一念
僕たちは、ジョージの部屋を辞すと予告状を持って貴子お姉さんの家に向かって走り出した。
「凄いことになったな」
太田は興奮した声で、僕たちに問いかける。小川も口を開く。
「ジョージのやつ、自信満々で言っていたけど、貴子さんを盗むって、どういうことや」
「そやそや、まさか貴子さんを連れ去るつもりか」
太田のその一言に、僕たちは思わず自転車を停めた。僕はムキになって反論をする。
「いや、ジョージは、心配しなくていいよって言ってたし、笑わせるって言ってた」
「まー、そうやけど、謎やな」
また、僕たちは自転車を漕ぎ始める。走りながら小川が口を開く。
「その予告状、どうやって渡すんや。また、窓からか」
僕は考える。これまで、その方法では貴子お姉さんは出てくれなかった。
「直接、家のベルを押す」
僕の意見に太田も同意する。
「そうやな、俺もその方がええと思う。礼儀正しく、正々堂々と、正面突破や」
僕は貴子お姉さんの家に向かいながら、ジョージが言っていた、一念岩をも通す、という言葉を思い出していた。僕の強い一念て、どんな気持ちだろう。僕のお姉さんに対する思いって何だろう。僕は、また、お姉さんの笑顔が見てみたい。そんなことを、心の中で反芻していると、お姉さんの家に着いた。
自転車を停めると、僕たちは西村という表札が掲げてある家の前に立った。僕の心臓はかなりバクバクと鳴っている。家のベルを押すだけなのに、僕は気後れをする。このベルを押すことで返って貴子お姉さんを悲しませることになるんじゃないのか。そんなことも考えてしまう。その時、僕の背中を、太田が拳でドンと突いてきた。
「なんだよ」
「俺らもついてる」
僕は、フッと笑う。前にもこんなことがあった。先程までの緊張が解けてきて、何だか笑い出したくなった。
「太田、ありがとう」
僕はそう言うと、ベルを押した。暫くすると家の中から、おばさんの「はーい」という声とともに、玄関の扉が開いた。
「あら、ヒロ君。お友達も一緒に、どうしたの。貴子に用事」
「ええ、貴子お姉さんに渡したい手紙があって」
おばさんは、少し顔を険しくする。
「貴子、出てくるかしら。最近はクラブにも行こうとしないのよ。ヒロ君なら、この間、本をあげていたみたいだし、ひょっとするわね」
そう言うと、「ちょっと待っててね」といって、家に戻っていった。家の中から「お隣のヒロ君が会いにきているのよ」と、貴子お姉さんに呼びかけている、おばさんの声が聞こえた。暫く待っていると、玄関の扉を開けたのは、またしてもおばさんだった。
「ごめんね。貴子ったら、口を噤んだまま動こうとしないのよ。折角来てくれたのに、ごめんなさいね」
おばさんは、申し訳なさそうに僕たちに、そう告げる。その時、僕はその場で拳をギュッと握ると、大きな声で貴子お姉さんに呼びかけた。
「貴子お姉さん。怪人二十面相から、予告状を預かってきたよ。明日、貴子お姉さんを盗み出すって。大切な予告状だから、必ず読んでね。絶対だよ」
僕は、目の前でおばさんがビックリしているのも、そのままにして、そこまで叫びきると、その予告状をおばさんに手渡した。
「お願いします。この手紙をお姉さんに渡してください。明日の川添まつりにお姉さんに来て欲しいんです。きっとお姉さんに喜んでもらえると思います」
おばさんは、突然のことにびっくりしていたけれど、なんとなく察したことがあるようで、小さな声で言った。
「どんな計画かは分からないけれど、貴子を盗み出してちょうだい。ずっと家に籠ったままなの。折角の夏休みなのにね。応援しているわよ」
おばさんが家の中に消えると、僕は力が抜けたようになってしまった。小川は僕の肩を叩く。
「会えなかったけれど、やれることはやった、上出来だよ」
小川が僕を励ましてくれる。太田は僕に体当たりをしたかと思うと、首に腕を絡ませてくる。
「美味しいところ、持っていってからに」
僕は、二人を見ると、自分がやった行為を思い出して、なんだか照れてしまった。
「じゃ、俺たち帰るわ」
明日、午前中に、みんなでジョージに会いに行く約束をして、僕たちは分かれた。家に帰ると、母親が「家の前で叫んでいたけど、何かあったの」と不思議そうに、僕に尋ねてきた。「別に」と、僕は言うと二階の子供部屋にサッサと上がって行った。部屋の中に、青銅の魔人があったけど、今日は何だか読む気になれない。お姉さんがいるであろう窓の向こうを凝視して、僕は強く強く念じていた。明日、お姉さんが来ますように。




