光の正体
肝試し騒動のあと、僕は二日ほど家でゴロゴロと過ごした。その間、母親は僕の顔を見ると「夏休みの宿題をしなさい」と口を開く。あんまり五月蠅いので、僕は読書感想文の宿題をするから本を買ってと母親にお願いをしてみた。すると母親は、僕にこう言った。
「その本は、いくらするの」
「六百円」
「じゃ、毎月のお小遣いは五百円だったけれど、お小遣いを増やしましょうね。来月のお小遣いを先に渡すから、自分で考えて使いなさい」
そう言って、僕に八百円をくれた。とても嬉しい。僕は直ぐに本屋に向かいシリーズの青銅の魔人を買った。家に帰ると居間に座り込んで、その本の表紙を開く。途端に僕は小林少年に変身する。
「ヒロちゃん、晩ご飯ですよ。ご飯を食べるときは、本を横に置いてみんなと一緒にご飯を食べるのよ」
テレビを見ていた父親が、そんな僕をニコニコと見ながら語りかける。
「子供の頃は、ワシも笛吹童子に夢中になってな」
笛吹童子。聞いたことがない。話を聞くとラジオドラマだそうだ。「ふーん」テレビではなくてラジオ。子供ながらに時代を感じてしまった。その時、テレビを見ていた父親が、「えっ」と小さく叫んだ。僕もテレビを見る。ニュース番組だった。何でも山口組三代目組長の田岡一雄が心不全で亡くなったと、アナウンサーが報じている。
「山口組の田岡か」
父親は、そう言うと一人納得して、ご飯を食べ続けた。
次の日、朝から子供部屋で青銅の魔人を読んでいると、家のチャイムが鳴った。暫くすると母親が階段を上がって来て「小川君が遊びに来たよ」と僕に伝えた。寝転んでいた僕は、飛び起きて、階段をダッダッダッと降りていく。表では自転車に乗った小川が手を振っていた。
「秘密基地に行こうぜ」
僕は、この間の肝試しの一件を思い出し、少し顔を歪める。そんな僕に、
「太田と伊藤も来る。あの光の正体を暴いてやろうぜ」
と好奇心いっぱいの顔で僕に言う。考えてみれば、今は朝だし幽霊が出てくる時間ではない。僕も気にはなっていたので、自転車を引っ張り出して、小川と一緒に秘密基地に向かった。その日はとても晴れていた。暑くて、カラカラに乾いていて、蝉が狂ったように大合唱をしている。自転車を漕ぎだしてすぐに、僕は水筒を持ってくれば良かったと思った。肝試しに行った工場を横目に暫く漕いでいくと、有刺鉄線が破れているところで、太田と伊藤は待っていた。
「中に入らへんのか」
小川がそう言うと、太田は「お前たちを待っていたんや」と言った。ちょっと入るのを躊躇していたようだ。でも、新たな援軍の登場に太田は自信満々に有刺鉄線を抜けていく。いつもなら、社宅を迂回して裏庭のバスのところまで行くのだが、今日は自転車を適当なところに停めると、肝試しの時に光が灯った例の部屋に向かって僕たちは歩き出す。太田を見ると、手にバットを持っていた。
コンクリートでできた四階建ての社宅は、二本の階段を挟むようにして全部で十六戸の部屋がある。何があったのかは分からないけれど、忽然と人が消えたように、それまでに生活をしていた様子が、そのままに放置されている。不気味なのは正にそれで、今では部屋の中も外も荒されている。服や下着、食器や玩具の人形が、そこらに散乱されている様子は、僕たちが歩むのを鈍らせるのに十分な迫力があった。
「光が灯ったのは、一階の右端やったな」
確認するように、太田が言った。
「そうや」
そう返事をしたそばから、僕はあの時の記憶が蘇り、背筋が凍る。皆も同じみたいだった。部屋に近づくと、僕はおかしな変異に気が付いた。他の部屋は汚く散らかっているのに、その右端の部屋の周辺だけが、人の手が加わったように整っている。綺麗とは言えないが、少し違うのだ。小川も気が付いたようで、僕の顔を見る。
「たぶん、誰か住んでる」
小川が僕たちに聞こえる小さな声で言った。僕たちは、この後どうすればいいのか迷った。僕たちもバスを勝手に使っている以上、これはご近所さんということになる。でも、このまま確認もせずに引き返すわけにはいかない。見上げると、窓は開けっぱなしになっている。小川は太田の肩をチョンチョンと叩くと窓に向かって指をさした。理解した太田はゆっくりと忍び寄ると、その窓から部屋の中を覗いた。
「あっ、人が死んでる」
太田は素っ頓狂な声で叫んだ。思わず、僕たちはその場から逃げだしそうになったが、小川の奴が留まった。
「ちょっと待って、確認に行こう」
小川を先頭に僕たちはその部屋に向かっていく。玄関のドアは開けっ放しになっている。ゆっくりと中を覗いてみる。中は夏の熱気が籠った空気がムワッと漂ていて、僕たちを襲う。狭い玄関の先に、先ほど太田が覗いた部屋の入り口が見える。僕たちは足を忍ばせて近づいて行く。もちろん靴は脱いでいない。部屋の中を覗いた。中には髭をボウボウと生やしたお爺さんのような人が倒れていた。
「おい、生きているか」
小川がその人に声を掛けた。死体と思っていたそのお爺さんが、ピクリと動いた。生きている。僕たちは思い切って部屋の中に入ると、そのお爺さんを取り囲んだ。お爺さんは、小さな声で絞り出すように言った。
「水、、、」
一緒に付いてきていた伊藤が肩にかけていた水筒を差し出した。なんて用意が良い奴なんだ。僕は伊藤からその水筒を受け取ると、水筒の蓋をコップにして、入っているお茶を中に注いだ。太田と小川は、倒れているお爺さんの体を起こしてあげる。僕が、お爺さんの口元にそのコップを近づけてあげると、喉を上下させてゴクゴクと飲み始めた。お茶を飲み干すと、お爺さんは胸を膨らませた後、大きく息を吐いた。
「ありがとう。助かった」
お爺さんは、軽い脱水症状になっていたようだ。でも、まだ、動けそうにない。僕たちはお互いに顔を見合わせる。どうしたら良いんだろう。
「すまないが、何か食べるものをくれないか。ここ三日ほど何も食べてない」
準備の良い伊藤でも、さすがに食べ物までは用意していない。すると太田の奴が口を開いた。
「ちょっと待っとき」
そう言って立ち上がった。
「俺、家に帰って、何か食べもんを取ってくるわ」
すると、そのお爺さんが、口を開く。
「チキンラーメンが食べたい」
僕たちは顔を見合わせた。




