雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ 〜ある元陸部男子高生の朝〜
ジャンル、合ってないかもです…前半はコメディー要素アリですが後半はシリアスです。オチもです。それでも宜しければどうぞお読み下さい。
「翔、さっさと起きなさい!遅刻するわよ!」
「オレ」こと井上翔はベッドの中で寝返りをうった。くそう、さっき目覚まし時計という強敵を倒したばかりだというのに、今度はいきなり我が家というダンジョンのボスキャラ、〈マメール〉と戦わなくてはならないなんて……
あ、分からないヤツのために言っておくが、マメールとはフランス語で〈オレの母ちゃん〉という意味だ。フッ、朝から流暢にフランス語で会話とは、オレ様の天才ぶり恐るべしだな、ワハハハハ……
「翔!何時いったら分かるの!いい加減起きないと本当に遅刻よ!」
足音も荒く我が部屋に侵入してきたボスキャラに対し、オレは余裕の表情で切り返す。
「マメール、何をそんなに慌てているのさ。仮にもオレ様はプリンス・ショウなのだよ?安心しなさい、オレ様のような王子様キャラの辞書には遅刻などという文字はないのだから!」
「何を寝ぼけたことを言ってるの!先週3日連続で遅刻して先生に怒られたばかりじゃない!もう、お母さんはどれほど恥ずかしい思いをしたか……」
「……そんなこともあったかもしれないが……この際過去のことは水に流そうではないか!そしてオレ様は優雅な朝の一時を、あともう少し、このベットで……」
いい終わらないうちに、オレの身体が宙に浮いた。
何と、オレ様の天才ぶりはとうとう超能力の領域にまで達してしまったのか……意外とあっけないものだな……
「ってマメール!そんな風にオレ様を抱き上げてどうするつもりだ!」
ようやく目を開けたオレは、一瞬あとにそのことを猛烈に後悔した。
「いい加減に……起きなさいって……言ってるのよぉぉぉお!」
「うわあぁぁぁぁあ!……ぐはっ」 オレは般若のような形相の母親に力いっぱい投げ飛ばされ、頭を壁に強かに激突させられたのであった。
「オ、オレ様のビューティフル・マインドが……」
あぁ、何ということだ……オレ様のこの天才的な灰色の脳細胞が数百万個ほど失われてしまった……
それにしても何という馬鹿力だ……体重も軽く60キロは越えているオレ様の身体を投げ飛ばすとは……さすがボスキャラ、マメールである。
恐る恐る背後を振り返ってみると、マメールはまだあの恐ろしい表情を崩していなかった。
「時計を……見なさい……」
触らぬマメールに祟りなし、という言葉があるが、今はまさにその状況だ。王子様キャラ危うきに近寄らず、とも言うし、オレは素直に先程倒した強敵、目覚まし時計と向き合った。
「って……は、8時ィィィイ!?」
「もう過ぎてるわよ!」
1時間前にオレに叩き潰されたはずの時計の針は8時を少しまわったところでオレに復讐の笑みを浮かべていた。秒針のヤツも絶句しているオレにお構いなしでチクタクチクタクという無機質な音と共にどんどん時を刻んでいく。「どうして……起こしてくれなかったんだ、マメール」
「さっきから起こしてたわよ!寝ぼけたこと言って私を無視した報いね、これは」
オー、ノー!王子様キャラには遅刻など許されないというのに!
オレは超特急で学ランに着替えながら天才的な頭脳をフル回転させて計算し始めた。朝のHRは8時20分から始まる。学校までは徒歩10分。つまり……
「チャリで飛ばせば間に合うではないか!」
オレはほっと肩の力を抜く。が、安堵はボスキャラの次の一言で打ち砕かれた。
「無理よ。あんたの自転車は一昨日から修理に出してるでしょう?三日連続であんなボロい自転車を酷使するんだもの、必然的にそうなるわよね」
オレの目の前は真っ暗になった。
「緊急事態だから、私の自転車を貸して上げてもいいのだけど……」
マジですか?オー、ゴッデス!女神よ!母親の鑑よ!
「でもあんたが私を無視したのが悪いんだからやっぱり貸してあげない」
前言撤回。コイツはやはりボスキャラだ。鬼婆だ。悪女の鑑だ。
「ま、自分の力で何とかしなさい」
ボスキャラのその言葉を合図にオレは鞄をひっ掴んで、大声で悪態をつきながらも10秒後には家を飛び出していた。
……ちくしょう。これだから6月は嫌いなんだ。
本当は王子様キャラたるもの悪態などついてはいけないのだが、今日だけは例外だ。
玄関を一歩出ると滝のような雨が降っていた。
傘を取りに行こうかとも思ったが、もう一度ボスキャラの顔を見るのも癪だったからそのままダッシュし始めた。すぐに学ランがびしょびしょになったが、オレは構わず走り続ける。こう見えてもオレは中学の時は陸上部短距離の準エースだったから足は速いはずなのだが、王子様キャラに目覚めてからは走っていない。王子様キャラは全力でダッシュなどしないからな。
1年ほどブランクはあるが、だんだん中学の時の感覚が戻ってきた。
同時に、頭の片隅で埃をかぶっていた記憶が蘇る。
あれは中3の6月、県大会の準決勝――
トラックを打つ雨を見据えながら、オレは神経を研ぎ澄ませてピストルの音を待っていた。
引退前の最後の大会。頭には優勝の2文字しかなかった。時折風が強く吹き付けるが、決勝までは問題なく行ける、と思っていた。
スタートは完璧。緊張を跳ね返して身体がすっと前にでた。多分トップで走れている。行ける、と思った時だった。
ふいに身体にかかる圧力。突風が吹き付ける。酸素が肺から叩き出され、頭が真っ白になる。ほんの数ミリ開けた目に雨水が勢いよく侵入してくる。
ヤバイ、後ろに倒れる――
思い切り体重を前にかけた時だった。
突然風は止んだ。風の中を泳ぐようにして走っていた身体は前に崩れそうになる。手と脚の連動した動きがバラバラになる。休憩の間中ずっと頭に思い描いてきたフォームはどこかにふっ飛んだ。
視界の端にはオレを抜き去っていくライバルたち――
タイムは14秒台。もちろん決勝には進めなかった。
地面に手をついたオレの頬を伝うのは汗?雨水?それとも涙?
