エスコート
川添まつり当日の朝がきた。川添まつりは、ダイエーから見て南側にある川添商店街の専用駐車場で行われる盆踊りだ。当日は、自治会はもちろんのこと、周辺の商店街の協力のもと盛大に行われる。会場周辺は昨日から、赤と白の大きな布地が駐車場のフェンスや商店の軒先にぶら下げられて彩られている。駐車場中心に設置された櫓からは四方にロープが張られており、そのロープには等間隔に赤い提灯がぶら下がっていてブラブラと揺れていた。会場周辺で走り回る子供たちは、みんな祭りが楽しみでソワソワしている。でも、楽しみにしているのは、何も子供たちだけではない。祭りの準備をしてきた大人たちも、どこか浮かれていて、人が寄ればお祭りの話で盛り上がっていた。
朝ご飯を食べた僕は、自転車に乗ってジョージに会いに行った。僕の心は浮かれた大人たちと違って、少し憂鬱だった。昨日はあんなに張り切って貴子お姉さんに予告状を渡しに行ったのに、結局のところ会うことは出来なかった。ジョージの奴が、「勝負は一瞬」なんていうから、僕は噛り付くような思いで、大声を張り上げてお姉さんに呼びかけた。だけど、あれで良かったのか僕には分からない。もしかすると、迷惑な子と思われてしまって、お姉さんに愛想を尽かされたかもかもしれない。そう考えると、何だかジョージのことが憎くなってくる。怪人二十面相のくせに。
廃墟になった社宅に到着すると、今日は僕が一番乗りだった。僕は周辺に散らかっているガラクタをピョンピョンと飛び越えて、ジョージの部屋の前にたどり着く。
「ジョージ、おはよう」
開けっ放しの玄関のドアから中に入ると、そこには一人のお兄さんが立っていた。青いジーパンに白いアロハシャツを羽織ったそのお兄さんは、長い髪の毛をオールバックにして後ろで束ねている。髭は生えていない。
「やあ、小林君」
ジョージは、驚いている僕をニヤニヤと眺めている。
「ジョージ?」
「さすがにね、お祭りに行くのにあの格好のままでは、ただの浮浪者だからね。髭を剃ったよ」
「その服は?」
「ああ、これ。今朝、この部屋の中で探したんだ。昨晩は小学校のプールを借りて、汗も流してきたんだぜ」
本物の怪人二十面相だ。僕は目を丸くしてジョージを見つめた。お爺さんかと思ったら、お兄ちゃんに変身している。小学校のプールにも忍び込んでいる。ジョージのたったそれだけの変化を見て、僕は今日は何だかうまく行きそうな気がしてきた。程なくして、太田も小川も伊藤もやって来たけれど、みんな、ジョージの大変身に驚いていた。
「なるほどな。よくやったよ、小林君」
昨日の予告状を届けた顛末を説明すると、ジョージは僕にそう言った。
「君の強い一念は、貴子お姉さんのお母さんを味方に出来たんだろう。大丈夫だよ。君の声はお姉さんに届いている。今日は夕方になったら、貴子お姉さんに、祭りに行こうって、誘いに行くこと。必ず来てくれるよ」
不思議だ。ジョージにそう言われた途端に、僕はそんな気になってきた。
「太田君と小川君、それに伊藤君は、僕の手伝いをして欲しいんだ」
今度は、今日のお祭りでの作戦の準備について、ジョージは説明を始めた。
「この部屋にある椅子を一脚と、この小さなパイプ椅子をお祭りの会場まで運んで欲しいんだ。手で持つと大変なんでね、君たちの自転車で運んで欲しいんだ」
太田と小川は、了承をするが、ジョージが一体何をしたいのか気になって仕方がない。
「なあ、ジョージ。いったい何をするんだよ。もう教えてくれてもいいと思うけど」
太田が堪りかねたように質問をすると、ジョージはニヤニヤとしながら口を開いた。
「僕も生活をしなくちゃいけないんでね、ちょっと商売をしたいんだ」
「商売?」
小川が、ジョージの口から出てきた意外な言葉に興味を示す。
「内容はまだ秘密だけれど、祭りの会場ではなくて、でも、その近くで、人通りがあって、商売が出来そうなところってないかな」
