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三人の女性は、シャーロットたちの前で立ち止まると不躾な舐めるような視線をシャーロットに浴びせた。
女性ばかりのお茶会などの席で、『大中小の三人』と話題に登れば、それはこの目の前の女性たちのことだ。
『大中小』とは身長を指している。
『大』は、伯爵家の未亡人。
『中』は、男爵家夫人。
『小』は、子爵家夫人。
彼女たちは公式非公式問わず、いつも三人一緒に行動していた。
貴族の女性たちは仲の良し悪しはあれど、公式の場では幅広い交流が求められる。
だが、特定の女性同士の社交だけを行う三人は貴族たちの中では少し浮いた存在だ。
「三人でいるから浮いた存在なのではなくて、浮いた存在だから、三人でいるしかないというのが真実だと思うわ」
そう言ったのは、アメリアだ。実際、彼女たちを目の前にすると、アメリアの言葉は正しいのかもしれないと思った。
『大』の未亡人が口元に扇を持ってきた。
紫と黒の幾何学模様に、金の縁取りがされた、けばけばしい趣味の悪い扇だ。ドレスもまた紫で、全面に金糸で蝶が刺繍されている。深く開いた胸元から覗くのは豊かな胸の谷間だが、正直下品でしかない。
シャーロットを見る淡褐色の瞳が、ゆっくりと細まる。豊かな赤髪は強めに巻かれ、肩に流れる様は、まるで蛇のようだ。
ねっとりとした嫉妬の色を、その瞳に感じる。彼女がアルフレードの後妻の立場を狙っていたのは、周知の事実だった。
残りの『中』『小』の夫人たちは、彼女の取り巻きのように一歩下がって、シャーロットを睨むように見ている。彼女たちも、『大』の未亡人に負けず劣らず趣味の悪い装いだった。
隣に立つアメリアを筆頭に、多くの夫人たちや令嬢がシャーロットと三人の夫人を興味深げに見ていた。
「それにしても嘆かわしいこと」
挨拶の言葉もなく、突然声を発したのは、『大』の未亡人だった。彼女は嘲るように表情を歪めている。
「公爵家令嬢たる貴女は婚約破棄という不名誉を受け、さらにはその父親と婚約するなんて。貴女のその厚顔さには、逆に感心致しますわ。
それにしても、公爵家令嬢でありながら、そこまで筆頭公爵家に執着するなんて、恐ろしい方ね」
『中』と『小』の夫人が「全くですわ」と同調して頷く。
「その若い肢体で籠絡しましたの?それとも、身分を笠に、無理矢理その地位におさまったのかしら。どちらにしろ、嫌らしいこと」
『大』の未亡人の嘲笑に、シャーロットの周囲の空気がざわりと揺れた。
流石にそこまで言う必要があるのか。そう囁きあう声も聞こえる。
シャーロットに向けられていた好奇の視線が同情の視線へと変わるのを感じる。横に立つアメリアは、怒りに目を吊り上げていた。
それを「大丈夫ですわ」と、アメリアの耳元で囁くことで抑えてから、シャーロットは彼女たちに対峙するため一歩進んだ。
「婚約破棄からアルフレード様との婚約に至るまでのこと。どのように解釈して頂いても構いません」
シャーロットは、背筋を伸ばし『大』の未亡人を射抜くように見つめる。
そんな風に罵られても、大したことには思えなかった。
「ですが、一つだけ、申し訳なく思います」
シャーロットが軽く腰を折れば、その黒髪に飾られた髪飾りが、シャラリと鳴った。
アルフレードから愛されている。その事実は、シャーロットをどこまでも強くする。
「ーー何を謝られるの」
ズリと音を立て、『大』の未亡人が後ずさるのを、下げた視線の先で認めてから、シャーロットは顔を上げた。
怪訝そうな顔を隠しもせずにいる『大中小の三人』を、シャーロットは冷えた目で見つめた。扇を広げ口元を隠し、笑みを浮かべる。
「貴女の欲しいものを私が得ていることですわ。本当に、ごめんあそばせ」
首を斜めに傾け、ほほほと笑えば、『大』の未亡人はカッと顔を赤くさせた。
次の言葉がすぐに出てこないのだろう。『大』の未亡人が口を数度開閉させている。『中』と『小』の夫人も、呆然としながらも『大』の未亡人に気遣う視線を向けるだけだ。
『大、中、小の三人』を順に冷めた目で見たその時、シャーロットは王族が座る壇上の席が一つ空いていることに気付いた。サイラスが行動を開始したらしい。
同時に『大、中、小の三人』の向こうから一人歩いてくることを認めた。
聞いていた通りの容貌と衣装に、シャーロットは思わず口角を上げる。
「マーガレット様」
絶句する『大、中、小の三人』を無視して、シャーロットが呼べば、その声に反応して桃色のドレスに身を包む女性が立ち止まった。
軽く首を傾けたその女性に、シャーロットが名乗り腰をかがめ礼を取れば、マーガレットは得心したように目を細めてから、挨拶を返してくれた。
「この度はご挨拶が遅れまして申し訳ございません」
謝罪とともに一歩、シャーロットの方へ近付いたマーガレットは『大、中、小の三人』へと、つと視線を向ける。すると、彼女たちは場所を譲るように一歩下がった。
まあ、素晴らしいわ。目線だけで、あの三人を威圧されるなんて。
