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肝試し

 時計を見ると六時四十分を指していた。外はまだ明るい。玄関で靴を履いていると「早く帰ってくるのよ」と母親が台所から僕に声を掛ける。


「うん」


 僕は返事をすると、玄関を飛び出した。振り向くと太陽が真っ赤になりながら沈んでいる。僕の家から西の方角にある、森のような植木団地は黒い影となっていて、赤と黒のコントラストがとても奇麗だった。太陽が森の中に沈むのに、もうほとんど時間はかからないだろう。自転車に乗ると、僕は太陽を背にして芝生小学校に向かってこぎ始めた。


 小学校の近くまでやってくると、友達のみんなは小学校の正門ではなく、工場の敷地が始まる丁字路に集まっていた。自転車を端に停めて道路の真ん中で何かを囲むようにして立っている。僕も自転車を停めてその輪の中に近づいて行った。輪の中心には車に轢かれた黒い子猫が死んでいた。みんな固唾を飲んで見つめている。お腹と後ろ足がつぶれていて、赤い内臓が細いホースのように飛び出している。まだ、新しくて血のぬめりを伴なったその内臓は太陽の残光に照らされて、キラキラと輝いていた。子猫の顔は、驚きの顔のまま目が開かれていて、一点を見つめて固まっている。小さな口も開かれていて、赤い小さな舌が見えた。


「可哀そう」


 沈黙のまま集まっていた僕たちの中で、最初に口を開いたのは加藤裕子だった。坂口直美と抱き合って、黒い子猫を見下ろしている。


「俺たちが帰るときは、いなかったのにな」


 小川が、そうポツリとつぶやいた。


「ねえ、埋めてあげようよ」


 加藤裕子が、再び口を開くとそう言った。でも、埋めるといっても、誰がこの子猫を運んであげるの。僕たちは互いに見つめあって、その役割を誰が担うのかを決めきれずに見つめあった。


「ちょっと、段ボールを探してくるわ」


 太田はそう言って、工場の敷地に向かって走っていった。我に返ったように二宮誠も追いかける。僕も、その後を付いていった。有刺鉄線を潜り抜けて中に入ると、工場の周りは雑草が生い茂っている。その雑草を切り裂くようにして、人に踏み固められた道の跡が工場に向かってヒョロヒョロ伸びていた。僕たちは覆いかぶさってくる雑草を手で払いのけながら、工場に向かって進んでいく。雑草地帯を抜けると、薄汚れた白いコンクリートで出来ている二階建ての工場がそびえたっていた。僕たちは入り口の前に立つ。青いペンキで塗られた鉄製のその重い扉は、少し開いていて、隙間から工場内の黒い闇が見える。太田は、その扉のドアノブを握ると、ゆっくりと開けた。


 ギギギーーー。


 長く開けられることのなかったその入り口は、引き千切られるような悲鳴をあげて口を開けた。僕も二宮も太田も、その音に背筋が凍るような恐怖を感じた。お互いに顔を見合わせる。


「小林、中を覗いてくれや」


 太田は、扉を開けたまではいいが、そのまま固まってしまっている。言われた僕も直ぐには体が動かない。二宮はそんな僕たち二人を見て、自分の出番だと感じたのか、一歩足を踏み出すと中を覗いた。


「ちょうどいいのがあるわ」


 扉の向こうに体を滑り込ませると、二宮はベアリングのような部品が入っているみかん箱くらいの段ボール箱を持ってきた。二宮は、中の部品は必要がないので、その場でぶちまける様にしてひっくり返す。すると、甲高い金属音をさせたながら、中に入っていたベアリングが工場の奥の方へと帰っていく。その様子は、大量の黒い虫が放射状に一斉に逃げ出しているようで、とても不気味だった。


 僕たちはその段ボール箱をもって、子猫のところに帰っていく。みんなは不安そうな顔をして僕たちを待っていた。


「ね、今の音、なんなの。びっくりしたんだけど」


 加藤裕子が非難めいた口調で僕たちに問いかける。二宮が手に持っていた段ボール箱を加藤に見せる。


「この段ボール。中に入っていた奴を捨てたら、音がしたんや」


 そう言うと、二宮はその段ボール箱の蓋の一部を破り取って、子猫の傍でしゃがんだ。段ボール箱の本体を塵取りに、破った段ボール辺を箒の代わりにして子猫を段ボール箱に入れようとする。作業内容を理解した僕は、その猫の傍にしゃがみ込むと、二宮から段ボール箱を受け取り、その作業を手伝った。子猫は段ボール箱に収められる時、僕を見た。本当に見たわけではないけれど、僕はそのように感じた。なんだか分からないけれど、その黒い子猫の無念のようなものを感じた。


 その子猫が入った段ボール箱を抱きかかえる二宮を先頭にして、僕たちは先ほど忍び込んだ工場に戻っていく。ゾロゾロと歩くさまは、本当にお葬式のようだ。一人ずつ、有刺鉄線を潜っていき、工場の敷地に入っていく。雑草が生い茂っている奥に、背の低い一本の木が生えている。僕たちはその木の下に、子猫を埋めることにする。周辺を見回すと、丁度いい錆びたシャベルが見つかったので、太田が手に取り、穴を掘っていく。


 ザック、ザック、ザック。


 子猫が眠るのに丁度いい穴ができた。二宮は優しく丁寧にその穴の中に子猫を収める。太田はその子猫の上に先ほど掘り出した土を被せていく。僕たちはその作業の間、手を会わせてその子猫の成仏を祈った。