ジョージの要求に、伊藤が口を開いた。
「僕の家、会場の近くにあるカメラ屋さんなんだけど、店の前ならいいと思うよ」
「それは好都合だね。早めに行って、親御さんにご挨拶をさせてもらうよ。それなら、君の家の椅子を一脚、貸してもらおうかな。それなら、持っていくのはパイプ椅子だけでいい」
ジョージはニコニコとしながら、伊藤に向かって、そう言う。
「大丈夫だと思う」
伊藤の返事を聞くと、今度は僕の方を振り向く。
「そういう事だから、小林君は、貴子お姉さんを連れて、伊藤君のお店まで来てくれるかな」
そう言うことだからって、何がそう言うことなんだ。一体、ジョージは何をするつもりなんだ。僕は、今までの不安が無くなった代わりに、ジョージに対する好奇心が台風のようにグルグルと僕の心の中をかき回した。
ジョージと別れると、僕は約束の時間まで子供部屋でゴロゴロと過ごした。でも、何だか落ち着かない。壁にかかっている時計を、僕は何度も見た。ジョージは、伊藤のカメラ屋に六時頃においでと言っていたけれど、約束の時間までは、まだ一時間以上もある。一人になってみると、やっぱり、段々と不安になってきた。ジョージは大丈夫だと言ってくれたけど、本当に大丈夫なんだろうか。考えなくてもいいことを色々と考えていると、ふと、気が付いた。そもそも、六時という時間はジョージとの約束であって、貴子お姉さんには全く伝わっていない。これは、早めに行動を起こしておく必要がある。そう考えた僕は、むくっと立ち上がると、階段を下りて行った。
「お母さん、お祭りに行くから、お小遣いが欲しい」
「はいはい、分かりましたよ」
母親は、直ぐにお小遣いをくれた。
「貴子お姉さんとお祭りに行くんでしょ。あんまり遅くならないようにね」
僕は、びっくりして母親の顔を見た。なんで、そんなことを知っているんだ。
「今朝、あんたがいないときに西村さんのお母さんと表で話をしていたら、今日は浴衣を着せるって言っていたわよ」
何で、そのことを早く言ってくれないんだ。と、心の中で思ったけれど、それよりも、貴子お姉さんが僕を待っている。僕の心臓の鼓動は新幹線のように早くなり始めた。急いで靴を履くと、僕は玄関を飛び出した。隣りの西村の家の前に立ち、一度大きな深呼吸をする。ドキドキとする気持ちは変わらない。でも、不安な気持ちではなくて、早くお姉さんに会いたい。僕は、その気持ちのままに、家のベルを押した。
「はーい」
家の中からおばさんの声が聞こえる。おばさんは玄関を開けて僕を見ると、ニッコリと笑ってくれた。
「今日は貴子を宜しくね」
僕だけに聞こえる小さな声でそう言うと、お姉さんを呼びに行った。家の中からおばさんの声が聞こえる。「貴子ー、来られたわよー」
階段を下りてくる足音が聞こえる。玄関の向こうで、おばさんがお姉さんに話しかける声が聞こえる。もうすぐ、お姉さんが現れる。僕は、その玄関が開かれるのを待った。ドキドキしながら待った。やっと、貴子お姉さんに会える。二階からお姉さんを見ていたことを思い出す。
「何を見てるの、ヒロ君」
「ジロジロと見てたわよ」
「ヒロ君、今見たことは誰にも話しては駄目よ。分かった」
「それでね、ヒロ君に協力してほしいの」
「その本を読んだら、きっと私に協力したくなるわよ」
貴子お姉さんとの出来事を思い出していると、玄関が開いた。お姉さんが、はにかみながら出てきた。白地に青い朝顔があしらわれた明るい浴衣を着たお姉さんが俯いている。
「貴子お姉さん」
僕がそう言うと、髪の毛を可愛く結い上げているお姉さんが顔をあげた。後れ毛を揺らしながら、悪戯っぽい顔を僕に向ける。
「私を盗むの?」
そう言って、クスクスと笑う。
「ヒロ君って、本当に面白い。さあ、連れて行ってよ」
僕は自然とお姉さんに手を差し伸べた。貴子お姉さんは、僕の手をそっと握った。




