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 太陽が真上からシャワーのように暑さを降り注ぐ中、蝉はその暑さに参っているようで、鳴くのをやめている。風が吹かず、焼けたアスファルトからはゆらゆらと熱気が立ち上る。誰もが動くことをやめてしまいたくなるような、茹だる暑さの中で、朽ちたバスがある裏庭だけは、とっても賑やかだった。


「太田、自分だけ、肉取り過ぎ」


 小川が、割りばしを太田に向けて、文句を言っている。太田は網の上にある焼けた肉だけをヒョイヒョイヒョイと箸で挟むと、焼き肉のタレが入った自分の紙皿に入れる。


「まだまだ、肉はあるやろ、文句は言うな。小川」


 炭で焼かれた網の上に、丁寧に肉を並べて焼き具合の面倒を見ている小川にとって、良いところだけを掠め取っていく太田に不満を持つのは分からなくもない。僕も、同じ気持ちだ。伊藤の奴は、網の隅っこにある二枚の肉をひっきりなしに引っくり返して、自分のものだとアピールしている。僕は紙皿に入っている一枚の焼けた肉を頬張る。美味い。こんなに美味しいお肉は、今まで食べたことがない。とっても柔らかくて、口の中で溶けてしまうのだ。うっとりとするって、こんな状態のことを指すのかなって思ってみたりする。そんな僕たちの騒がしい様子を、ジョージは隣でニコニコと見ている。ジョージは僕たちに肉を振舞っているのに、自分は食べない。チーズを齧りながら、ダルマと呼んでいる黒くて丸い瓶に入っているお酒をチビチビと飲んでいる。とっても強いお酒みたいで、僕のところまで突き刺さるような臭いが漂ってくる。あんなものを飲んで、美味しいのだろうか。


 ジョージは、「お祭りでの商売が上手くいったのは、君たちのお陰だ」といって、僕たちに焼き肉を振舞ってくれることになった。バスがある裏庭に、ガラクタの中から拾ってきた大きなアルミの鍋を置いてその中に炭を入れる。その上に網を載せただけなのに、家で食べるよりも、ずっと焼き肉が美味しい。


 僕は、肉を食べながら桜の木の下に置いてある、一脚の椅子を眺める。昨日は、あの椅子の上で、貴子お姉さんは泣いていた。バスの中から、その様子を眺めながら、いつ、ジョージのその行為をやめさせようかと、僕はタイミングを計っていたけれど、最後は二人で仲直りをしたので、結局、僕の出る幕はなかった。


「僕に、君の全てを捧げて欲しい」


 そんな言葉を、貴子お姉さんに投げかけたジョージは、自分のセリフの意味深さに気が付いたようで、少し説明を加える。


「恋愛の意味ではないからね、ご心配なく。あくまでも、絵の完成の為に、君の全てを見せて欲しいんだ」


 貴子お姉さんは、目を細めてジョージを見ると口を開いた。


「先に謝るって言っていたけれど、それは、私をワザと怒らせたりするっていう事みたいね」


 ジョージは申し訳なさそうな顔をする。


「そういう事に、なる」


 ジョージは、もう一度頭を下げる。


「僕はね、君の、色んな顔を見てみたい。この間、テニス大会があったんだよね」


 貴子お姉さんは、途端に苦い顔をする。


「本当に申し訳ないんだけれど、君のことは少し聞いているんだ」


 お姉さんが、バスに隠れている僕の方を睨んだ。僕は、貴子お姉さんに対して申し訳ない気持ちで一杯になる。


「小林君たちは、許してやって欲しい。君のことを心配して、凄く悩んでいたんだよ」


 ジョージが、僕たちのことをフォローしてくれて、少しホッとする。


「聞いた話だと、テニス部の友達たちからイジメを受けていたんだって」


 貴子お姉さんは、閉じていた心の扉を強引に開こうとするジョージを睨みつける。そんな貴子お姉さんを、ジョージはじっと見つめると、クロッキー帳を開いた。サラサラと鉛筆を走らせるジョージ。そんな様子を見ながら、僕は、心配になってきた。


