危機(燃える港)
畿内軍閥の幕下で、中國地方を統治する山陰陽都督府が、広島湾に集結させていた葡萄月大隊には、20年前の小惑星衝突に乗じて、吉野首相らを支援するアメリカ連邦軍が、九州・関東へと上陸した「ダウンフォール作戦」に際して、彼らと戦って生き延びたバンデミエール(Vendemiaire)大隊を始めとする、旧日本人民解放軍の有用な残存将兵が、多数参加していた。また、中華ソビエト共和国やロシアからの軍事顧問団が、畿内軍を支援し、更に宇喜多清真は、アフリカ・西アジアを始めとする諸国出身の傭兵を導き、神戸など各地に布陣を展開していた。
一方、日本国教会の若き司教・十三宮聖は、伊豆半島の司祭・須崎優和と、騎士修道会「救世旅団」の家所花蓮らに和平工作を依頼し、静岡から瀬戸内海を渡った伊予松山(愛媛)へと遣わした。しかし…拠点に帰還した私達を待ち構えていたのは、北九州小倉での武力衝突と、須崎司祭らの行方不明、そして山陽軍による屋代島奪回作戦という、全面戦争泥沼化への序曲であった…。
「魔女よ、独逸にて『ニーベルンゲンの歌』を蔵書せし故、照覧あれ」
「あら、本当ですね…北欧ゲルマン神話の研究に役立ちます! 長政様、ありがとう御座います^^」
「『三河守』と呼び給え」
今や、日本列島は内戦の真っ只中にある。私の姉である十三宮聖は、須崎司祭・家所花蓮らの無事を祈りながら、眼前を走り回る少年少女の面倒も見ている。
「…ほしみくんのばか~っ! ぼくのゲームかえしてよ~っ!」
「バカっていったほうがバカなんだよ、バーカ!」
「ねえ二人とも、図書館では静かにしようよ…」
神戸から「学童疎開」して来た生田兵庫と、伊勢天照神宮に奉仕する社家の斎宮星見、そして出自不明の蘭木訓は、常連の子供達である。
「…はいはい。兵庫ちゃんも、星見ちゃんも、喧嘩をしてはいけません。悪い子は闇夜、食屍鬼に食べられちゃいますよ…」
「うわぁ! まじょのおねえちゃんだ! にげろ~!」
「あのおねえちゃん、おこるとつよくて、てからかみなりをうってくるんだよ!」
「…」
「すいません。うちの馬鹿二人が、御迷惑をお掛け致しました…ところで、今さっき話していた『食屍鬼』って何ですか?」
「あ、はい。古来より、アラビアに語り伝えられている魔物で、その名の通り、人間を食べてしまう恐ろしい鬼です。向こうでは『グール』または『クトゥルブ』などと呼ばれております。シャイターン、サタンの悪魔が、天使の流星で撃ち落とされた時に、誕生したと言われ…そうそう、必ず一撃で倒さないと、力を取り戻し復活してしまう…なんて話も御座いますね」
「それは面白そうですね…実在するなら、この目で確かめて見たい」
「ええ…シャイターンは人間に化ける事もでき、最大の武器は、特に伝染病を流行らせる事だとか…きっと彼らも星の如く、化物の物語を謡われて来たのでしょう。三河守様、イスラム世界の神話に関する図書を…」
そんな話題で盛り上がっている所に、妹の十三宮仁が、士官学院で「少年飛行兵」としての訓練を受けている、美保関天満と禅定門念々佳を案内しながらやって来た。
「姉様、お客さんが来たよ!」
「お世話になってます、伊豆守さん」
「愛生! ラブニコ日和、です!」
「えっとですね…その前に、先日お借りした『ギルガメシュ叙事詩』を返却しようと思いまして…」
「ああ、はい。舞台は都市国家ウルク遺跡ですが、『旧約聖書』にも見られる洪水説話など、興味深いですね…しかし、かくも早くお返しに来られるとは、何か至急の御予定でも?」
「お姉ちゃんの眼は、欺けませんよ? あなたの心は今、血塗られし世界を見据えている…違いますか?」
「こ…心を読まれてるニコ! やっぱりこの人、『スペックホルダー』ニコ!」
「ちっ、バレたか…一時は大宰府まで押し返されていた九州の連合軍が、再び下関への上陸を開始したというニュースは、御存知ですよね?」
「下関陥落後、山口への総攻撃が予定されていますが、その空爆作戦に、あたし達が出陣する事になりました」
