譲治
「こんな成りをしているけれど、元々は芸大に通えるくらいには裕福な家庭で育ったボンボンでね。絵が好きっていうだけで、なんとか入学することが出来たんだ。芸大っていう世界は、色んな才能がある奴が集まっていてね、とっても刺激は受けたんだけど、競わせるっていう側面が強いところでもあるんだ」
ジョージは、懐かしそうに話をしながら、パレットの上で絵の具をこねる。
「肌に合わないというか、結局のところ、落ちこぼれてしまったんだけど、それ以降、段々とバイトに明け暮れるようになっていった。そんな時にね、寄席のポスターを描かないかって誘われたんだ」
「寄席?」
僕の知らない言葉だ。
「寄席はね、落語をする演劇場のことなんだ。面白いんだよ。寄席のポスターを描くくらいでは、それほどバイト代はくれないけれど、寄席をね、舞台横からタダで見せてもらえたんだ。何度も足を運ぶうちに、噺家の人とも人間関係ができ始めてね」
ジョージはそこで、話を止めて、僕と貴子お姉さんを見る。
「かなり仲が良くなった頃にね、酒の席で、言われたんだ。あんたは、人間の表面しか見ていない。あたしたちの稼業はね、いつも同じ話をしているようでいて、いつも客とは真剣勝負なんだ。客のね、心を覗きながら、間を奪い、笑わせているんだ。あんたに出来るかい」
ジョージは少しため息をつく。
「なんかね、その時は、自分が馬鹿にされていることに腹が立ってしまってね。俺にも出来るって、言ってやったんだ。そしたら、にやにやしながら、一週間やる、今度、私の前座でやってみな、足がすくむよって、言われたんだ」
「ジョージは絵描きだろ。その寄席で何をしたの」
僕が不思議な顔で質問をすると、ジョージはニヤニヤと僕を見る。
「この間、祭りでやったじゃないか」
僕と、貴子お姉さんは「アッ」と声をあげる。
「僕も、プライドがあるからね、出来ることといえば絵を描くことだけ。観客の一人を選んで舞台に上がってもらっては、即興で似顔絵を描くんだ。語りを入れながら、変な顔をした観客の似顔絵を描いては、客席に披露するんだ」
「へー、面白い」
僕とお姉さんは面白がる。
「今考えると、なんだか遊ばれた気もするんだけど、僕を焚きつけた噺家は、そんな僕を面白がってくれてね。時々、寄席の前座で使ってもらえるようになった。そんな前座の時にね、舞台に上がらせた女性のひとりが、寄席が終わってから、僕を楽屋に呼びつけたんだ」
「お客さんが、ジョージを楽屋に呼んだの」
貴子お姉さんが不思議そうに質問する。
「そう楽屋にね。そしてね、あんな変な顔じゃなくて、もっと綺麗に描いてよって、怒っているんだ。横には怖いお兄さんも睨みを利かせていてね。これは、やらかしたなーって、思ったね」
「で、どうなったの?」
僕も続きが気になる。
「芸能の世界っていうのは、裏でヤクザが取り仕切っているものなんだ。だから、たとえ小さな寄席であっても、そうした人とのお付き合いっていうのはある。その女性はね、そうした怖いお兄さんの良い人だったんだ」
「へー」
僕は相槌を入れる。
「今思い出しても、奇麗な人でね。その場で、もう一度、その人の似顔絵を僕が描くことになったんだ。また怒られたら嫌だから、その時は、真剣にキレイに描いたよ。そしたら、とても喜んでくれてね。今度は、肖像画も描いてくれっていう話にまで発展してしまったんだ」
「描いたの?」
聞きこんでいた僕は、つい質問をした。
「描いたよ。専用の部屋も用意してくれて、肖像画の為に一週間の猶予をくれた。お願いしてくるのが、ヤクザさんだから、こっちも必死だよ。何だか変なことになってしまったと思ったけれど、その女性を描けると思うと、僕もなんだか心に沸き立つものがあって」
ジョージは、言いにくそうに僕たちを見る。
「でね、実は、その女性と越えてはいけない一線を越えてしまったんだ」
貴子お姉さんは、何かを察したようで小さく口を開けた。僕も、詳しくは分からないが、たぶん聞いてはいけない話なんだと想像がついた。
「僕はね、今、逃げているんだよ。もし見つかるとね、多分ただでは済まない。そうは言ってもこの話は、もう一年も前の話なんだ。もうそろそろ時効かなとも思っているんだけどね。でも、やっぱり怖い。髭も剃ってしまったしね」
そう言って、ジョージはクスクスと笑った。
「器用な僕でも、こんなに話し込んだら、ちっとも絵を描けていないや」
そう言って、パレットに絵筆を持っていくが、また、口を開く。
「この間のお祭りで、沢山の似顔絵を描き続けていたとき、何かが掴めそうな感覚があったんだ」
「感覚」
「そう感覚。芸大でも寄席でも絵は描いてきたけれど、この間のお祭りは、本当に沢山の似顔絵を延々と描き続けた。そしたらね、心の感情とその表情の関係性みたいなものを、何となくね、感じたような気がしたんだ。その感覚が新鮮なうちに絵を描きたくて、貴子さんにモデルをお願いしたんだよ」
ジョージは、貴子お姉さんを見る。
「今日も宜しく」
そう言うと、ジョージは、その後は、ほとんど喋らなくなってしまった。じっと、貴子お姉さんを見つめ、絵筆を走らせる。空が夕焼けで赤く染まるまで、ジョージは、キャンバスと格闘をした。




