人の育つ家
#深夜のN分小説執筆 (2018年 6月 9日分)
お題:「ザクロ」「斜陽」「シャーデンフロイデ」
葬儀があった。東京に出て自由民権運動に参加していた次男の葬儀だった。
「これまで世話になったのだから、なにかできないか」
そう言う人はいなかった。
その家は村に水を引いた。堤を作り、堤の開け具合によってどこの田圃にまで水が行き渡るのかを計算されたものだった。
水利権を要求することもなく、工事も村人と専門職とを雇って行なった。そのすべてにかかる費用の負担もした。その頃からすでに没落の傾向は見えていた。
自由民権運動に関わる政治活動家を家に呼び、あるいは見込んだ若者を都会に出し、そのような費用も惜しむことなく出していた。
その家は、遡ればその土地の人々に名字を与えた家でもあった。ある寺の住職がつけたような、犬や猫という言葉を含むような名字は決して与えてはいなかった。
それでも「これまで世話になったのだから」と言う人はいなかった。地主と小作だったからと言えば、そうだったのかもしれない。
時間を一飛びすれば、農地解放によって最終的に没落した。なにもかも取りあげられ、残った小屋に住むことになった。
それでも「これまで世話になったのだから」という人はいなかった。
残った小屋の北東には――そしてそれは母屋の北東にも――ザクロが植えられていた。
「鬼門にザクロを植えていてもな」
村人はそう言っていた。
家は没落した。だが、その家の家系は没落していなかった。その家に連なる者は、目立ちはしなかった。だが確実に思想と研究を残していた。その家の財産は土地や金銭から、人になっていた。
その家は、なにも変わっていなかったのかもしれない。人を育て、思想と研究を残す。だが、それがどれほど難しいことだったか。
そう。「これまで世話になったのだから」と言う人はいなかったのだから。
fin.