「自分が未熟である事は、あたしも良く分かっています。でも…」
「私も止めたんですが、『戦わなきゃ、分からない事がある』とか言って、譲らないニコ…」
「地元の優しいお姉ちゃん」(後には「帝國最後の魔女」)として知られる十三宮聖が、最若の少年兵候補と話している間、司書学芸員の津島三河守長政は、何かを思案していた。私の隣に居る仁さんが、それに気付いて声を掛ける。
「…津島様、どうしたんですか?」
「食屍鬼と言わば、我が国に於きても、陸奥等に出没せし『人喰い族』の伝承が在る故、無縁とは思えぬ」
「戊辰の役を絶頂とする明治維新に際し、『賊軍』と呼ばれし者を始め、環境の急激なる変化に適応出来ぬ武士達が、数多く時代より落伍した。其の中には、闘争を求め文明を棄て去り、『自然』に還らんと望む者さえ居た。『英霊』よりも『戦士』たらんとした彼等は、やがて生存の為ならば眷属の血肉さえも食す野性を得るに至った。そして、其の末裔こそが…」
「つまり…幕藩が滅んで居場所を失い、歴史から取り残され、消え去る道を選んだ、名も無き武士…彼らの成れの果てが、人喰い族って事ですか?」
「飽くまで一説…否、語りに過ぎぬ。人喰い族は元来、極めて猟奇的なる形質を持つが、殊に二十年前の隕石爾来、其の能力を大幅に強化せしめたとも云う。彼奴等の遺伝子を改造すれば、人がその分身を創り、或いは変異せしめるが如き所業も亦、不可には非ず…」
今となっては後知恵だが、「グールは一撃必殺で倒さねばならない」と云う「一撃信仰」は、第二・第三のダメージを与えると、彼らの遺伝子が空中に拡散し、更なる感染者を生み出してしまう…という意味ではなかったのか? そして、津島三河の言う「人喰い族」の存在、小惑星の破片(何らかの物質・エネルギーが含まれていたと思われる)が「彼ら」に与えた影響、更には生物兵器として軍事利用される可能性を、私達はもっと早く、真剣に想定するべきであったと、後に思い知らされる事になる。それに気付いた時には、もう手遅れだったのかも知れないが…。
「その首を賭けて、尚この輩どもが救うべきであったと言うのか」
「言うに及ばず。話すも煩わしい」
「その挙げ句が何も為さず、何も得られずしても、か」
「貴様に分かる者か、下郎」
「ああ、理解し難い」
「大いに結構。貴様らなんぞに理解される辱めなどよもや堪え忍べる者ですか、気狂いどもが」
「承知した。ならば―――」
「再び水底で嘆け、須崎グラティア。主の恩寵のままにな」
「上等。墓の内で勝ち誇れ、番犬」
九州鎮台の日米同盟軍は屋代島の占領に成功したものの、畿内軍は傭兵別働隊による後方撹乱作戦を試み、遂に北九州への上陸を決行する。一転して守勢となった九州軍だが、平和な時代を築くために勝ち残る覚悟を決めた吉野首相のもとで、城原詮二郎・諫早利三・陶山聖尚・千々石リカルド及び在日米軍各隊が奮戦し、攻守は再び逆転した。九州軍は長門下関を攻略、次いで周防山口に入城し、敵方の杉良運県令も死亡、かくして長周一帯を制圧した。
・原案:八幡景綱
・編集:十三宮顯
もはや拭い切る事は叶うまい。吉野菫は、眼の前に倒れた杉良運の変色した顔を見てそう思った。
大島口・小倉口の戦いを制し、馬関海峡での海上決戦に勝って防長へ上陸した九州軍は、アメリカ軍の航空支援を受けて勢い付き、一週間で征服を完了した。十三宮教会から、和平の斡旋を託されて送られて来た須崎優和が、河内三好党から派遣された、八洲一門の「四方之魔」とされる男と、東京側の誘引に乗じた八洲余一の襲撃を立て続けに受け、行方不明となっている間、蓮池夏希達の奸計で侵攻が開始されたため、九州軍はある程度の不意を突く事ができ、優勢な軍事力を遺憾なく活かせた。山口市の庁舎に籠もって抵抗を繰り返していた県令の杉は、山口市を灰燼に帰さんとさえした陸軍強硬派の司令官達を押さえ込んだ吉野菫と、復帰した須崎優和の説得を受け、降伏開城を全世界へ通知した。吉野首相は、敵の健闘を讃える形で開城させるべく山口市に乗り込み、杉県令と会談会食を催したが、食前の酒杯を傾けた途端に苦悶し倒れ落ち、挙げ句死んだのである。