シャーロットは感心してマーガレットを見る。
辺境伯令嬢 マーガレット。
金の髪に緑の瞳、薔薇色の唇。その美しさは女神のごとくと讃えられており、今シャーロットの前で鮮やかな存在感を放っている。
そして、彼女こそサイラスの想い人ではと噂される人物だ。
彼女の登場に、場がさらに色めき立つのがシャーロットにも分かった。
聴衆は正直だ。
シャーロットと『大、中、小の三人』の勝敗の決まりきったやり取りには、もはや見向きもせず、今話題の人であるマーガレットへ好奇心をさらけ出している。
負けが決定的になる前にと、『大、中、小の三人』がそそくさと立ち去って行くのをシャーロットは静かに見送る。
なんとまあ、呆気ないこと。
シャーロットのそんな想いが通じたのか、マーガレットは「小物ですわねえ」と一蹴した。それに無言で、だが、しっかりと微笑むことで肯定したシャーロットに、マーガレットはクスリと笑った。
「災難でしたわねえ。せっかくの楽しい夜会であのような方々に絡まれるなんて」
「ええ。でもマーガレット様のおかげですわ。このようにすぐ退散してくださるなんて思っていませんでしたもの」
「ご立派な婚約者を持つとたいへんですわねえ」
「あら。彼の側に入れるのなら、それは苦にもならないことですのよ」
「まあ素敵な惚気ですこと」
若干呆れたようなマーガレットからの視線をシャーロットは微笑で受け流した。
そして、興味津々といった様子だったアメリアをマーガレットに紹介したところで、聴衆に波のような動きが起こる。
やっと、サイラスがやって来たようだ。
聴衆のざわめきが止んだ。と同時に、「シャーロット」と名前を呼ぶ明朗な声が場に響く。
その声に応じてシャーロットが淑女の礼を取れば、マーガレットとアメリアは同じように礼を取りつつも一歩下がった。
ようやく一矢報いる時がやってきたようだ。
逸る気持ちを抑えるために、礼の姿勢からゆっくりと顔を上げる。
今夜のサイラスは、銀と黒銀の糸の刺繍が鮮やかな白の衣装を身に纏っており、虎と讃えられるに相応しい。
だが、シャーロットの前までやって来たサイラスは灰色の目をキラリと光らせながらも、口角が上がるのを慌てて抑えたような曖昧な表情を見せていた。
それをシャーロットは無言でねめつけると、彼は誤魔化すようにシャーロットの手を取り、掌に唇を寄せた。
「シャーロット、私の薔薇。君はいつ見ても美しい」
芝居掛かった言葉を受け、シャーロットもまた、わざとらしく照れて見せる。
「相変わらず、お上手でございますこと」
そう言って首を傾け扇で口元を隠せば、サイラスは楽しそうに目を細めた。
「君はいつも認めないな。だが、私の本心だよ」
サイラスが自身を『私』と言う。ここが公式の場だと十分な程自覚しているくせに、このような遊びを口にするのは、気持ちが高揚しているせいだろう。
シャーロットは、自分がそれに付き合わなければならないのかと内心苦笑する。
「では、有難くそのお言葉はお受けしましょう」
シャーロットがそう言えば、サイラスは「是非そうしてくれ」と頷いた後、にやりと笑った。
「その美しさは筆頭公爵のためか?」
「ええ、もちろん。私の婚約者のためであり、それ以上に婚約者のおかげですわ」
目を細め、サイラスのさらに後方。遠い壇上の王の側に控えているアルフレードを見る。すると遠い壇上の上にいるアルフレードと目が合った気がした。
こちらを気にしてくれているのだろう。そう思うと同時に、歓喜で体が震える。
幸せなのだ。
たとえ、誰もが政略的な婚約だと思っていても。
「良いな、羨ましいよ。君にそこまで思われているとは」
その言葉に顔をサイラスへ向け直し、シャーロットは艶然と見えるように微笑む。
「サイラス殿下のマーガレットも、きっと貴方様の愛を受ければ美しく咲き誇りましょう」
シャーロットの言葉に、周囲が騒めく。
とうとう、サイラスの相手が分かるのではないか。そんな空気が、ひしとシャーロットとサイラスを取り囲む。
だが、サイラスは感じているだろうその空気をあえて無視し、会話を続けてきた。
「そう思うか?」
「はい。私はそのように思いますわ」
ふむ、とサイラスは頷く。
「では、もう良いだろうか?私の気持ちを言葉にしても」
「どうぞ、ご自由になさってくださいまし」
パチンと扇を閉じれば、すぐにサイラスの視線が自分から外される。
次に起こるだろうことを思えば、楽しみで口元が緩みそうだ。扇を閉じたのは早計だったかもしれない。
そう軽く後悔していると、サイラスはシャーロットの後方を見た。
目尻が下がっている。喜びに満ちた表情はひどく甘やかだ。
「私の麗しのマーガレット。君に想いをようやく伝えれると思うと嬉しい」
嬉々とした、それでいて甘さを含んだ声を発しながら、サイラスはシャーロットの脇を通りすぎた。
そして立ち止まったサイラスは白い嫋やかな手を取る。
「ねえ、私のマーガレット。私を見ておくれ」
そう言って、サイラスはアメリアの掌にそっと唇を寄せた。