買い物
「坂口さん、ありがとう。怪奇四十面相、凄く、凄く、面白かった」
授業の合間の休憩時間に僕は坂口直美の所に行くと、そう言って、借りていた本を坂口に差し出す。
「そうでしょう。暗号や探検、ドクロまで出てきて、面白かったよね」
隣にいたいた、加藤裕子が口を出す。
「そんなに、面白いのそれ」
加藤裕子が坂口に手渡した怪奇四十面相の本の表紙を見て、少し顔を歪める。
「直美へのプレゼントだから買ったけど、このドクロの表紙、何とかならないの」
この本に対する、加藤の印象はあまりよくない。ポプラ社から出版されている怪奇四十面相の表紙には、懐中電灯を持つ小林少年の後ろに大きなドクロが描かれていた。見るからに、物語の不気味さを醸し出している。分からなくもない。でも、それが良いんだけどなと、僕は思う。
「これ、読んでみる。裕子もクラブの一員よ」
坂口が、その本を加藤に差し出す。
「いいよ、私。全然、本を読まないから。それに、それ怖そうだし」
坂口は、怖がる加藤に微笑む。
「読みたくなったら、また言ってね」
坂口は、加藤から視線を外すと、教室の中をキョロキョロと見回した。
「高橋君、いないね。部長、この本、今度は高橋君に渡しておいてよ」
坂口は、返した怪奇四十面相を、また僕に差し出す。
「ああ、いいよ」
僕は、その本を受け取り小脇に抱えると、二人に提案を持ちかける。
「ところで、十月一日が伊藤の誕生日なんだ。また、本をプレゼントしたいんだけど、どうかな」
坂口は、僕に微笑む。
「いいよ、プレゼントを貰って嬉しかったし」
加藤もその提案に興味を示す。
「伊藤のカメラ屋には、私たちの絵を飾ってもらっているしね。部長、今度、その本を一緒に買いに行こうよ」
僕にそう言うと、加藤は坂口に振り向く。
「ねぇ、直美。いいよね」
坂口も頷く。そして、僕に質問をした。
「部長、今度の少年探偵団シリーズは何を買うの」
「灰色の巨人にしようかと考えている」
「灰色の巨人ね、分かった」
僕は、本読みクラブの部長として、役目が果たせている感じがして、上機嫌になる。
「ありがとう。とても助かる。何かね、皆が喜んでくれると、凄く嬉しい」
僕はそう言って、二人に頭を下げた。
♪キーンコーンカーンコーン
休憩時間が終わったので、僕は本を携えたまま、自分の席に戻る。教室の入り口を見ると、高橋があわてて入ってくる姿が見えた。次の休憩時間にでも、この本を渡したらいいなと思った。本荘先生が教室に入ってきて、授業が始まった。最近、算数の授業が少し難しくなってきた。最大公約数と最小公倍数を求める方法について、先生がチョークで黒板に書きながら説明している。最大って書いてあるのに、最大公約数よりも最小公倍数の方が大きかったりして、なんだか、大きいのか小さいのか頭の中がこんがらがってくる。集中力が切れて、教科書に落書きをしていたら、調子に乗って教科書の端っこで、ペラペラ漫画を描き始めてしまった。
♪キーンコーンカーンコーン
授業が終わっても描き終えていなかったので、休み時間になっても算数の教科書にペラペラ漫画を描き続けていたら、僕の横に高橋がやって来た。
「部長、なに遊んでんの」
高橋がニヤニヤとしながら、僕を見下ろしている。
「えっ、ペラペラ漫画」
「まぁ、見れば分かるけど」
高橋は、少し小馬鹿にして笑う。僕は、恥ずかしくなり教科書を閉じる。高橋が口を開く。
「坂口から、聞いたよ。怪奇四十面相」
「ああ、」
僕は、坂口からお願いされていたことを思い出す。慌てて机の中から本を取り出して、高橋に差し出す。
「これか、なかなか禍々しい表紙だね」
高橋は、怪奇四十面相を受け取ると、表紙をじっと眺める。
「面白いよ」
「そうみたいだね」
高橋は、坂口からも感想を聞いていたのか、そう答えた。僕は、高橋へ伝えなければならない事を思い出し、口を開く。
「ところで、高橋。僕の方からも、話があるんだけれど」
「なあに」
「今度、十一月一日は、伊藤の誕生日なんだ。だから、また、プレゼントをしたいなって思って」
「ああ、そのこと」
高橋は、少し顔が曇る。
「前は、坂口へのプレゼントだったから協力したけど」
この時、僕は、同じ本読みクラブでも温度差があることを感じた。よく考えてみれば、それが普通だろう。部長と言われて、坂口が喜んでくれるだろうと思いつき、皆に提案し、そして喜んでくれた。同じ方程式が、いつでも通用すると、僕は安易に考えていた。でも、それは違うことを、高橋の言葉で気づかされた。僕が、次の言葉を言い出せずにいると、先に高橋が口を開いた。
「まあ、百円でええんやろ、明日、持ってくるわ」
「あ、ありがとう。伊藤のやつ、きっと喜ぶと思う」
