう叫ぶと、太田が矢沢先生を見て叫んだ。


「どっちが暴力やねん。先生も暴力やないか」


 矢沢先生は、太田の言葉に次の言葉が出ない。一緒にやって来た本荘先生が太田に、諭す。


「太田君、それは言い過ぎよ。矢沢先生もあなたのことを思って」


「本荘先生は、黙っといて。俺は知ってるんやで」


 そう言って、太田は矢沢先生を睨む。


「キャンプファイヤーがあった夜、矢沢先生は本荘先生に怪我をさせたやろ」


 矢沢先生は、いきなりの太田の問いかけに、呆気に取られて太田を見る。


「太田、何を言っているんや。何の話や」


 今度は、太田は本荘先生を見る。


「本荘先生、夜中に誰かと会っていて、怪我をしたやろ。それって、矢沢先生やんな」


 本荘先生は、顔を青くして、しどろもどろになる。


「太田君、何を言っているの。矢沢先生は無関係よ」


「じゃ、誰なん」


 そこまで言って、太田は自分の推理が外れていることを理解した。理解しただけでなく、それまで怒りの矛先であった矢沢先生が、本荘先生を襲った事実がないことで、その怒りを向ける対象を見失った。そんな太田の様子を理解した僕は、口を開く。


「太田、もう終わろう」


 そう言って、僕は右手で呆然としている太田の肩を抱こうとした。太田は僕のその手を、左手で弾いた。


「触るな、部長」


 僕は、太田の態度にびっくりする。太田は、顔を歪ませて、口を開く。


「そうか、そうか、全部、俺が悪いんやな。俺一人が、悪いんやな」


 本荘先生は、そんな太田を見て驚いたような顔をする。


「先生は、太田君の優しい気持ちは、良く分かっているのよ」


 太田は、本荘先生に目を合わせない。


♪キーンコーンカーンコーン


「授業が始まる。みんな、教室に入れ」


 矢沢先生は、遠巻きに見ている生徒たちに声を掛けると、太田と木村を見て口を開く。


「太田と木村は、放課後に職員室に来るように。分かったか。本荘先生、宜しくお願いします」


 そう言うと、木村の背中に手を添えて、四組の教室に入っていった。本荘先生も、口を開く。


「じゃ、皆さん、教室に入りましょう」


 しかし、太田は立ち尽くして、教室に入ろうとしない。そんな太田に小川が近づき、背中を押すと、やっと太田は教室に入っていった。教室の中の自分の席に座ると、机を抱きかかえるようにして顔を伏せて、そのまま動かなくなった。授業が始まっても、ずっと、そのまま、動こうとしなかった。

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