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「えっ!肝試しの光の正体って、あの人なの」


 加藤裕子が、僕を見てそう言った。お祭りに来ていた加藤祐子と坂口直美は、カメラ屋の前の異様な盛り上がりに興味を示し近寄って来たところ、僕や太田を見つけたのだ。


「ねえ、ちょっと格好良いじゃない、あの人。私にも紹介してよ」


 加藤裕子はなかなかにミーハーな奴だ。僕は似顔絵を描き終えたタイミングを見計らって、ジョージに声を掛けた。


「ジョージ、昨日、肝試しのことを話しただろう。この子達もあの時一緒だったんだ」


 僕に紹介された加藤裕子は、物怖じすることなくジョージの前に立つと、両腕を胸の前で組んでジョージを見上げる。


「あの時、本当に怖くて、私、泣いたんだから。直美なんか、転んで怪我もしたのよ」


 加藤裕子は唇を尖らせながらそう言って、ジョージを悪戯っぽく睨みつける。加藤のそうした行動に、僕はオロオロとしながら見つめる。


「悪いと思うんだったら、私たちも可愛く描いてよね」


 「女、怖えー」と僕は心の中でつぶやいた。加藤の奴、ジョージから主導権を握ろうとしている。


「それはそれは」


 ジョージはそう言うと、二人の前で深々とお辞儀をした。体を起こすと、じっと加藤の瞳を見つめて、優しい声で囁くように言った。


「こんなに可愛い子を泣かしたなんて、僕が本当に悪かった。許してくれるかい」


 加藤裕子は顔を真っ赤にして、身を捩らせる。堪らずジョージから目を反らすと、


「許すわよ」


 と、小さな声で言った。僕はジョージを見て思った。こいつは天性の女たらしだ。ジョージは加藤裕子と坂口直美を二人一緒に立たせると、一寸したお願いを二人にした。


「君たち二人を、一緒に描きたいんだけれど。それでね、出来た絵は明日まで、僕に預からせて欲しいけど、いいかい?」


「いいけど、どうするの」


「僕の仕事の看板として、展示したいと思って。協力してほしい」


 そう言って、ジョージはクロッキー帳を広げると、慣れた手つきで鉛筆を走らせる。クロッキー帳の中の加藤と坂口は手と手を取り合って、お互いに見つめ合っている。なんで、見つめ合っているんだ。何か、見てはいけないものを見たような気分だ。僕は、なんだか、おかしな気分になってきた。


「こんな感じで描いてみたんだけれど、どうかな。気に入ってくれると嬉しいのだけれど」


 そう言って、クロッキー帳から絵を切り離すと、加藤祐子に手渡した。出来上がった絵を見た加藤は、言葉が出ずに顔を真っ赤にした。坂口はその絵を加藤から受け取ると、ぼそりと言った。


「百合だ」


 その後も、入れ替わり立ち代わりお客さんが来て、ジョージは似顔絵を描き続けた。ジョージは似顔絵を描きながら見物客に向かって面白いことばっかりを言うもんだから、客の波が途切れることはなかった。途中、僕たちはその場を離れて、貴子お姉さんやみんなと一緒に屋台巡りをして、イカの姿焼きや、かき氷を食べたりした。でも、僕たちはやっぱりジョージのことが気になってしまう。ジョージへの差し入れに焼きそばを買うと、みんなでカメラ屋に戻っていった。そうして、夜は更けていった。




 日曜日に行われた川添まつりの最終日も、ジョージの似顔絵は好評だった。貴子お姉さんと一緒に太田、小川と連だって、伊藤のカメラ屋に行ってみた。貴子お姉さんの絵と、加藤と坂口の百合の絵は、伊藤のお父さんの好意で写真用の額に収められて、店頭に展示されていた。二つの絵はとても好評で、通り過ぎる人々がみんな足を止めて鑑賞していった。


 ジョージは似顔絵を書くとき、小学生と大人で価格に差をつけていた。小学生は便箋サイズの落書き帳にサラサラと描くだけで二百円。大人はクロッキー帳にしっかりと描いて千円。子供をサクラにして、集まる大人相手にしっかりと稼いでいる。二日間のお祭りでジョージはまとまったお金ができると、「明日、買い物に行く」と言っていた。


 次の日、僕は、昨日までのお祭りの影響から、一日中家の中でダラダラと過ごした。ここ最近は、ジョージに出会ってから、息つく暇もなく毎日がジェットコースターのように過ごしてきたので、ちょっと疲れたのだ。昼寝をして微睡んでいると、まだ昼の暑さが残る四時過ぎに玄関のベルが鳴った。母親が階下から僕を呼んでいる。