僕が、やっとその言葉を絞り出すと、高橋は、「分かった」という意味で、僕に手を振る。そして、坂口の怪奇四十面相を持って、自分の席に帰っていった。その日一日は、高橋とのやり取りが心に引っ掛かり、忘れることが出来なかった。家に帰ってからも、モヤモヤとした気持ちを抱えながら過ごすことになった。
運動会を来週末に控えた二十五日の金曜日は、生憎の雨だった。加藤と坂口と、伊藤へのプレゼントの本を一緒に買いに行くと約束をしていたのだ。待ち合わせは、四時半にダイエーの入り口に集合することにしている。家に帰るとランドセルを投げ出して、少し早いけど、僕は傘をさして家を出ることにした。僕は手を差し出して雨の様子を確認する。シトシトと振る雨が、僕の手を濡らす。やわらかい雨だった。歩き出すと、半ズボンに長靴を履いた僕の膝小僧を、その雨がしっとりと濡らす。傘をクルクルと回して、飛んでいく水滴を見つめた。僕を中心にして、水滴が放射状に飛び出していく。僕は想像する。この水滴は、どこまでもどこまでも飛んでいくんじゃないだろうか。ひょっとすると、いま、ここから、僕を中心にして世界が回り始めたんじゃないのだろうか。傘を回すスピードに拍車がかかる。クルクルと回し続けていると、向こうから人が近づいてきたので、僕は慌てて傘を回すのを止めた。待ち合わせのダイエーに到着すると、案の定、まだ二人とも来ていない。天から落ちてくる雨粒を眺めていたら、最初に来たのは坂口直美だった。
「お待たせ」
傘をさしてやってきた坂口は、青いストライプが軽くあしらわれた白いワンピースに着替えていた。普段は加藤裕子が目立つので、地味に見られがちだが、落ち着いた雰囲気は菫のように可愛いと思う。対する、加藤は、タンポポといったところかなと考えてみたりする。坂口が横に立つと、僕は急に緊張してきた。林間学校では、マイムマイムのフォークダンスで自然と坂口の手を握ることが出来たのに、今は、傍にいるだけでドキドキしてきた。
「部長、ありがとうね」
「なにが」
「本のプレゼントって、部長のアイデアだったんでしょ」
「まあ、そうだけど」
「あんなに、嬉しかったの、初めて」
「そう言ってくれると、とても助かる」
高橋の一件以来、皆でプレゼントをする行為について、少なからず不安を感じていたので、坂口の言葉は、僕の心をとても軽くしてくれた。とても嬉しい。自然と笑顔になってしまう。その時、僕は、背中をドンと小突かれた。
「駄目よ、部長。直美に色目を使っちゃ」
振り向くと、唇を尖らした加藤裕子が意地悪っぽく、僕を睨んでいた。
「いや、そんなことないよ」
僕は、しどろもどろに返事をしてしまう。加藤はいつも強気だ。そんな加藤に、何故か頭が上がらないが、でも悪い気もしない。
「いくわよ」
加藤裕子はそう言うと、商店街の本屋に向かって、坂口直美と連れ立って歩き出す。僕は、その後ろを付いて行く。なんだか、部長って祭り上げられたけれど、部長らしくない自分に、笑いたい気分になる。本屋に到着すると入り口にある傘立てに傘を収めて、僕たちは店内に入った。新刊や雑誌の棚が店の入り口にある。新刊のコーナーには、おすすめの理由が書かれた手書きのポップが飾られている。隣には文庫本や漫画本が収められた棚が続いていて、その奥に児童書のコーナーがあった。近づいていくと、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズが並べられているのを見つけた。
「えっ、このシリーズ、何巻あるの」
坂口直美が驚きの声をあげる。
「何巻だろう、四十巻くらいはあるのかな」
僕は適当に答える。
「知らなかった。こんなにあるんだ」
坂口は並べられているシリーズを、一つ一つ目で追いかける。そんな僕たちを見て加藤裕子が口を開く。
「まさか、これ全部、買い続けるつもり」
「いや、特に、考えてはいないけど」
「まあ、いいわ。目的の本はどれよ」
加藤はせっかちに、僕に指示する。僕は手を伸ばして灰色の巨人を、棚から取りだす。
「この本、灰色の巨人」
「わかったわ」
僕からその本を取り上げると、加藤はレジに向かって歩き出す。店員に差し出すと、プレゼント用に包装をして欲しいと頼んでいた。会計を済ませると僕たちは本屋を後にする。
「この本は、私が預かっておく。部長は、秘密基地で誕生日会をする段取りを考えて、そのことを皆に伝えておいて、じゃあ」
加藤はそう言って、坂口と一緒に帰っていった。僕は、二人を見送りながら、加藤の手際の良さに感心した。その後、伊藤の誕生日会は楽しく開催することが出来た。悩んだりもしたけれど、一つの役目を終えることが出来て、僕は、ほっとした。
さて、いよいよ、運動会だ。