「なあ、この後どうする」


 子猫の埋葬が終わった後、小川が僕たちに問いかける。僕たちは、顔を見合わせる。誰もが「もうこれで帰ってもいいのではないか」という気持ちになっている。そんな時、太田が、シャベルに持たれかかりながら、ポツリと言う。


「真っ暗になったな、肝試しに持ってこいや」


 先ほど、怖くて工場に入ることが出来なかった太田が偉そうに言う。女の子たちがいると態度が全然違うなと、僕は思ってしまう。


「そうやな、ここまで来たし。このまま帰るのも、なんかなー」


 二宮は頼もしい奴だ。こいつが居てくれるだけで、何か心強い。


「直美はどうする」


 加藤裕子が、坂口直美に問いかける。


「どっちでもいいんだけど、花火はしたい」


 どっちでもいいんかい。僕は坂口にツッコミたい気持ちを抑える。みんなの意見を聞いたうえで、小川が話し出した。


「じゃ、このまま肝試しを始めようか。ルートは初めはこの工場に入るつもりやってんけど、流石に怖いので、工場の横を歩いて行って、その先の社宅でゴール。その後は、ダイエー横の空き地で花火大会な」


「良かったー、この工場に入るんかと思った」


 影の薄い伊藤学が珍しく口を開いた。そのことに僕はちょっとビックリした。


 二宮を先頭にして、僕たちはゾロゾロと歩いていく。肝試しといっても、皆で歩くと結構楽しい。日は暮れて辺りは真っ暗になったけれど、僕たちはだんだんと愉快になってきた。先頭から、二宮、小川、太田、加藤、坂口、伊藤、そして僕の順番。伊藤の奴は、僕に怪人二十面相を読んだことを報告すると、その楽しかった様子を語ってくれた。僕はそれだけで、とても嬉しい。


 細長い工場の端まで、後もうすぐという所で、


 ガチャン!


 と音がした。それまでワイワイと話し合っていた僕たちは途端に口を噤む。何の音。一瞬で背筋が凍り付く。


「今、工場の中から音がしたよな」


 絞り出すようにして、太田が言う。


「何の音よ」


 加藤裕子が周りを伺いながら小さな声で呟く。傍にいる坂口直美の手を取り傍に引き寄せる。僕は工場の割れたガラス窓の隙間から中を伺ってみる。暗くて何も見えない。何も見えないけれど、中から何かしらの気配を感じるような気がする。


「おい」


 僕は工場の中に向かって、呼びかけてみた。僕の声が暗闇の中に吸い込まれていく。暫くすると、


「ニャー」


と、猫の鳴く声が続いた。僕たちは「フー」と息を吐きだすと、緊張した体の力を緩める。同時に、先ほどの車に轢かれた黒い子猫のことを思い出す。


「あの子のお母さんかな」


 加藤裕子が悲しそうに呟く。


「きっとそうだよ」


 坂口直美が素直に同意してまた言葉を続ける。


「私たち、あの子を埋葬してあげたし。お礼を言いに来たんだよ」


 坂口の言葉は、僕たちの恐怖心を緩やかに溶かしていく。


「行こうか」


 二宮が歩き始める。僕たちはそれに続いていく。ゴールの社宅に到着することが出来た。誰も住んでいないコンクリートでできた四階建ての社宅。工場が稼働していたころは、人が生活していたのだろう。しかし、今は人が生活をしていた名残だけを残して眠っている。暗闇の中で、そんな社宅の一室で、小さな火の塊が小さく浮かび上がった。


「キャーーーーーーー!」


 加藤裕子が甲高い声で悲鳴を上げた。その小さな火は、フッと消えた。僕たちは叫び声をあげて来た道を走り出した。坂口直美が転んだ。僕はその手を掴んで引き上げる。坂口は泣いている。加藤も泣き出した。とにかく、僕たちは走った。工場を飛び出して、自転車を停めているところまで戻ってきた。


「なんやったんや、あれは」


 戻ってきた安心感から、太田が大きな声で恐怖心を打ち払うように叫んだ。


「怖い、わたし、帰る」


 加藤裕子は泣きながら、ヒステリックに叫ぶ。


「怪我してるんとちゃうか」


 僕は泣いている坂口直美に声を掛ける。スカートの裾から見えている膝小僧が擦り剝けているようだった。


「今日はもう解散にしようか。太田と伊藤は加藤を送って行ってくれ、家の方向が同じやろ。小林は俺と一緒に坂口を送ろうか。小川は、好きな方を選んでくれ、家の方向が違うからな」


 二宮はテキパキと皆に支持を出すと、その日は解散になった。坂口さんを送りながら、二宮は僕に問いかける。


「何やったんやろうな、あの光」


 僕は答えることが出来なかったが、あの場所は秘密基地がある場所だ。この謎を解かないと、秘密基地で落ち着いて過ごせないなと、考えていた。

登場人物


小林 博幸  主人公、語り部、怪人二十面相の本が大好き、ちょっと人見知り


太田 秀樹  大柄な小学生、喧嘩に強い、いつも威張っているが、ヘタレな一面も


小川 武   面白いこと大好き、冷静な状況判断が出来る、太田と仲が良い


伊藤 学   大人しい、太田に逆らうことができない、工作が大好き


二宮 誠   学級委員長、正義感が強く、生真面目、ただ大雑把なところがある


加藤 裕子  クラスのヒロイン的存在、人懐っこくて、明るい


坂口 直美  しっかり者だが社交的ではない、かなり天然で、斜め上の発言が面白い


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