 これが、ジョージが言うデッサンなのか。

 これは、お姉さんをイジメているのと同じなんじゃないのか。

 ぼくは、この様子を、ただ、見ているだけでいいのか。


 ジョージの言葉がナイフとなって、貴子お姉さんの胸をグサグサと突き刺していく。お姉さんの顔は、その度に苦痛に歪み、ジョージを睨みつける。僕は、段々と二人の様子を見ていることが辛くなってきた。


「その真由美さんと陽子さんが、殴られたことを聞いて、君はどう思った」


 貴子お姉さんは、口をへの字に曲げて、ジョージを睨んでいる。


「カオルキンが、自分の代わりに殴ってくれて、嬉しかったんじゃないのかい。ザマアミロって」


「そんなことない」


 お姉さんは、今にも立ち上がりそうな勢いで、否定する。そんな、お姉さんを、穴が開くほどに、じっくりと観察するジョージ。視線をクロッキー帳に向けると、すごい勢いで鉛筆を走らせる。


「自分が、手を下すことなく、あいつらは制裁を受けた。自分は、悲劇のヒロインのままでいられる。そう、思ってしまっても、誰も責めないよ。それは、受け入れてもいいんだよ」


「違う、違う、違う」


 貴子お姉さんは、立ち上がると、被っていた麦わら帽子を右手で掴み、ジョージのところまで歩いていく。右手を大きく振り上げたかと思うと、その帽子でジョージの顔を叩いた。ジョージは叩かれたのに、貴子お姉さんを見つめる視線を外さない。その瞬間すら見逃すまいと、貴子お姉さんをじっと見つめる。ジョージは、ゆっくりと立ち上がる。


「人間はね、心の中では、何を感じても良いんだよ。それはね、止められない。汚いことも、恥ずかしいことも、自分の気持ちを自分でコントロールすることは出来ないものなんだよ。分かるかい」


 貴子お姉さんは、ジョージの顔をじっと見ている。


「大切なのは、そこからさ。そうした自分の、認めたくない感情を、認めた時から、人間はね、やっと歩き出すことが出来る。嘘、偽りで塗り固めた自分の世界を破壊して、さあ、歩き出してごらん」


 貴子お姉さんは、ただ、ジョージの顔を見つめている。


「貴子さん、君の美しさは、今、ここから始まるんだ。心の殻を脱いで、素直になるんだ。僕にその姿を見せておくれ。そのままで、良いんだよ。真由美も陽子も、君が美しくなるためには、必要な存在だったんだ。認めてごらん。そうすれば、彼女たちですら、感謝したくなる存在になるんだよ」


 僕は、二人の様子を見ながら、意味は理解出来ないながらも、踏み込んではいけない、そんな空気を感じた。


「認めるの」


「そう、認めるんだよ。彼女たちのしたことなんか、些細な事さ。そんなことに、煩わされている余裕はないよ。君は、認めることで、もっと美しくなれる」


 貴子お姉さんは、その場で糸の切れた人形のように、ジョージの胸に倒れていった。ジョージは優しく抱きしめる。


「小林君」


 僕は、突然、ジョージから名前を呼ばれて、背筋が反り返る。


「今日は、もう終わりにしよう。明日は貴子さんの絵を描くのはお休み。それよりも、この間はお祭りでお世話になったから、みんなの為に、僕が焼き肉を用意するよ。小林君、皆に伝えておいてほしい。必ず来るんだよ。僕一人では食べ切れないから」


 そう言って、ジョージは笑った。帰り道、貴子お姉さんは泣き晴らした顔を麦わら帽子で隠して歩いた。


「明日の焼き肉には参加しない。でも、絵は描いてもらう」


 そう言うと、もう話をしなくなった。夕日はまだ、落ち切っていなくて、僕たちの影法師は長く長く伸びていた。

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