僕に言葉を返してください、声を、名前を返してください。眠る彼女はそう呟いた。
群青色の手紙を咥えて、白い猫が僕の夢の扉の前に立っていた。
僕がそれを受け取ると、猫さんは満足そうな顔をしながら闇に溶けて消えてしまった。
なんとなく、僕は猫さんのことを知っているような気がした。
それはそうと、両手の掌に乗っているそれはどこか見覚えのある模様。
遠い昔にもらったものとよく似ている。差出人は書かれていない。
思うに、以前手紙をくれた人と同じか、その人をよく知る人なのではないだろうか。
僕はどこも破らないように気をつけながら、封を解いた。
便箋は白紙だった。
もしかしたらそれ自体が何かの暗号だとか、どうにかするとインクが滲んでくる仕掛けになっているのかもしれないけれど、少なくとも文字を忘れた僕に読み取れる何かはなかった。
夢の中では、そもそも読み書きをする習慣がないのだから仕方がない。
そうはいっても誰かからの貰い物だということに変わりはないのも確かだ。
はて、どうしたものか。
僕は目の前の重い扉をゆっくりと開けて、部屋の奥にある机の引き出しの中に手紙を仕舞った。
引き出しを閉めようとしたとき、万年筆と便箋が見えた気がしたけれど、僕がそれを机に広げたところで、インクをぼたぼた滴らせることしかできない。
ほんの少しだけ悩んで、結局右手は机から離れた。
少し考えればわかることだ。
もしも手紙に涙のひとつでも滴っていたのなら、僕はすぐにでも闇の中へと駆け出して、今頃差出人を探し回っていたことだろう。
僕は、僕を探している誰かのことをずっと探し続けているのだから。
けれど、あれはきっとそういう何かではなくて、だたのこの世界の残滓なのだ。
割れたブロックを束ねている黒いヘアゴムのような、僕が大切に握りしめていようが雨風にさらされていようが何も意味をなさない、得体のしれないものの破片や抜け殻といった類のものだ。
僕に求められていることは何もない。
窓から差し込む月明かりの半分にも満たない光を頼りに、僕は布団に潜り込む。
ふと見上げた天井には僕の顔が鏡のように写っていて、
「本当にそれでいいの」
と口が動いて見えた。
僕は怯えるように目を逸らして布団を被り、ぎゅっと目を瞑った。
「いいわけないに決まっているだろうが」