本読みクラブ
有刺鉄線に囲まれた人の住まない社宅の裏に、錆びたバスが捨てられている。学校が終わるとランドセルを背負ったまま家も帰らずに、僕はバスの中に入っていく。まだ、誰も来ていない。バスの中にある座席に座るとランドセルから大金塊を取り出す。小川から借りている怪人二十面相シリーズの一冊だ。ページを捲るたびに僕はお話の世界に入っていく。キン肉マンも面白いけれど、アラレちゃんも面白いけれど、ドラえもんも面白いけれど、貴子お姉さんが教えてくれた怪人二十面相の世界は、僕をその世界に連れて行ってくれる。暗闇で賊が窓から忍び込んできたとき、窓から吹き込んでくる風が僕の頬を撫でていく様子だって僕は感じている。カーテンの向こうからピストルを向けられた時、歯がガチガチと鳴る恐怖も味わっている。
「おい、小林、小林」
僕は夢から覚めたように顔をあげた。太田が僕を見下ろしている。僕は呆けたように返事をする。
「あ、太田か」
太田の後ろに、話したことはないけれど隣りのクラスにいる男の子が立っている。僕が不思議そうにその子を見ていると、太田がその子の腕を掴んで僕の前に立たせた。
「こいつは、伊藤 学。小林の怪人二十面相を貸してやってくれへんか」
「えっ、かまへんけど。なんで」
「俺が怪人二十面相の話をしたら、こいつ、僕も読んでみたいっていうねん」
紹介された伊藤は、太田に強要されたのか本当に読みたいのか分からないが、僕に頭をペコリと下げた。
「明日でもいいかな。学校に持っていくわ」
「良かったな学」
太田は伊藤の肩を叩いて近くの座席に座らせて、古いジャンプを手渡す。そうしておいて、また僕に話しかける。
「なあ、小林」
「なんや、仲間が増えたことやし、名前を付けへんか」
「名前って、どういうこと」
「ほら、少年探偵団とか、どうや」
僕は、太田のいきなりの提案に突拍子もないことを言うやつだなと思った。貴子お姉さんの一件では、少年探偵団のように動き回ってはみたけれど、だからと言って、少年探偵団はないやろ。そんなことを思っていると、小川がバスに入ってきて、口を挟んだ。
「太田、少年探偵団って、そんな名前、人前で言われへんで。ちょっと恥ずかしい」
「そうか、格好ええと思うけどな」
「だいたい、俺たち探偵やなくて、怪人二十面相の本が面白くて読んでいるだけやで」
小川の言うことはもっともだ。僕も思ったことを口にする。
「本読みクラブで、ええんちゃう。今日、伊藤君が来て思ったけど、皆で持っている本を交換しあったら、色んな本が読めるし」
太田は「うーん」と言いながら、自分の提案が曲げられて少し不満顔。僕は、少し角度を変えて新しい要素を提案する。
「会員番号とか作ってみるって、どう」
「それ、面白いな」
太田は直ぐに飛びついた。
「一番は小林やろ。二番は俺。三番は小川。四番は学や」
ちょっと面白くなってきた。小川も思ったことを口にする。
「それやったら、会員証みたいな物もあったら楽しいな。クラブ活動の拠点は、この秘密基地ってことで」
本読みクラブ。貴子お姉さんに怪人二十面相の本を貰ってから、太田や小川といった仲間が出来た。それがいつの間にやらクラブを作る話になっている。なんだか、とっても楽しい気持ちになってくる。
「なあ、貴子さんはどうや」
小川が、僕に聞いてきた。楽しかった気持ちが少し憂鬱になる。
「最近は話が出来ていない。二回ほど窓をノックしてみたけど、窓を開けてくれへん。最近はお姉さんに悪いと思って窓もノックしていない」
「そうかー。あんなことがあったし、しゃあないわな」
そう言って小川はバスの天井を見上げる。
貴子お姉さんは、テニス大会で優勝した後、薫の暴力事件の顛末を聞かされた。岩城薫が暴力を行った理由として、加藤真由美と田中陽子が西村貴子のぬいぐるみを盗んだことを告白したことで、その因果関係について大会終了後に先生から色々と質問を受けたようだ。その日は、貴子お姉さんとゆっくり話が出来るような状況ではなかったが、帰ろうとする僕たちにお姉さんは見送りをするために駆け寄ってくれた。
