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夜会まであと一週間となった日。王立学園寮に暮らす学生の内、夜会参加者たちが準備のため、それぞれの屋敷へと戻りはじめた。
シャーロットもまた、自室で軽く荷造りをしていたが、アメリアが訪ねてきたことでその手を止めた。
「まあ、アメリア。どうぞお入りになって」
そう言って迎え入れたアメリアは、無言のまま勝手知ったる態度でシャーロットのベッドの上に腰を下ろした。
俯き、膝に乗せている自身の手に視線を向けている。
いつも楽しそうなアメリアにしては珍しい態度だ。
シャーロットは勉強机の椅子をアメリアの向かいに動かしてから座ると、深刻な様子のアメリアを静かに見つめた。
「婚約者と会うことになりそうなの」
シャーロットが向かいに座って、少し経った時、ようやく口を開いたアメリアのその言葉にシャーロットは思わず眉を寄せた。
「それは確かな情報ですの?」
「残念ながら、ね。父から『婚約者が決まった。夜会で会えるので、そのつもりで』という旨の手紙が来たわ」
「どのような方かは教えて頂けましたの?」
シャーロットの問いに、アメリアは否定の言葉を口にした。
手紙は、婚約者を夜会にて紹介するという旨で終わっていたらしい。
「もしかしたら西国の方かしらとは思っているの」
アメリアは伯爵位を持つ父と学者の母を両親に持つ。彼らは現在、西国へ大使として赴任していた。
アメリアの母は、平民ながらも学者として国への貢献度は高い立派な女性だ。
二人はこの学園で出会い、身分差を乗り越えた大恋愛の末の結婚だった。
「両親のような大恋愛をしたいとは思ってはいないの。でも、穏やかな方であれば良いなと思うわ」
アメリアはそう言ってため息を吐いた。
人生の一大事だ。婚約者に対して期待と恐れが入り混じっているのだろう。
シャーロットはそんなアメリアを慰めるように、ゆっくり頷く。
「きっと素敵な方よ。ご両親がアメリアの相手にと決めた方なのですもの」
シャーロットがアメリアを見つめてそう言えば、アメリアの瞳は不安そうに揺れた。
「ええ、そうね。そう信じることにするわ」
アメリアは自らを納得させるように数度頷き、気持ちを切り替えるようにぎゅっと目を閉じた。
そして、次にその目を開けた時にはもう、まっすぐ視線を向けてきた。
「その言葉を貴女が言うと説得力があるのかないのか微妙なところではなくて?」
「あら、まあ。そうかしら」
ニヤリと笑うその表情を見て、いつものアメリアに戻ったことを安堵しながらも、親の決めた婚約者とは破談になったことをからかわれ、シャーロットは頬に手を添え首を傾けて見せる。
素知らぬ顔で返答すれば、アメリアは呆れた表情で肩をすくめた。
だが、すぐにその瞳に好奇の色が宿る。
「婚約者と言えば、王子殿下の婚約者はどうなったのかしら」
おどけた調子でそう言ったアメリアに合わせるように、シャーロットは微笑む。
「その噂をご存知でしたの?」
「今、ご婦人の間で話題の『サイラス殿下のマーガレット』よ。勿論知っているわ」
アメリアはふふんと得意げに笑った。
「私も、貴女に負けない情報網は持っているのよ」
軽く胸を反らせて見せるアメリアにシャーロットは思わず笑みを深くさせる。
「シャーロットが一番、情報を客観視して教えてくれそうだと思ったの。だからお友達になって」
そう言って握手の手を差し出したアメリアを、シャーロットは思い出す。
それが、アメリアとの初めての会話なのだが、彼女はあの頃のまま変わっていない。
学者の母を持つからか、アメリアは情報や知識を得ることに対する欲求が強い。
サイラスの情報も、彼女の網にはきっと簡単にかかっただろう。
「夜会は、きっと大騒ぎになりますわね」
自分の声が弾んでいるのが分かり、シャーロットは慌てて声音を抑える。気持ちが隠しきれていないと自嘲しつつ、アメリアを見れば彼女も楽しそうに頷く。
「ええ、きっとそうね。どのような方なのかしら。噂では、留学先の東国の方ではないかというのが大半の予想のようよ。
確かに、マーガレットという名前の少女と仲が良いらしいという情報もあるわ」
「あら、大半ということは、貴女のお見立ては違いますの?」
シャーロットの言葉にアメリアは力強い肯定を返した。
「私はもう一人のマーガレットが有力だと思うわ」
「もう一人のマーガレットというと…」
「辺境伯のご令嬢のことよ。子どものころ、ご病弱だったせいであまり領地から出たことがない方らしいわ。なんでも、とても美しい方らしいの。花も霞む美しさだったと、話してくれた方もいたわ。
だから、きっと彼女こそ王子殿下のマーガレットよ」
「あらまあ、流石アメリア。素晴らしいですわ」
アメリアの饒舌さに、軽く拍手を贈れば、アメリアは朗らかな笑みを浮かべた。
「うふふ、答え合わせだけは夜会での楽しみなの」
アメリアはそう言うと、再びカップに口をつけてから、「でも、」と言葉を続ける。
「シャーロットは宰相閣下の婚約者として初めての夜会でしょう?貴女の周りもすごそうね」
アメリアの言葉に、今度はシャーロットが思わずアメリアから目線を外した。
夜会への参加は、男女ともに十七歳からだ。
今年十八歳ではあるものの、学生の身のシャーロットが参加したことのある夜会は、デビュタントを除いて一度きりーー両親の友人である侯爵家が主催したものだった。
その時はまだベンジャミンが婚約者で、夜会当日になってベンジャミンから欠席を申し出られ、急遽、次兄にエスコートをお願いする始末となった。
兄は激怒するし、両親は呆れるしで、シャーロットにとってかなり情けなく恥ずかしい思い出だ。
今回の夜会は王家主催のもの。しかも、憧れの王城の大ホールで行われる。
楽しみたい。心からそう思うのだが、上手くいくだろうか。
ふっと息を吐きながら、シャーロットは苦笑して見せた。
「夜会はとても楽しみなのですけれど、確かにその点は憂鬱ですわ」
「色々と、うるさいご婦人が多そうよね」
可哀想にと視線を投げかけられ、シャーロットはそれに大きく頷くと身を乗り出しアメリアの右手を両手で包んだ。
「ねえ、アメリア。夜会では一緒にいてくださらないこと?貴女がいてくれるだけで心強いわ」
アメリアは鷹揚に頷いた。
「構わないわよ。私の情報が貴女の役に立つこともあるでしょうし、それに貴女の側に居れば、サイラス殿下のマーガレットを近くで見ることが出来るかもしれないものね」
アメリアは、その瞳に悪戯な光を湛え、シャーロットの両手を左手で包む。
「シャーロット、貴女も私の婚約者の人となりの選定に協力して頂戴ね」
片目を閉じてそう言ったアメリアに、シャーロットは「勿論ですわ」と笑顔で答えた。