6月が本当に嫌いになったのは多分この時からだ。
陸上を辞めたのもこの時のことがトラウマになっていたのかも知れない。きっと王子様キャラなんてただの言い訳に過ぎないんだ――
そこまで考えると、オレは何だか情けなくなった。
敗北のショックなんかで引退した後も陸上を諦めてしまった自分。
王子様キャラなんていってへらへら過ごした1年間。
オレの弱くて虚しい部分を見せつけられたような気分になる。
でも、アスファルトの地面の上を全速力で走っている今は本当に気持ちいい。このままどこまでも走っていけそうだ。もう雨なんか関係なかった。
雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ
そんなことを言っていた宮沢賢治の気持ちが、少し分かった気がした。
高校の正門が見えて来る。正面の時計は8時18分くらいを指している。ブランクもあったし、さすがにバテて来たが、オレは最後の力を振り絞って校舎の中に駆け込んだ。
1年生の教室は3階にある。間に合うか間に合わないかの境目だ。
上履きに履き替え、靴はそこら辺に放っておいた。休み時間に戻ってくればいいじゃん?くらいの勢いで。2階の職員室の前でもスピードを緩めなかった。後ろで先生が怒鳴る声がしたが、無視。そのまま階段を駆け上がって教室の扉の前で止まった。まだ始業のチャイムは鳴っていたかった。
大きく一息着いて扉を開けた瞬間、チャイムが鳴った。ギリギリセーフ。
「おい、井上。こんな時間に教室に駆け込むなんて遅刻同然だぞ。先週あれほど注意したというのに、お前は本当に反省してるのか」
早速説教を垂れる担任の言葉を半分聞き流し、オレは全速力で走った後のあの快感を噛み締めていた。走ることってこんなに気持ちのいいことなのに、何でそんな当たり前のことを今まで忘れてたんだろう。
「井上!聞いているのか」
頬を撫でたかとおもうと今度は髪と戯れる風。
次から次へと変わっていく景色。
悲しい気持ちも悔しい気持ちも全部風がさらっていき、代わりに走れば走るほど地面が体の底から沸き上がるようなエネルギーをくれる。
――もう1回、走ってみようかな。
「……ったく、HRを始めるから、席につけ。今度遅刻したら承知しないぞ」
オレは生返事をしながら席につくと、鞄の中から1枚の紙を取り出した。永久に使うことはないだろうとは思っていながらも、入学直後に貰ってからずっと捨てることが出来なかったそれは、2ヶ月たった今でも皴一つついていなかった。
要するに、オレにも未練はずっとあったワケだ。
思わず苦笑した後、オレはその紙に自分の名前を書き始めた。〈○○高校陸上部入部申込書
1年B組 井上翔
入部を希望した理由:走ることが、好きだから〉
書き終えたオレは、その紙を丁寧に畳んで机の中にしまった。笑みが零れる。やっと、自分のやりたいことが見つかった。
HRが終わるとクラスメートが冷やかすような声でオレに話し掛ける。
「お前また遅刻かよ。てか王子様キャラは走らないんじゃなかったのかよ?あんなに息切らしちゃってさぁ」
オレは黙って微笑みを返す。別に思い切り走って沢山汗を流している王子様がいたっていいじゃないか。だって、全速力で走ってればどんなにクールに構えているよりもずっとカッコイイ。例え今どんなに遅くたって、全速力で走ってればきっといつかは速くなる。きっとゴールは見えてくるから……
……おっと、何か熱く語っちまった。でもきっとこれが素のオレだ。そのことが何かすげー嬉しい。
今シーズンには間に合わないけど、二学期からは来シーズンに向けて猛練習だ。そして来年は必ず地区、県、そしてインターハイへ。
目標が、出来た。
じめじめした季節は始まったばっかりだけど、今オレの心の中を覗いてみたらきっと大きな虹がかかってると思う。長い梅雨を終えたみたいに、太陽の光をキラキラ反射させながら――
どこかで蛙が鳴いている。夏はまだ始まったばかりだ。オレは教室の窓の外の風景と向き合う。
「どっからでもかかってこいや」
オレはにやりと笑って、しとしと降っている雨に挑戦状を突き付けた。
如何でしたでしょうか。後半コメディーになってないですよね……それでも最後まで読んで頂けて嬉しい限りです。評価・感想など頂ければ励みになります。他にも、誤字脱字などありましたらご指摘下さい。お待ちしています。