今、吉野首相は杉県令の前に立ち尽くしている。最早どうにも言い繕う自信は無い。会食場所も、献立も、県令の好む赤のワインも調べ上げてまで支度をし、彼に献じたのは他ならぬ吉野達九州側のスタッフである。県令は僅かな世話役と、秘書宇都宮勇人を携えているのみだった。宇都宮秘書は会食に同席して県令の最期を看取ったが、死の時に狼狽し怒り狂って首相に掴み掛かり、危うく引き剥がされて世話役達と別室に拘禁されている。
誰が仕掛けた。吉野菫は酷く怒っていた。いつ誰が頼んだと言うのか。こんな顛末を望む者が居るだろうか!? 煮え滾る怒りのために毛の先まで熱を帯び、見通しを奪われたために吐き出したくなる程の悪感を得た。
会見場所にあった兵が三人、杉県令の骸へと近付いた。一人の手には白い広幅の布が握られており、後には担架が続く。取り敢えず遺骸を運び出そうとしているのは分かった。誰が命じたかは知らない。少なくとも私はしてない。吉野菫は尖っていた。
語気が強い。兵は中途半端になっていた。権力者の剣幕に押され、兵はたじろいで口籠もっている。命じられた身の上は誰彼からも主格にされて、結局損のし通しとなる。兵は嫌というほど知っていて、後々の災いを懸念するあまり、問いに答える事さえままならない。
尖った問いが胸に刺さり、答えを躊躇わす。首相は尚も捲し立てて兵を困らせ、動揺させた。今、足下の杉県令は如何に思うであろうか?
青筋立てた剣幕を見受けて、副官の蓮池夏希は俄に急ぎ足でやって来た。
間に割り込み、蓮池大尉は布持ちの躊躇い人の肩を2回叩いた。兵は吉野首相の眼を見ず会釈して腰を屈めた。半端な立ち位置で難儀した担架も、それに併せてしゃがみ込んだ。
後背に動きを感じる。大尉は剣幕と対した。
噛み合うはずも無いが、首相は想像の内にある。大尉は現在の状況を把握した。
「誰の手かは分かりにくい。今は一つずつ虱潰すしかない。それに杉の死に化粧や回答も要るでしょう」
蓮池大尉は杉県令から吉野首相を押し離した。二三歩後退すると首相は大尉の腕を払った。
蓮池大尉は僅かに眼へと力を込めて吉野首相に投げた。首相はそれを迎え撃っている。
会場に運ばれ、敗将を持て成すはずだった彩り華やかな料理は、もうすっかり冷めて、加えて誰も近寄らない。皆が疑っているのだ。誰か定まらないが、きっと誰かを。県令が倒れてから各々が、頭に錯綜する情報をまとめかねていた。顔に出てしまっているのだ、分からないまま。
一時の間が空き、首相が口を開いた。直後に溜め息をつき、眼を強く瞑り、同時に眉間へ皺を寄せた。
大尉は特に何も思わなかった。
首相は一頻り顔を険しくしながら
と続けた。
眼をおもむろに開き、首相は睨むように大尉を見据えた。
大尉は平然と主に述べた。
首相は確かに落ち着いているようだった。しかし、未だに混乱状態にはあると大尉は思った。
大尉は少し拍子抜けた顔をした。
首相は思わず声を上げた。
どっちが先だったか分からない。しかし、カッとなると同時に首相は大尉の頬を張っていた。
ドラマのように分かり易い音はしなかったが、張られた大尉の頬は分かり易く赤くなった。
大尉は至って普通だった。首相の顔は怒りのままに紅潮していたが、対する方は叩かれた頬を触るでもなく、淡々と述べた。
「だってよ、正直ウチに杉が死んで得する事は無いしね。難波香奈に殺られた時もそうだけど、みんなウチに不利に働くし」
再び振り上げた手を大尉は払い落とした。
大尉は首相の腕を掴んだまま相手へ身体を寄せた。
「他にしようがある? どうせ宇喜多はこれ幸いと存分に煽り立てる。まともにやりやってウチに勝ち目は無い。ならこちらは話の辻褄を合わせてウチで結論を出し開き直る。ウチに過失なしで話作ってね。そして取り敢えず勝つ。少なくとも防長は確保してね」
大尉の顔は終始平然としていた。ただその眼は先程より厳しく、口調語調は勢いを帯びた。首相は実に腹立たしく思った。納得できるからである。
