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シャーロットが自邸の玄関ホールに立つと、百合の花の香りが場に広がった。

シャーロットの後ろに控える侍女が持つ百合の花束が、その香りの発生源だ。


侍女が持つその百合の品種は、山百合よりも緩い甘めの香りを放つらしい。

そう教えてくれたのは、先程まで一緒にいた孤児院の院長夫人だった。



シャーロットは、王都の孤児院への慰問を定期的に行っている。

もちろん、シャーロットもまた父に扶養される身であるから、私的に利用できる財産は持っていない。そのため、シャーロットの名で寄付や支援は出来ず、孤児院の慰問は、母の許可のもと母の名代として訪ねていた。


母とはいえ公爵夫人の名代である。行動する以上、報告の義務を持つ。

母は報告などいらないと言うが、孤児院の慰問の帰りには、寮ではなく自邸へ報告をしに戻るようにしていた。



今回もその持論の元、久しぶりに自邸へと戻ったシャーロットを玄関ホールで迎えた母に、「孤児院で頂きましたの」と白百合の花束を指し示せば、母は手を叩いて喜んだ。


「私とシャーロットの部屋に飾ってちょうだい」

満面の笑みで侍女に向けてそう言った母は、その表情のままシャーロットを見た。

「夕食までゆっくりしなさいね」

そう言っていつものごとくそのまま立ち去ろうとする母を、内心ため息をつきながらも引き止める。

「お母様。慰問の報告をさせてくださいまし」

シャーロットが軽く礼をとってそう伝えれば、母は大げさなほどの大きなため息を吐いて、自身の居室への移動を促した。



「子どもたちは健康にすくすく育っていましたわ。私に向けてくれる笑顔の溌剌とした様子に私も元気を分けて頂くようでした」


シャーロットの言葉に母は大きく二度、三度と頷いた。

興味が薄い話を聞く時の母の癖である。

だが、シャーロットは構わず報告を続けていく。


「孤児院の院長が、院で育てた花の良い販路を見つけたいと言っておりましたので、紹介できればと思っているのですが…」

「構わなくてよ。いつものように、あなたの良いようになさい。それと残りの報告は書面にして頂戴」

シャーロットの言葉が切れた、その隙を見逃さず、母はそう言った。そして、扇で口元を隠し、うふふと笑う。


「それで、シャーロット。何か面白い話はありませんの?」


話題の変換を求めるその一言に、シャーロットは再度内心ため息をつく。母は孤児院についての報告をもう聞くつもりがないようだ。


しょうがない。それが母だ。

シャーロットは報告の続きを早々に諦めると、相変わらず少女のような笑みを浮かべる母が好むだろう話を披露することにした。




**


シャーロットは久しぶりの自室でゆったりとソファに背を預けた。

窓近くの飾り台に置かれた花瓶には、綺麗に百合が活けられいる。

シャーロットは目を細めてその可憐な白を眺め、そして、その香りを胸いっぱいに吸い込んでから、本棚から持ってきた一冊の本を開いた。


表紙に大きく書かれた『花言葉』というタイトルそのままに、様々な花の花言葉が載るそれは、母が父の求婚を受ける前に手に入れたのだという。


母は、父から贈られる花束に意味を見出そうとしたらしい。母曰く、「あの朴念仁には無意味な作業だった」ようだが、その本はよく読み込まれた様子が見えたし、シャーロット自身も、好んで読んでいる。

若い頃の母と違い、シャーロットの周囲には、花言葉にこる男性が多い。


昨夜、もらった百合を見ながらふと、百合の花言葉は何だろうかと気になってしまったのだ。


百合だけでなく、ラナンキュラス、チューリップにスイートピーなど、目に付いたページを見ていく。パンジーのページを開いたところで、扉がノックされる音が聞こえた。


扉の外で応対した侍女が戻ってくるのに合わせてシャーロットは本から顔を上げる。そして、彼女の言葉に目を瞬かせた。


「まあ、アルフレード様がいらしているの?」


お約束あったかしら。

そう思いながら侍女を見るも、彼女もまた困ったように眉を下げており、急遽訪ねてこられたようだと知る。


何かあったのかもしれない。


シャーロットは急いで応接間へと向かうべくソファから腰を浮かせた。




応接間で待っていたアルフレードは、不穏な空気を漂わせていた。

シャーロットからの挨拶にも言葉短く応じたアルフレードは、今、応接間のソファに座っている。


機嫌がお悪いようね。

シャーロットは正面から与えられるアルフレードの威圧感に耐えながら、無理やり口角を上げ、アルフレードを見つめた。


見事な金褐色の髪はいつものように綺麗に整えられている。黒緑色の上着は、文官の長が着るには、いささか地味な色合いだが、アルフレードが着ると彼の威容をうまく際立たせる役割を果たしているように思った。

シャーロットに向けていつも緩く弧を描く眉が、今はきつくしかめられている。



無言でいたアルフレードが、ようやく口を開いたのは、侍女が淹れてくれたお茶から湯気がのぼることのなくなる程の時間が経ってからだった。


「シャーロット」

アルフレードは名前を読んでから、一度唇を湿らし、言葉を続ける。


「男から花を貰ったと聞いた」


憎々しく言い捨てるように告げられた言葉に、シャーロットは目を見開いた。

唖然と口が開きそうになるのを、慌てて扇で隠せば、そんなシャーロットをアルフレードは鋭い光を宿した瞳を向けた。


「シャーロット。君はそれを嬉しそうに受け取ったらしいな。君にその花を贈った男は誰だ?君は、その男のことをどう思っている?君は、何故、私以外の男から花を受け取ったのだ」