「お隣の西村のお姉さんが来られたよ」


 僕は予想しない名前にガバッと飛び起きた。貴子お姉さんが僕を訪ねてくるなんて。慌ただしく靴を履いて玄関を飛び出した。そこには、麦わら帽子に白いワンピースを着た貴子お姉さんが笑顔で立っていた。


「寝てたかな」


 お姉さんは、ニコニコとして機嫌がいい。


「ヒロ君にお願いがあるんだけれど、秘密基地まで、私を連れて行ってくれない?」


 僕は咄嗟に理解した。貴子お姉さんはジョージに会いに行くんだ。


「うん、いいけど。自転車、」


 そこまで言うと、お姉さんは僕を制して、言葉を続ける。


「ヒロ君、歩いていこう。私、今日はワンピースだから自転車には乗れないの」


 僕とお姉さんは秘密基地に向かって、テクテクと歩き出す。姿は見えないけれど、ツクツクボウシが「ヒガクレルヨ、ヒガクレルヨ」と大合唱している。お姉さんはこんな夕方から、ジョージに会いに行くんだと、僕は不思議に思う。それにしても暑い。僕の額から汗が流れていく。


「ヒロ君、何か飲もうよ」


 そう言って、貴子お姉さんは自動販売機の前で立ち止まる。


「何がいい」


 お姉さんは、僕を見てほほ笑む。僕は、手を伸ばしてコカ・コーラのボタンを押す。ガタンという音とともに、赤い缶が出てくる。僕は手を伸ばして、その冷えたコーラの缶を取り出して、


「ありがとう」


とお姉さんに言った。お姉さんも、ボタンを押す。ファンタオレンジが出てきた。そうして、もう一度コインを入れると、また、ファンタオレンジのボタンを押した。


 ジョージの分だ。僕は、そう理解して複雑な気分になる。


「飲んでいいよ。私は着いてから飲むから」


「僕も、着いてからでいい」


 僕はちょっとムキになって、言い返す。それからは、貴子お姉さんとは特に会話もなく歩き続け、秘密基地に到着した。


「ジョージって、こんなところに住んでいるの」


 貴子お姉さんは、驚いてそう呟いた。少し入るのを躊躇っている。僕は、そんなお姉さんを尻目に、ガラクタを飛び越えて、ジョージを呼びに行く。お姉さんは一歩も動かない。


「おーい、ジョージ」


 僕が玄関から部屋の中のジョージに向かって叫ぶと、「小林君か」という声とともに、ジョージが出てきた。貴子お姉さんを見つけると、


「こんな汚いところに、ようこそおいでくださいました」


と言って、お辞儀をした。


「部屋の中は暑いから、裏庭に行こう」


 ジョージはそう言って僕たちに近づくと、お姉さんは手に持っていたファンタオレンジをジョージに差し出した。


「ありがとう。すごく喉が渇いていたんだ」


 ジョージが貴子お姉さんのファンタオレンジを取ろうとすると、お姉さんは手を離さない。


「奇麗に描いてね」


 ジョージは、お姉さんの目を見つめる。


「命を懸けて」


 ジョージは、先頭を歩いて僕と貴子お姉さんを裏庭に導く。バスが放置されている裏庭の隅に、一本の桜の木が生えている。青々とした葉っぱを盛大に茂らせた、その葉桜の木の根元に一脚の椅子が用意されていた。ちょうど日陰になっていて、一枚の絵のように一体化している。


「貴子さん、その椅子に座ってもらってもいいですか」


 お姉さんは頷いて、桜の木に近づき椅子に腰かける。ジョージもお気に入りのパイプ椅子を持ってくると、クロッキー帳を広げた。


「今日と、明日と、先ずは君のデッサンを描かせて欲しい。一時間ほどでいい。今のようにリラックスして椅子に座っていてほしい。もし暇なら、明日は本を持ってきて読んでいてもいいよ」


 貴子お姉さんは、ゆっくりと頷く。


「三日目に、本番に取り掛かる。今日、画材屋で白いキャンバスを買ってきたんだ。それにね、僕は命を懸けて、君を描き切る。本番にも二日欲しい。都合四日、僕の為に君の時間を分けてほしい。予定があるようなら、そちらを優先していいからね。僕は急いでいない。」


 貴子お姉さんは、もう一度ゆっくりと頷く。傍で見ていて、僕はジョージの真剣さが伝わて来た。昨日のようなふざけた様子が微塵もない。その日ジョージは、一時間という限られた時間の中で、貴子お姉さんのデッサンを次々と描いていく。時にはパイプ椅子の場所を変えながら、時には色々と質問を浴びせかけ、お姉さんを悩ましたり笑わせたりしながら、いろんな貴子お姉さんを描いていった。ジョージが持つ一冊のクロッキー帳は、全て、貴子お姉さんのデッサンで埋まっていった。

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