二人に少し間が空いた。周りも静かである。両人の姿が緊張を強いているのだ。
首相が先を取った。
大尉は一々反応しなかった。
杉県令の死を宇喜多へ通告してから一時間が過ぎた。諸々の手配は大尉に任せたが、弔問代わりの悔やみの文章は首相自らが書き、文言を周辺と検討して決めた。
当たり障りの無い、一方で預かり知らぬ事に動揺をしているかのように―実際動揺はしていたのだが―味を付けた内容を福原へ打電したが、すぐに返って来た反応は酷くあっさりしたものだった。
連絡に対しての事実関係の確認である。
杉の死に至る経緯も踏まえての回答を求めて来た訳だが、念のため正直に書いた。信用されるとは思っちゃいない首相だが、せめてもの誠意を示そうとはした。
これを俗に「自己満足」と言うのを、当人は良く分かっている。しかし好き好んで悪役を仰せ付かる者は早々いない。悪足掻きではあるがせめてもの抵抗はしたいのである。
悪意あるいは強欲に従うのでないなら、その者はやはりどこかで良心の逃げ場を作らねばならない。吉野菫を時に野心家として強欲の徒と見る向きもあるが、彼女の本質は別の所にある。彼女の大衆向けのアピールは時にデマゴーグに類されるが、民権尊重・弱者保護の姿勢は、何ら嘘の無い彼女の信念である。
何物も得難い程、苦しい人生を送って来た。得たモノ以上に喪って来た。それ故に与える者と成った。
県令に対しての饗応も古典的な振る舞いではあるが、しかし与えるという点においては、紛れも無い彼女の意志に沿ったものだ。その意志の前で唐突に機会を奪われ、誠意を汚された屈辱は如何ばかりか。しかし幾ら憤っても疑われるのは唯一人を於いて他に無く、今はただひたすらに低姿勢にして様子を伺うしかない。
よもや敵の顔を伺うとは。
思わず内心を顕した形相を引っさげ、屈辱で身を震わせたくなった。
そんな心持ちの中一時間が過ぎたが、宇喜多側は改めて送られた速報に対し未だ反応が無かった。
長周県令の執務室に居る首相は、老いた政庁の内装と、僅かに脚を動かすだけで軋む床の音さえ気に障った。分かっていてもジリジリとした感傷が不快を催す。
執務机の向こうへ目をやった。煙草を燻らせつつスケジュール帳を両手で弄ぶ大尉は、何事かを思案しているようだった。
大尉は声に反応しなかった。首相はペンで執務机を二回ずつ叩き、大尉は強めに叩いた四回目に漸く気が付いた。
ハッとしたように振り返る。
首相の表情を見、大尉は態度を揺り戻した。
やれやれ首相は適当な返事に肩を落とした。本当にいい加減で、分かり難い女だ。
大尉はスッと吸い込んで灰皿に煙草を押し付けた。そしてもう一本を取り出して口に咥えた。
えっ、と首相の指摘に大尉は思わず声を出した。箱の中身を確認し小声で本数を数える。その姿をつまらなそうに見る主人に、大尉は苦い顔を向けた。
「そんな蓮池家の家庭の医学知りません。肺癌催す医薬品があるか。全く変な理屈まで持ち出すなんて、これだから薬中は」
大尉は咥えた煙草を指に挟んで口から離し、ムスっとした表情を向けて来た。
「我が家は我が家です。そんな事より自分の腹周り気にしたらどうですか、元芸人」
カチン、と来た。首相は少し眉を上げた。
「そもそも気が狂ってる。皆リスクは知ってるんだ。その上でヤニ狂いになってんだから、一々止めるな。お節介なんだよ」
「社会弱者保護を訴えた貴方がマイノリティ理由にするのは本末転倒ってヤツだ」
首相の顔を見て大尉は得意げな表情になった。だが、大尉は煙草を箱へ戻した。どうやらその気が失せたようだ。
やり取りの後に間が空いた。すると今度は大尉が切り出した。
首相は一瞬何の事かと思ったが、切り出しを思い出した。
本当に他愛ない事を言おうとしていた。しかし、何と無くだが気が進まなくなって言わないでおく事にした。
彼女とよく似た煙草の吸い方をする人が嘗て居た事を。
―――最大の右腕、そして反逆者、江上という男の事を。