「ごめんね、みんな」
優勝をした後なのに、貴子お姉さんは少し泣いていた。
「終わったら全てを話すって言っていたよね。でも、今は、そんな気持ちになれなくて」
沈黙が流れる。僕は、お姉さんにどんな言葉をかければ良いのか分からない。
「手紙を書く。少し時間を頂戴。今まで、私のわがままに付き合ってもらって、ごめんね」
そう言ってクラブの仲間のところに帰っていった。周りを見回すと、お祭り騒ぎのように盛り上がっていたテニスコートの会場が蝉の抜け殻のようにガランとしていた。僕たちの冒険はどうやら終わったようだ。
「帰ろうか」
小川の奴が僕の肩を叩いた。
次の日の晩、僕の部屋の窓がノックされた。窓の向こうには、貴子お姉さんが立っていた。明るくて僕に小さく手を振ってくれていたお姉さんはそこにはいない。支えなければ倒れてしまいそうなお姉さんがそこに立っていた。ニッコリと力なく笑うと、封をされた手紙を僕に差し伸べる。僕も手を伸ばしてその手紙を受け取る。
「いままで、ありがとう」
そう言って、お姉さんは深々と頭を下げた。
「ヒロ君には、本当に感謝をしているのよ。ヒロ君に手紙を書いていて、私、本当にそう思ったの。でも、今回のことで、私、少し疲れちゃった。じゃ、おやすみ」
少年探偵団の皆様へ
いままでありがとう。一晩たって少し落ち着いています。昨日のことが随分むかしのことに思えます。事の発端は、学校でいじめに遭っていた岩城薫君に手を差し伸べたことから始まったの。薫君に対するいじめは、誰が首謀者か分からないくらいにエスカレートしていて、みんなバイキンのようにカオルキンと呼んで追い詰めていたの。私はほとんど傍観していたんだけど、あんまり酷いから「それくらいにしたら」って言ったの。多分、その時から私へのいじめも始まっていたんだと思う。初めは、そうとは分からなかったの。皆と同じように付き合っているつもりだったの。少し変だなって思ったのは、友達が私のいない会話の中で「貴子様」って言っているのが聞こえたの。
そんな時期に合わさる様に、ヒロ君の見ている前で事件があったでしょ。それに、犯人が高槻南高校の生徒かもしれないって知らされた時は、本当に驚いて。もう、何が何だか分からなくて。色んなことが分かり始めたのは岩城治郎の名前が分かった時から。自分で言うのも変だけど、岩城先輩は私にだけ優しくて、クラブの皆にとっては、そのことが気に入らなかったみたい。
大会の前日に、岩城薫を捕まえて問いただしたの。事件の犯人はやっぱり薫だったわ。ところが、薫は薫で私の為に何かをしようとしていたの。友達たちは、私への悪だくみを私のいないところで相談していたみたいなんだけれど、薫はその相談を聞いていたみたい。家への無言電話は薫だったの。でも、あいつ、あんなんでしょ。電話で私に話をすることが出来なかったのよ。私は、薫に、お願いしたわ。罪を償うんなら、明日の大会で私を守ってって。それが、あのような事件に発展してしまったの。
私は、みんなに作戦なんかをお願いをして何をしたかったんだろう。真由美と陽子が犯人だと分かったところで、多分、私は何も出来なかったと思うわ。ただ、私はね テニス大会に少年探偵団のみんなが来てくれて嬉しかった。本当よ。テニス部に私の居場所なんて、もうなくなっていたし。
私の恥ずかしいお話はこれで終わり。お願いがあるんだけど、この手紙を読んだら、跡形もなく燃やしてください。絶対よ、約束してね。当分は、一人にさせてください。いままで、ありがとう。
西村 貴子
「もうすぐ夏休みやな」
太田が、ボソッと言った。
「夏祭りに、貴子さんと一緒に行けたらええな」




