5
屋敷に戻ってから、シャーロットは忙しなく過ごした。
アルフレードから届いていたドレスの最終的な細かい調整をし、一緒に贈られた装飾品と合う髪型を検討し、何通か手紙をしたためた。夜会に参加するだろう人たちのリストに目を通して彼らの背景を確認し、屋敷に戻った次兄を捕まえて念のため一度ダンスを復習した。
そうして、夜会当日。
夜会の会場となるホールへと続く扉の前には、三組の男女が並んでいる。
その列に、シャーロットは次兄とともに続いた。
後少しで、夜会会場となるホールへと続く扉をくぐるのだ。
「そんなに緊張するな。シャーロットなら大丈夫だ」
朗らかさを意識した声音でそう言われ、シャーロットは兄を見上げた。
シャーロットと同じ色の瞳は心配そうに揺れていた。
「ーーそんなに緊張して見えまして?」
「手に力が入っているからね」
軽く頷いた次兄の腕に添えた手を見て、ようやくシャーロットは次兄の言葉が正しいことを知る。
シャーロットの手の中で次兄の夜会用の純白の軍服が、きつく皺になっていた。
「痛かったかしら、ごめんなさい」
慌てて力を抜くと、次兄は「まさか痛いわけがない」と笑った。
「シャーロットは誰よりも美しいのだから、堂々としておけば良い」
兄の欲目だとは思うが、シャーロットはその言葉を嬉しく頂戴することにした。
背筋を伸ばし、次兄の軍服の皺を軽く伸ばすようにしてから、改めて手を添える。
姿勢を改めたシャーロットに、次兄は目を細めた。
「うん。美しい」
そう言って満足そうにシャーロットを見た次兄だが、すぐにその表情を険しくした。
「やはり俺は宰相閣下の行動に納得できん。婚約後、初めての夜会だぞ。婚約破棄からの一連のせいで、世間に悪様に言われているお前の側に宰相閣下がいなくてどうする」
「お兄様は相変わらずお優しいですわ。でも私は平気ですのよ」
「何故だ」
不服を隠さない次兄の声音にシャーロットはそっと結いあげた髪に触れた。
「この髪飾りのおかげですの」
アルフレードから贈られたのは三つ。
一つ目は、金糸と朱色の鮮やかなドレスだ。腰から裾へふんだんにヒダがあしらわれており、シャーロットの動きに合わせて朝日のような輝きを見せている。
二つ目は小さめのダイヤモンドが五つ並ぶ華奢なネックレス。ハートカットネックの胸元と鎖骨の上で上品に煌めいている。
そして、最後の三つ目は、白銀に金や真珠を使った緻密な飾りが連なる髪飾りだ。
その三つ目の贈り物は、アルフレードがわざわざ東国屈指の職人に依頼し作らせた逸品だ。『白藤』と銘打たれているそれは、シャーロットが動くのに合わせて髪飾りが揺れ涼やかな音を立てる。
その音を聞くたびに、シャーロットは、その飾りに添えられたカードの言葉を思い出す。
カードに書かれた言葉。
「私の君への愛をこの飾りと、その花言葉に込めて。まさに君は白藤そのもの」
このたった二行の言葉に、シャーロットはアルフレードからの溢れんばかりの愛を感じた。
「お兄様。この飾りは白藤を模したものですの」
「ーーなるほど。確かに言われればそうだな。城の庭で見たことがある」
次兄の言葉にシャーロットは頷く。
藤は東国の固有の樹だ。今は友好の証として王城の庭にも植えられているそれを、シャーロットも王妃の園遊会で一度だけ見たことがあった。
盛りとばかりに垂れる紫や白の花弁はまさに圧巻の一言に尽きた。
「では、藤の花言葉はご存知でいらっしゃるかしら」
「いや、知らない。知ってるだろ、俺はあいにくそういったことに詳しくない。いや、シャーロットの周りの男性が詳しすぎるんだ」
アルフレードやサイラスのことを言っているのだろう。その言葉にシャーロットは、うふふと思わず声に出して笑ってしまった。
駄目だと思いながらも、頬が緩むの止められない。
片眉を上げた次兄に慌てて扇で口を隠してから上目遣いで次兄を見る。
「藤の花言葉は、『恋に酔う』『決して離れない』ですの」
シャーロットの言葉を聞いたとたん、次兄は盛大に顔をしかめた。
「…いい年のくせに気障な男だ」
「そこが好きなのです」と言ってから、シャーロットはわざと髪飾りを揺らす。
「この飾りが有れば、私は一人でどのような場にでも立てますわ」
「お前は本当に…」
次兄の呆れた声と、ため息を吐くのを抑えたような微妙な表情に、シャーロットは扇で隠したまま口角をあげる。
「それに、今夜はしょうがありませんのよ」
シャーロットは次兄の耳元に扇と共に口を寄せる。
「虎のために獅子が遠慮してくださいましたの」
ささやいたその言葉に、次兄は目を見開いた。シャーロットの顔をしばらく凝視し、そして今度はしっかりと深く息を吐いた。
