後の祭り
「ヒロ君、伊藤君からお電話よ」
昼過ぎに、伊藤から僕に電話があった。今日は貴子お姉さんの肖像画の最後の日だ。こんな時に何だろう。
「小林、お願いがあるんだけど。ジョージに会えるかな」
「ああ、会えるよ。どうしたの」
「いま店に、この間、話をした、キレイなお姉さんが来ているんだ。どうしても、ジョージに会いたいって、お願いされて」
キレイなお姉さん。もしかすると、ジョージが話をしていたモデルのお姉さんのことかもしれない。
「これから、ジョージに会いに行くんだ。ついでに、そっちに寄っていく、それでいいか」
伊藤は、「両親の喧嘩のタネを引き受けてくれて、とっても助かる」と喜んでいた。僕は電話を切ると、出発には少し早いけれど、お姉さんを迎えに行くことにした。隣の西村家の玄関の呼び鈴を押して、お姉さんを呼び出すと、伊藤からの事情を説明した。
「そう、そのお姉さんはジョージを探しているのね」
お姉さんは、少し考える仕草をする。
「本当は嫌なんだけれど、その人がジョージにどうしても会いたいって言うのなら、力になってあげようか」
歩く道すがら、貴子お姉さんと、迎えに行くそのお姉さんが、どんな人なのか、あれこれ想像を巡らせて話をした。カメラ屋に到着すると、そのお姉さんらしき人は、表で貴子お姉さんのデッサンの似顔絵を眺めていた。
「あのー」
僕は、気後れしながらもその人に声を掛けた。
「あら、小林君だったかしら、それから、」
その奇麗なお姉さんは、思っていたよりもずっと大人の人で、サングラスをかけていた。僕に向けていた視線を、貴子お姉さんに向けると、そのサングラスを外して、お姉さんをじっと見つめた。
「この似顔絵のお嬢さんね、初めまして、伊達明美と申します」
そう言って、ニッコリとほほ笑み、深々とお辞儀をした。僕とお姉さんは、その伊達お姉さんのその丁寧な挨拶に、慌てて腰を折ってお辞儀を返した。伊達のお姉さんは、改めて、貴子お姉さんをじっくりと見て、自分の顎に手をやった。
「奇麗なお嬢さんね。ジョージが描きたくなるのも分かるわ」
伊達お姉さんにそう言われると、貴子お姉さんは顔を赤くしてはにかんだ。
「お願いがあるのだけれど、ジョージは多分、隠れているんでしょう。そこに、私を連れて行って欲しいの。ジョージも、きっと私に会いたいはずよ。お願い」
そう言うと、伊達お姉さんは、また、深々とお辞儀をした。丁寧な物腰の伊達お姉さんの対応に、僕は慌てた。
「僕たち、今から、ジョージのところに行くんです。良かったら、一緒に、」
僕は、伊達お姉さんとジョージとを引き合わせたくなって、そう言った。貴子お姉さんの方を見ると、少し複雑な顔をしていたけれど、伊達お姉さんを伴って、僕たちは秘密基地に向かって歩き出すだすことにした。伊達のお姉さんは、初めはサングラスを掛けていたので怖い印象が強かったけれど、とても話しやすい人だった。
「でね、そのお祭りで、ジョージは、自分のことを怪人二十面相って言うんだよ」
僕は、祭りでの顛末を伊達お姉さんに話してあげる。伊達お姉さんは、僕の話を聞いて、コロコロと笑ってくれる。
「ジョージらしいわね。舞台でも、いつも、観客を笑わせるのに必死だったんだから」
伊達お姉さんは、やっぱりジョージのモデルになった人のようだ。ジョージのことを、本当によく知っている。僕との話がひと段落すると、伊達お姉さんは、ずっと黙っている貴子お姉さんの方に振り向いた。
「貴子さん、だったかしら」
貴子お姉さんは、ビックリしたように伊達お姉さんを見る。
「もしかして、ジョージのこと、少し気になっているんじゃない」
貴子お姉さんは、伊達お姉さんの言葉に、ハッとした顔を見せた後、俯いてしまう。
「可愛いわね。私も、そんな頃があったわ」
伊達お姉さんは、優しい目をして貴子お姉さんを見つめる。
「でも、気をつけなさい。ジョージは、ただの女ったらしよ」
そう言って、伊達お姉さんは含みのある笑いを、僕たちに見せた。秘密基地の入り口の有刺鉄線の破れ目に到着した。
「こんなところに、ジョージはいるの」
伊達お姉さんは、廃墟を眺めると、呆れた声で言った。
「ほんとに馬鹿な奴」
そう言いながら、僕とお姉さんに続いて廃墟に入ってきた。社宅を迂回して裏庭に回ると、ジョージはキャンパスの前に立って、絵を描く準備を、もう始めていた。ジョージは、僕たちがやってきた気配を感じて振り向いた。
「今日で最終、よろし、く」
そこまで言って、ジョージは凍り付いた。ジョージの視線は、真っすぐに伊達お姉さんに向けられていた。
「明美さん、どうしてここに」
「こんなところに、隠れていたの。どこか遠くに雲隠れしたのかと思っていたのに」
そう言うと、伊達お姉さんはジョージに向かって近づいて行く。ジョージは伊達お姉さんを見つめて、呆けたように立ちすくんでいる。お姉さんは、ジョージの真ん前に立つと、右手を大きく振りかぶって、ジョージの左頬を強く叩いた。
パン。
ジョージは、叩かれた左頬を押さえて下を向く。信じられないような顔をしている。伊達お姉さんは、そんなジョージを見下ろしていた。
「呆れたわ。調子のよいことばっかり言って、逃げ出して。お金はどうしたの」
ジョージは、顔をくしゃくしゃにして伊達お姉さんを見上げる。
「どうしたの、言ってみなさい」
ジョージは、ボソボソという。
「もう、ない」
伊達お姉さんは、もう一度右手を振り上げると、ジョージを再度、叩いた。ジョージは抵抗することも出来ずに、その場に立ち尽くす。
「表に、車を待たせているから、一緒に来なさい」
僕と貴子お姉さんは、その一部始終を眺めているだけで、何も出来なかった。後ろから付いてきていたのだろう。屈強な男の人が二人、裏庭にやっ来た。
「姐さん、その野郎ですかい」
「そうよ、連れて行ってくれる」
二人の男は、ジョージの両横に立つと、腕を掴んだ。
「すみません。許してください」
ジョージは、金切り声で伊達お姉さんを見て叫んだ。伊達お姉さんは、表情を崩すこともなく、サラリと言った。
「いまさら」
ジョージは、大声で泣きながら抵抗をするけれど、ズルズルと引きずられていった。伊達お姉さんは、立ち尽くしている僕と貴子お姉さんを見た。
「ごめんなさいね。騙してしまったようで。そういうことなの、じゃ」
そう言って、廃墟を出ると、表に停めてあった黒い車の助手席に乗り込み、走り去っていった。僕たちは、その様子を、ただ見送ることしか出来なかった。太陽はまだ高くて、僕と貴子お姉さんを、燦燦と照り付けた。




