あんな奴
「ジョージ、もう、帰ってこないんかなー」
太田が、読み終えたジャンプを僕に差し出して、そう言った。僕は、そのジャンプを受け取ると寝転んでいた体を起こして、バスの椅子に座りなおす。
「うーん、難しいんとちゃうかな」
僕がそう言うと、小川が両手を後頭部に当てて、バスの天井を見上げる。
「ジョージが、ひと肌脱ごかって言うて予告状を書いたときは、これから何が始まるんやろうって、ワクワクしたけどな」
小川が懐かしそうに、ジョージとの思い出話をする。
「それを言うんやったら、祭りの時のジョージの方がもっとワクワクしたで。皆に囲まれて、人気者で、こんな奴がおるんやって、興奮したもんな」
太田も感慨深そうに、祭りの様子を振り返る。
僕は、この秘密基地でジョージが貴子お姉さんを描いていた様子が忘れられない。
笑っているお姉さん
泣いているお姉さん
睨んでいるお姉さん
怯えているお姉さん
色々なお姉さんが描かれたクロッキー帳と、もう完成することのないお姉さんの肖像画が描かれたキャンバスは、秘密基地のバスに保管されている。僕は、バスの椅子の上に立てかけられたキャンバスを見た。青々とした桜の木の下で、麦わら帽子を手に持ったお姉さんが椅子に座っている。太陽の光が、お姉さんが着ている白いワンピースを、より一層白く輝かせていている。お姉さんはこちらを向いていている。でも、そのキャンバスの中のお姉さんには、表情がない。未完のその絵の中の貴子お姉さんは、心が描かれないまま、太陽の光の下で時間が止まったままになっている。もう、描かれることはないのだろう。
伊達明美がジョージを連れて行ったあと、貴子お姉さんは、桜の木の下まで歩いていくと、椅子に座った。僕は、そんなお姉さんの後ろを付いていった。お姉さんは、椅子に座って裏庭の様子をぐるりと見回して、ため息をつく。
「何しに来たんだろうね、私たち」
僕は、どのように答えたらいいのか分からないので、思ったこと口にする。
「ジョージは、どうなるのかな」
お姉さんは、僕を見ずに呟く。
「決まっているでしょ。相手はヤクザよ。ただでは済まないわね」
「僕たちに、何かできるかな」
貴子お姉さんは驚いたように僕を見る。
「ジョージの問題よ。私たちが気にすることじゃないわ。それよりも、私は怒っているの」
貴子お姉さんは、今度はキャンバスの方を睨みつけた。
「振り回すだけ、振り回して」
僕は、そんなお姉さんを見る。
「あんな奴」
暫くお姉さんは動こうとしなかった。僕も中庭を見回した。夏の暑さは相変わらずで、風も吹いてくれない。それでも、桜の木の下にいると、何だか涼しいような気がする。僕は、その時、貴子お姉さんと二人っきりなことに気が付いた。お姉さんを横目に見ながら、このままずっと一緒に居れたら良いなっと思った。
「帰ろうか、ヒロ君」
そう言って、お姉さんは僕を現実に引き戻した。僕はお姉さんを見る。
「このキャンバスはどうするの」
「いらない。っていうか、もう見たくもない」
そう言って立ち上がると、スタスタと歩き出した。僕は、キャンバスのことが気になりながらも、歩いていく貴子お姉さんを追いかけていった。




