過去編:晴天
「……不死鳥、貴様は俺を馬鹿にしているのか?」
堕天使の声に微かな怒りが籠もる。
「滅ぼすだとか、戦って証明するだとか、鏡を見てから言ったらどうだ? 私は、そんな悲しそうな顔をしている奴とは戦う気にもなれない。自分の事くらいはっきり言ったらどうだ」
慌てたように己の顔に手を当てる堕天使。まぁそんなことで表情の確認など出来ないが。
この男は可哀想だ。 最初から最後まで泣きそうな感情を押し殺し、時折悲しそうな顔を零していた。
しかし意思には1本鋼のような筋が通っており、己が感情とは別の何かによって無理矢理突き動かされている事が分かる。 これが我々監視者達に与えられた、ある種の呪いのような物なのだろうか。
「……仕方ない奴だな。私が言ってやろう。 天使。お前は誰よりもこの世界を愛し、少しでも悲しみが消えて無くなるように尽力してきた。しかし、世界は絶望を孕む一方で、結果としてこうなってしまった。 望まない結果だろう。悲しい現状だろう。これはお前が招いたことだ」
堕天使は小さく息をのんだ後、俯いたままぼそりと呟いた。
「不死鳥よ。俺を殺してくれ」
……そんなことが私には出来るだろうか。
一度はこの男を殺そうとしていた。その後で世界もろとも自分も死のうと。 しかし、ツバキと旅をする内に、それがなんとも愚かしいことである事に気づけた。 そして、自分もこの場所が大好きであることに気がつけた。
根元では、私もこの男も同じなのだ。
力による救済は、それこそ世界の意思という名の、身勝手な押しつけに同調することに他ならない。 狂ったような怒りは味方をも殺すほど理性を吹き飛ばすが、あたかも正常な意思を保っているかのような仮面をつけてしまう。 しかし、それは間違っていることだ。
「ちょっとくらい前を向けよ。今のお前は最高に格好悪いぞ。元天使」
「……俺が取り返しのつかないことをしていたことなど分かっている…。分かっているが、俺にはどうしようもなかった。 いま貴方が俺を許せば、この後も同じ事が起こるはずだ」
この男は何処までも独りよがりだな…。
「お前が死んで、行き場のなくなった愚かなる意思は次に何処へ向かう…?」
先程よりも大きく息をのむ堕天使。やっと気がついたか愚か者め。
「私は、お前からその意思を切り取って、お前だけを封印してやることが出来る。 体こそ石みたいにはなるだろうが、魂までは消えやしない。ちょっとは石像の気分でも味わいながら世界を見守ると良い」
「…しかし、それでは貴方が…!」
「実は最初から、お前の重荷を私がもらい受ける気でいたんだ。 大丈夫。私には策がある」
しかし、堕天使はやはり、と首を横に振った。
「なぜそうまでするのだ。こう言っては悪いが、貴方は誰でも助けるほどの聖人ではないはずだ」
「救いに理由などいるか…?なんて格好つけたいところだが、実際の所、私はお前に親近感を覚えていたのかも知れない。同じように世界を愛する者だからな。 結局の所、力では救えない物もある。それがお前だったと言うだけだろ」
堕天使は、己の頬を伝った小粒の雫を腕でぬぐい取ると、真っ直ぐに顔を上げた。
「貴方という人は恐ろしいな。 この短時間で俺は貴方に惚れてしまった。まさに魔性だな」
「優しさに飢えてただけだろ、女性経験も無い童貞野郎が。 ほら、さっさと黙って封印されな。 そんで、ここから私の最後の戦いを見届けてくれ」
天使は、神にそうするように、片膝立ちに姿勢になり、祈るように手を組んだ。
「感謝します。我が愛しの不死鳥よ。望みが叶うならば、俺は再び貴方に会いたい」
言葉の代わりに、頭の上にぽんぽんと手を置き、封印を施す。
天使が完全に石のようになると同時に、その体から、どす黒い塊が飛び出し、私の体へと侵入してきた。
滅ぼせと叫ぶ“意思”と言う呪いによって、発狂しそうになるが、なんとか己を保つ。 私には、この後最後の大仕事があるからな。 こんな所で終わってはいられない。
ふらふらと元来た道を引き返し、ツバキ達の元へ向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戻った私を歓迎してくれたのはツバキだった。
「アイリス、待ってたよ。どうなった?」
「この通り、満身創痍だ。もう自我を保っているのがやっとさ。ここまで飛んでくるまでの間に極夜をどこかに落としてしまったよ。後で探しといてくれ」
悲しそうな顔をするツバキ。
それもそうだ。ツバキにはこの後、私を殺す役目がある。
「ツバキ、大切なことだ。一度しか言わないから、良く聞いて欲しい」
「ん?何?」
「私は人間達について見てやることは出来なかった。だから、私の管轄は魔物だけだ。 それをツバキに譲るよ。これからは魔物達をよろしく頼む」
「……僕に監視者をやれと?」
「違うさ。 ツバキには、魔物達の先導者になって欲しいんだ。 私の理想は、法も罰も無くても、争いが起こらず、皆が笑い合える世界だ。 苦しむ者がいたって良い。辛い思いをする者がいたって良い。でも、そう言った人々に誰もが手をさしのべられるようにして欲しいんだ。 ツバキには、そんな世界を作って欲しい。 お願いできる?」
ツバキは、肩をすくめ、全身でやれやれと言った表情を浮かべる。
「難しい要求をするもんだねぇ…。でも、親友の頼みとあっちゃ仕方ないね。引き受けたよ。」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
安心した。これで魔物達はだいじょうぶだろう。
私の役目は全部終わった。これでやっと、何も思い残さずに死ねる。
「ツバキ、この剣はツバキが持っていてくれ。これは一般の人が持つには危なすぎる」
私が取り出したのは白夜。
その刃を赤く燃やし…
己の腹を貫いた。
不死は解除してある。 私にはこの刃は耐えられない。
「アイリス! 君は…何を…!!」
ツバキが私に駆け寄り、肩を支える。
「………私は……ツバキに会えて……本当に良かった……。 ありがとう……」
「……アイリス……僕もさ。……君のおかげで…僕は強くなれた…。……踏み出す勇気を持てたんだ。……ありがとう。」
その日、1人の英雄の死と共に、大戦は幕を閉じ、世界は青空から差し込む光に包まれた。
少々遅刻しました。
これにて過去編は終了です……が、アイリスに関しては次回の冒頭までもうちっと続くんじゃ。
次回更新は1月7日(日)の20:00予定です。