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4.竜のつとめ


 子の名は女神がつけるものだと教えたら、メリュクシナは嬉しそうに目を輝かせ、二日も頭を悩ませた。そうして紅い竜は『フレレラ(赤い風)』と名づけられた。


「ヤトノ様! ご覧になって! フレレラったらこんなに小さな翼をもう動かしましたの! すごいわ」


 いきなり私室に飛び込んできた姫にぎょっとするヤトノに構わず、メリュクシナはフレレラを抱き上げてヤトノに求めた。

 竜の子は人の子とは違い殼を破った瞬間からある程度は自立している。産まれたばかりの頃は竜形態しかとれなくとも、神の竜は食べずとも死すことはない。天敵など居ない。愛情は天上神の無償の愛を受けている。

 言ってしまえば産まれてしまえば勝手に育つ。卵を育てるのが何より重要なのだ。

 しかしメリュクシナはフレレラと片時も離れず、世話を焼いている。ヤトノが子育てをしないと誰かから聞いたらしく、ことあるごとに報せにくる。


「竜の子の成長は早いのだ」

「ですがこの子のこの一瞬は今しかないのですよ」


 あまり一人に執着して欲しくはないのだが、ヤトノがフレレラに興味がないと思い込むと途端にメリュクシナは膨れっ面になってしまう。仕方なしに竜の子の頭を撫でた。


「僕だってこの子は可愛い。だが次の卵もあるし、そちらはどうなのだ?」

「もちろん毎日大事にお世話しておりますわ。でも」

「わからぬことでもあるか?」

「なぜヤトノ様は来てくださらないの? 前は女神と共に聖域にいらっしゃると……」

「僕がいては楽しめないだろう?」

「そのようなこと……わたくし、わたくしはヤトノ様と」


 全く姫の気持ちを察しない神の横腹を小突いたのは従者シットエだ。


「姫君ご安心を。長は姫のお勤めの間ご自分の勤めも忘れ、聖域の気を何度も、それはもう何度も確認しております」

「それはどういう……?」

「どうせ仕事にならぬのだから存分にお連れ出しください」

「おぬし……余計なことを。またメリュクシナに嫌われるではないか」


 素知らぬ顔の従者はメリュクシナに視線を促した。てっきり冷たく睨まれていると思った。実際は彼女は綻ぶ花のように可憐に笑っていた。




 聖域での勤めと言っても特別なことはしていない。卵の様子をひとつひとつ丁寧に見て、言葉をかけてやる。他にやることもなくなると必要もない雑草毟りをしてみたり、卵を磨いた。


「何かもっと特別なことが必要なのだと思いました。わたくしである必要があるのでしょうか」


 花畑の中に座り、シロとクロがフレレラと遊んでいるのを見守る。彼女が勤めを始めてから徐々に竜たちが集まるようになった。子供たちでなく成竜もメリュクシナを怖がらせないように遠慮がちに傍に寄ってきたのだ。最初こそ喰われるのではないかとびくついたが、彼らはみな優しかった。女神を母と慕い、花冠を編んでくれたり、竜のたてがみで作った御守りをくれた。


 赤い風が転がるように駆けてくると母の懐に勢い良く収まった。短い尾を激しく振り、鼻面をふんふんと頬に寄せぺろりと舐める。女神は楽しげな声で笑い、小さな竜の身体をこれでもかと撫でてやった。

 久しく見ない竜と人の無邪気な戯れにヤトノは目を細める。


「そなたがここにいることが大切なのだ。声を聞かせ、よく世話をしてやってくれ。人でなく竜を呼んでいると忘れないで欲しい」

「もちろんですわ。竜の子のなんとお可愛いこと!」


 ヤトノは苦笑する。竜を敬う気持ちを忘れるなと言ったつもりだったのに彼女ときたら犬の仔でも拾ってきた娘のようだ。


「そなたは竜が怖くないのか。僕を畏れない?」

「……そのようなこと。わたくしまた竜大神に無礼を働きましたか。申し訳ごさいませぬ。わたくし夢中になると周りが見えなくなると、よく皆に注意されました。そうでしょうか?」