アルフレードから畳み掛けて質問されながら、シャーロットは自身の口角が緩んでいくのを感じる。

扇で隠しておいて良かったと改めて思う。今のシャーロットは、おそらく締まりのない顔をしているだろう。


「シャーロット、何か言ったらどうだ」

シャーロットに言葉を挟ませず言い募っていたアルフレードからの無茶振りに、シャーロットはとうとう耐えきれず、肩を震わせた。

ふふふと笑声を上げれば、アルフレードは不愉快そうに眉を寄せた。「シャーロット」と呼ぶ声音には怒気が混じっている。

これ以上は笑っては駄目だと、シャーロットは自らを律し、アルフレードを見つめた。


「アルフレード様。この百合は、昨日行った孤児院で貰ったものですわ」

「…孤児院だと?」

「はい」と言ってシャーロットは首肯する。

「確かに、百合を渡してくれたのは男性でしたけれど、孤児院の代表として、お礼にと頂きましたの。ちなみに、男性と申しましても、十一歳の少年でしてよ」


ふと、アルフレードから視線を逸らし、シャーロットは百合を見る。

そして、百合の花束をシャーロットへ差し出した少年を思った。

「シャーロット様に感謝を込めて」

頬を赤く染め上げ、緊張した様子の少年から百合とともにもらった言葉は、シャーロットの胸に今も熱く残っている。



「…少年」

アルフレードのその呟きに、再び視線を戻せば、彼は眉を下げ、そして、両の掌で顔を覆い項垂れていた。綺麗に撫でつけられていた金褐色の髪が一房、崩れて前に流れている。


なんと珍しいこと。


そう思いながら、シャーロットはその崩れた金褐色の髪を直してあげたい衝動に駆られた。だが、それよりも前にアルフレードは顔を上げた。

恥ずかしさからだろうか。瞳が少しだけ揺れている。


「勘違いを分かって頂けましたか?」

シャーロットの問いに自嘲の笑みを浮かべたアルフレードは、ゆっくりと頷いた。


「君を愛している」


脈絡もなく発せられたそれは、だが、とても切実な色を含んでいた。

シャーロットはソファから腰を浮かせた。アルフレードの側へ行くと床に座って彼を見上げる。そして、アルフレードの膝の上に置かれた手に、そっと自身の手を重ねた。

ベンジャミンとは違う、年齢を重ねた厚みのあるそれは、とても温かだった。


「年若い婚約者を持つと、これほどまでに不安がつきまとうとは…」

シャーロットがアルフレードの手を強く握れば、しっかりと握り返される。


自分のものだという、その所有欲が嬉しいと言ったら、彼はどんな顔をするだろうか。

だが、今、年上の婚約者が可愛い嫉妬を見せてくれているのだからと、シャーロットはその疑問を胸のうちに仕舞う。


「不安なんて、お捨てになってくださいまし。私も貴方だけを愛しておりますわ」


シャーロットはアルフレードの瞳を見つめて伝える。アルフレードの瞳の中には、微笑みを浮かべる自身の顔が見えた。

そして、しばし見つめあった後、どちらからともなく笑い始めた。



「そういえば、百合の花を頂いたこと、どなたにお聞きしましたの?」

ひとしきり笑い合ってから、シャーロットがアルフレードの横に座り直し尋ねれば、彼はシャーロットの次兄の名前を挙げた。


「今度の夜会で、私は王の横に控えねばならないからな。私の代わりにシャーロットのエスコートをしてくれるのだからお礼をと、朝議後に執務室に呼んだのだ。その時に聞いた」

「…あら、まあ。そうでしたの」


そういえば、昨夜は珍しく王城から戻ってきていた次兄の部屋にも一輪の百合の花をお裾分けしたのだった。



シャーロットには兄が二人いる。法務局で働いている長兄と軍に所属する次兄だ。次兄は文官家系であるシャーロットの家では珍しく武官の道に進んだ。

そんな彼は、ベンジャミンからの婚約破棄とアルフレードとの婚約に一番憤慨しながらも、シャーロットが幸せならば良いと一番祝福してくれている。

今回のことは、妹を獲られる兄からの軽い嫌がらせだろう。



「私もまだまだだな。若造の言葉に踊らされるとは」

「あら。今度、仕返しておきましょうか」

笑いながら言えば、彼はニヤリと笑う。

「いや、これは私と彼の喧嘩だ。売られた喧嘩は買うことにしているのだよ」


「それにしても」と言いながら、アルフレードは機嫌良くシャーロットの腰を引き寄せた。

「喧嘩を売られるなんて、久方ぶりのことだ。楽しむとしよう」

獅子が獲物を見つけ、目を輝かせている。

楽しそうで何よりだとシャーロットは微笑む。

次兄の今後は多少心配だが、武官なのだ。大事にはならないだろう。


シャーロットは、笑う彼の腕の中で、「お手柔らかにして差し上げて下さいませ」と一応、次兄の擁護の言葉を口にした。

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