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美しいということ

 次の日、夕方の四時が近づくと、僕は窓の外から貴子お姉さんが家から出てくるのを待った。時間になると、昨日と同じ麦わら帽子を被ったお姉さんが出てきた。白かったワンピースは、今日は青く変わっていた。僕はお姉さんに手を振ると、階段を下りて表に出た。


「今日も、ありがとう。一緒に付いて来てくれて」


 貴子お姉さんは、ニッコリと微笑んで僕にそう言う。僕は「そんなことはない」という意味で、首を横に振る。僕とお姉さんは、ツクツクボウシが鳴いている中、またテクテクと歩く。


「ジョージがね、私の絵を描いてくれることは、とっても嬉しいの」


 お姉さんが自分の気持ちを吐露するように呟き始める。


「絵を描くのがとっても上手だし、面白いし、優しいし。でもね、何だか、ちょっとだけ、怖いの」


 僕は意外な言葉に、耳をそばだてる。


「怖いっていうのは、暴力でとか、襲いかかってくるとかという意味ではないの。多分、ジョージは優しすぎて、そんなことは出来ないと思うわ」


 お姉さんは、言葉を探すように、少し沈黙する。


「ジョージって、定職についていないし、あんな変な所に住んでいるし、それでいて恥じらうことも無く飄々としているでしょう。何でかなって。そんなジョージが、良く分からなくて、なんだかね、怖いの」


 僕は、お姉さんの言っていることが良く分かる。その良く分からないところが、ジョージの魅力でもあるんだけれど。


「そんなジョージのことが、分かってしまったら、もしかすると、私は返ってこれなくなってしまうかもしれない。そんな気がするの。だから、」


 お姉さんは、そこで言葉を切って、僕を見た。


「ジョージの所に行くときは、いつも、ヒロ君に私の傍に付いていて欲しいの。ヒロ君だけが、私を現実に引き留めてくれそうなの」


 貴子お姉さんは、そこまで喋ると、口を噤んでしまった。秘密基地に着くと、ジョージは部屋に居なくて、裏庭でもう絵を描いていた。モデルの貴子お姉さんが居ないのに、クロッキー帳にはお姉さんが描き出されていた。


「ありがとう、今日も来てくれて。さあ、椅子に座って。始めようか」


 ジョージは、貴子お姉さんを描きたくて仕方がない駄々っ子のように、満面の笑顔で、貴子お姉さんを椅子の方へと導く。僕はそんな二人の様子を、今日はバスの中から覗くことにした。だって、二人の空間には、僕が入り込む隙間がなかったから。僕は蚊帳の外なんだもん。


「貴子さん、今日は君に、少し意地悪なことを言うと思うけれど、許してほしい。先に、謝っておく」


 そう言って、ジョージはゆっくりとお辞儀をした。貴子お姉さんは、意味が分からず眉をひそめる。ジョージは、説明するように言葉を続ける。


「僕はね、絵を描いているんだけれど、描いているのは絵じゃないんだよ」


 僕は、ジョージの言っていることが全く分からない。


「貴子さんが感じている、嬉しいこと、悲しいこと、怖がっていること、怒りに感じていること。そうした全てを僕は描き切りたい。そう、考えている。表面的な美しさを模写する行為は、僕には全く無意味なことなんだ」


 そうした言葉を吐きながらも、ジョージの手は貴子お姉さんを描き続けている。ジョージって器用だなと思う。


「美しいっていう漢字があるよね、いつ頃出来たか知っているかい」


 貴子お姉さんは少し首をひねって答える。


「漢字は中国の言葉だから、二千年以上は前かな」


「所説はあるけれど、ざっと三千年前に出来たそうなんだ。この美しいという漢字、どんな意味だと思う」


「えっ、どんな意味って、奇麗ってことでしょう」


「うん、そうなんだけれど、その美しいに隠された意味のことなんだ。何だと思う」


 僕は、ジョージの言っていることが、なぞなぞみたいで全然分からない。分からないが、耳が離せなくなっていく。


「ごめん、意地悪になってしまったね。美しいという漢字には、羊という漢字が含まれている。この羊は、実は神様への生贄のことなんだ」


 僕と貴子お姉さんは、生贄の言葉に目を開く。ジョージは何を言っているんだ。


「美しいという漢字は、羊と大という二つの漢字に分けることができる。羊の下の大という漢字には、二つの意味があって、一つは羊の足を意味している。足が切り離されていなくて完全であること。つまり、全てが揃っていて完全であることが、美しいことの、一つ目の定義なんだ」


 ここまで一気に話をして、ジョージは貴子お姉さんを見る。


「つまり、私を美しく描くためには、私の精神的なものも全部そろって、初めて美しくなるということ」


「理解が早くて嬉しいな。田岡の貴子さんは、そのことが全然分からなくて」


 そう言って、ジョージはニヤッと笑う。僕は、もう、何のことだか分からない。


「貴子さんは、最近、色々と苦労をしただろう。小林君から、色々と悩んでいたことを少し聞いたよ。僕は、そんな貴子さんにも関心があるんだ」


「ちょっと、嫌らしい趣味ね」


 貴子お姉さんは、少し眉をひそめて、ジョージに言う。


「いいね、その表情。本当に素敵だよ」


 ジョージのことが、少し怖くなる。


「美しいという漢字のもう一つの意味も、大という漢字から来ているんだけれど、大いなる生贄と読むことができるんだ」


 貴子お姉さんは、じっと聞いている。


「大いなる生贄とは、自己犠牲。自分を捧げるという意味。この精神が、心が、美しいという意味の真の意味になるのさ」


 楽しく貴子お姉さんの絵を描くだけだと思っていたのに、僕はバスの窓の縁をギュッと握ってジョージのことを睨んだ。


「僕に、君の全てを捧げて欲しい」


 貴子お姉さんは、手で口元を隠して驚いた顔をする。僕も、ジョージが放った言葉に神経を尖らせる。太陽はまだ、沈んではいなくて、暑さを振りまいている。これから、どうなるんだろう。僕の耳に、蝉の啼き声が聞こえる。


 ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ。


 太陽がゆっくりと傾いていく。

 

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