「いや、良いのだ。僕はそなたのそれをいとおしく思っている」

「いと……!?」


 上擦った声を上げたと思ったら勢い良く立ち上がり、端のほうにある卵のところまで走って行ってしまった。


「また嫌われてしまった……」

「最初はどうなることかと思いましたがこれで安心しました」

「勤めはな。当分は大丈夫だろう」

「姫はどうやら思い込みが激しいので長がお気をつけなされよ」

「わかっている」


 シットエは橙の尾を揺らし、心配そうな視線を向けた。


「わかっているから心配せずとも良い」

「長は我らより長く勤めを果たしてきたのだからもっと完璧な方だと思っておりました」

「軽く僕をけなしたか?」

「いいえ。きっと我らより人と過ごす刻が長いからなのでしょう。我らには理解し得ぬ時がある」


 そして人間にも理解し難い存在だった。誰も理解はできぬ。彼は神なのだ。


「いずれ女神はまた……」


 竜の子と戯れるメリュクシナがヤトノの視線に気づくと遠慮がちに手を振った。怒ったと思えば笑う。ここに送られた頃を思えば本当によく笑うようになった。打算もなく畏れを見せてもあまりに本心を出しすぎる素直なおなごだ。今までの女神とは違う。

 でも本質を識れば必ず変わる。変わってしまう。


「我らと同じであると思えば良いのです」

「それもまたつらいことだな」


 従者は軽く微笑んだ。


「人間はそれを優しいと言うのでしょうな。私は嬉しい、とそう思います」


 竜の感情は人のそれとは違う。畏れはない。無駄に細やかな機微もなく、神のご意志に忠実だ。そうやって創られた生き物だから。憐れだとも、変えてやろうとも思わないのは、ヤトノもまたそのように遣わされた神だからだ。

 けれど永き時は少しずつ変質させてしまったのだろうか。かつて勤めをつらいなどと考えたことがあったか。

 ――もう覚えていない。


「ヤトノ、あまり考えるな。過ぎたる思考は人間に近づきすぎる。おぬしを見ているとそれは良くないことに思える」

「おぬしの小言は他の誰よりも遠慮がないな」

「私の母のおかげだろう」


 幼きシットエを抱き上げた女神の顔がメリュクシナの顔に重なってしまい、軽く首を振った。


「覚えてはおらぬか。そうか、そんなに長く私はおぬしに仕えたか」

「シットエ」

「私も変わったのだな、丁度良かった。勤めが果たせなくなっては困る」


 胸がざらつく。もう随分前から勤めの前になると空虚になる。


「そのような顔をするな。我らは神の御許に在るのだ」


 小言ばかりの仏頂面の従者はヤトノのいかにも人間染みた『悲しみ』に直面してなお、圧し殺さねばならない表情に笑んでみせた。

 当然のこと。永きに渡り多くがそうしてきた。だから安心して進め。変わらず進め。これが竜の勤めなのだから。


 ――進んではいないだろう?


 湧いた疑問は押し込め、ヤトノも従者を安心させるために笑みを浮かべた。きっとちゃんと笑えてはいなかったのだ。シットエには困ったように目を細められてしまった。

 それでも二人はこれ以上は何も交わさず、産まれたばかりの命と人間の娘の戯れを見守った。




 黄昏島から金の星が降り注ぐ。光の帯を棚引かせ地上の民へ罪を知らしめる。

 火花が散り、命も散る。

 たれそかれ。誰そ彼。

 聖域でメリュクシナは星が瞬き流れるのを見た。


「まあ、きれい」


 竜の子が鳴いて、女神は微笑む。

 幸せが溢れている。神のお傍に在ることは何よりも尊きものである。噛み締めずにはいられなかった。




「ヤトノ様、フレレラがもうこんなに!」


 よちよち飛んでいた幼竜はすでに人型を象れるようになり、メリュクシナに手を引かれ歩ける程に成長した。彼女の手を引くようになるのもあっという間だろう。


「あら、今日お連れなのはシットエ様でいらっしゃらないのですね」

「ああ……そうだな」

「シットエ様はわたくしが来た時もよくしてくださって、ヤトノ様がいかに素晴らしいお方か文をくださりましたの。わたくしがヤトノ様にご無礼を働いたから気が気でなかったのでしょうね。悪いことをしました。あの方はとてもヤトノ様をお慕いしているのですね。ヤトノ様もお心をお許しになっているようで羨ましい限りですわ」

「メリュクシナ」

「まあ、嫌だ。羨ましいだなんて、わたくしそんな畏れ多いこと……!」

「メリュクシナ、シットエはもう島を出立したのだ」

「出立? 竜のお勤めですか。いつ頃お戻りになるのです? ヤトノ様ったらシットエ様がいらっしゃらないと朝のご支度ができぬと不安なのではありませんか。そのようにお寂しそうなお顔をなされて」

「シットエは戻らぬ」

「え?」

「この島を出た者は二度と戻らぬのだよ」

「なぜ」


 問いたかったけれどメリュクシナはそれ以上の言葉をヤトノに吐き出せなかった。彼があまりに悲痛な表情をしていたのだ。いつも穏やかに笑む神の、こんな姿は初めてだ。

 この時メリュクシナは初めて彼らの勤めに疑問を持った。





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