「何を起こすのかは教えてもらえないのか」
『何が起こるのか』ではなく、『何を起こすのか』と尋ねる次兄に、流石よく分かってらっしゃると、シャーロットは微笑む。
「傍観されるのがよろしいかと」
「ーーでは、そうしよう」
シャーロットの返答に、次兄は数度瞬き、諦めたように肩を落とした。
シャーロットたちにホールに出るよう促す声がかかったのは、その後すぐのことだった。
扉の先で、まず目に飛び込んだのは美しいシャンデリアだ。シャンデリアの装飾自体は多くない。だが、光を反射する様は息をのむほど美しい。
シャンデリアが飾られる天井には、宗教画が色彩豊かに描かれていた。
階段の上で、家名と名前を呼ばれながら、シャーロットはうっとりとそれを眺める。
「シャーロット、行くぞ」
次兄から軽く視線で笑われながら促され、シャーロットは礼をとった後、階段へと歩みを進めた。
階段を降りながら感じるのは、多くの人の視線だ。
それは、好意的なものばかりでは決してない。
男性からの好奇な視線や女性からの嫉妬や蔑みの視線を、シャーロットは一身に浴びる。
折角の華やかな気持ちを削ぐそれらも、シャーロットにとって予想の範囲内だ。
むしろ、シャーロットの立場を羨む視線は悪くないとさえ思えた。
シャーロットたちが階段を降り切れば、後はシャーロットと同格の家の紳士淑女が続く。シャーロットたちの両親はシャーロットから数組後に現れた。そして、その後を来賓の方々が続く。
西国特有の褐色の肌を持つ男性や東国の衣装を身にまとった青年と少女がゆったりとした様子で階段を降りて来ていた。
シャーロットが視線をホールに移せば、サイラスのマーガレットの姿が目に入った。興味深そうに階段から降りたばかりの西国の男性を見ている。
その彼女にこれから起こることを思い、シャーロットは少しの罪悪感と多くの同情を込めた視線を送った。
全員が階段を降りホールに揃うと、壇上にアルフレードが現れた。堂々とした様子に、シャーロットは思わずうっとりと眺める。
アルフレードは厳かな声でサイラス、王妃の順で名を呼び、二人を溢れんばかりの拍手でもって迎える。最後に現れた国王には、拍手だけでなく歓声が上がった。
お茶会など私的な集まりで会うのとは違う威風堂々とした様子の国王からの挨拶を聞いた後は、ホールが自由な社交場に変わる。
次兄とダンスを一度踊れば、次々、ダンスに誘われる。だが、それをやんわりと、時には次兄がきっぱりと断りながら、二人で昵懇の方々に挨拶に回ったり挨拶を受けたりした。
一通り挨拶は終えただろうか。
先程挨拶に来てくれた伯爵家夫妻の後姿をぼんやり眺めていたところに、名前を呼ばれる。
そちらに目を向ければ、アメリアが小さく手を振っていた。薄緑色のティアードスカートのドレスは可憐で、アメリアに良く似合っている。アメリアは同伴者に一言二言話した後、こちらに向かって歩いてきた。
彼女の同伴者は確か彼女の従兄だったはずだ。その彼から離れるということは、彼女もまた挨拶を無事終えたのだろう。
「では、シャーロット。また後で」
にこやかな笑みを浮かべた次兄はアメリアを認めた途端、そう言ってシャーロットのそばから離れた。次兄と同様の軍服を着た男性の方へ手を挙げて向かっていく。
先程の忠告を、しっかり守るつもりなのだろう。
懸命な判断ですこと。
そう思いながら、シャーロットもアメリアの方へと歩き始めた。
「婚約者とはお会いできまして?」
ホールの中心では、華やかな男女数組がダンスをしている。だが、そのホールの中心を囲むように何脚も置かれたソファこそ、女性たちの社交場だ。そこかしこで自由に座って淑女たちは会話を楽しんでいる。
アメリアと共に空いているソファが無いか探しながらシャーロットが尋ねれば、アメリアは扇で口元を隠してから、首を横に振った。
「父にもう少し待てとたしなめられたわ」
アメリアが肩をすくめる様子に、扇で隠された先では、口を尖らせているのだろうとシャーロットは予想を立てる。
「地位ある方なのでしょう。挨拶が忙しいのかもしれませんわ。焦らなくても、夜は長くてよ」
シャーロットの慰めにアメリアは「そうね」と頷くと、気を取り直すように首を伸ばしホールを見渡した。
そして、ある一点で、軽く目を見開いた。
「シャーロット。早速のようよ」
こそりと耳に囁かれたアメリアの言葉に、シャーロットはアメリアの視線の先を見る。
あらまあ、本当だわ。と、シャーロットもアメリアにしか分からない程度に頷き返した。
二人の視線の先。
三人の女性が歩いてきていた。