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幼馴染が、悪女と呼ばれているらしい。
それを人伝から聞かされ、思わず首をひねった。
さて、自分の思う『悪女』の定義が、世間一般とは違っていただろうか、と。
一年後には立太子する身として、認識のズレは改めなければならない。
そう思い、自国他国問わず歴史書を読む。
そうすれば、想像していたよりも多くの悪女たちの名前が、悪業が記されていた。
悪女には、それなりに系統があるようだ。
1. 王を誑し込み、政を疎かにさせた女。
2. 自分の子どもを次代の王にするため、沢山の命を殺めた女。
3. 王妃となるため、低い身分から成り上がった女。(これは、時として美談として語られている)
4. 王だけでなく、その臣下にも色目を使い、籠絡した女。
5. 年若い王の後見となり、実質的な支配者として君臨した女。(善政を布けば傑物と呼ばれている)
探せばまだありそうだが、大体こんな感じだろう。そして、自身の認識が間違っていないようだと思う。
それでは、何故幼馴染が悪女と呼ばれるのか。
調べれば、幼馴染は婚約者により婚約破棄されたものの、その父親と婚約したようだ。
元・婚約者は、筆頭公爵家から除籍され、市井へと降りたらしい。
除籍にまで至った経緯は、幼馴染こそ憐れに思われるべきだ。だが、彼女こそがそのすべてを策略した悪女だと言われているようだ。
幼馴染を花に例えるなら、彼女は美しく華やかな大輪の薔薇だ。
その彼女を取り巻く不穏な様子は、一度、確認せねばなるまい。
「と、そう思って参上したわけだ」
演説するように語った目の前の男に、いきなり学園寮からここーー筆頭公爵邸へ来るように呼ばれた身であるシャーロットは、苦笑するしかない。
「それで留学中のお忙しい御身ですのに会いに来てくださったのですか?ありがたくは思いますけれど…」
銀の髪につり目がちな灰色の瞳を持つ彼は、我が国の第一王子だ。その威風堂々とした様子は白銀の虎と讃えられている。
現在は、内外のことを学ぶようにという国王陛下の方針により、国を離れ、東国へ留学しており、ここにいる理由が先程語った内容なのだとすれば、シャーロットは感謝より先に、大袈裟すぎるとさえ思った。
確かに、この噂のせいで多少煩わしいことも多い。だが彼がわざわざ足を筆頭公爵邸まで向けるほどのことがあったわけでもないのだから。
そんな思いを込めて見つめれば、サイラスは肩をすくめて見せた。
「なに、大したことではない。俺の麗しき幼馴染の一大事とあっては、無視できないだろう?」
「まあ、相変わらずお上手ですこと」
その様子に思わずふふと笑う。
「本心だぞ?」と、サイラスは心外だとでも言うように片眉を上げ、「第一、」と言葉を続ける。
「俺は、ベンジャミンが君の婚約者に相応しい器ではないと言っていたはずだ。忠告を聞いて俺の婚約者に収まっていれば良いものを、逆らった結果がこれだ」
その言葉にシャーロットが思わず眉を下げると、それを見てサイラスは、ふんと鼻で笑った。
そして深く椅子に背を預けると長い足を組み直し、口角を上げた。
「シャーロット。君は俺の薔薇だ。まだ間に合うと思うぞ。俺を選べ」
机に並ぶお茶の入ったカップが、カチリと音を立てるのと同時に、乾いた笑いが上がる。
「本当に殿下は、面白い冗談をおっしゃる」
静かにシャーロットの隣に座り、二人のやり取りを聞いていた、この筆頭公爵邸の家主であり、シャーロットの婚約者でもあるアルフレードは、乾いた笑声を上げた。
「シャーロットは既に私を選び、受け入れてくれているのですがね。そんなことをおっしゃるために、はるばる来られたのですか」
サイラスに向けられた視線は鋭い。
アルフレードの金褐色の髪が燃えるように揺れる。その髪色から、獅子の如き雄々しき宰相と讃えられるアルフレードが、威嚇するように自国の王子を見ている。
あらまあ、なんてこと。
非公式の場とはいえ、その不敬な態度を思わず窘めようと、シャーロットが口を開きかけたのを遮るように、「宰相」と、サイラスがアルフレードを呼ぶ。
「貴方にとっては残念かもしれないが、冗談を言ったつもりはない」
そう言って、サイラスはニコリと笑えば、アルフレードもまた、その鋭い目を細めた。
「シャーロットを薔薇と例えるような方に、本当の彼女が理解できているとは思いませんが」
「ほう?貴殿こそ、面白いことを言う」
言い合い睨み合う二人は、だが、口角が上がっている。どこか楽しそうだ。
シャーロットは右手で扇を強く握った。
やはり、この二人はよく似ている。そう思った。
「サイラス殿下が即位された暁には、私は宰相の座を退くつもりだ」
以前、アルフレードがそう言っていたことを思い出す。
アルフレードが主と仰ぐ現王は、立派な角を持つ雄鹿のように、しなやかで気品に満ちた方だ。かの方が王だからこそ、アルフレードの宰相としての威勢や手腕が発揮されるのだと、シャーロットも思う。
草原の覇者である獅子と、森林の王者である虎。
ともに支配者に例えられる彼らが共にあれば、確実に互いを食いつぶすだろう。
それ程までに、二人は似ている。
「子猫が戯れているのだと思えば良いのですよ」
そう言って笑ったのは、サイラスの母ーー国王妃だ。その時は、そのように仰ることのできる方は貴女様だけだと思ったのだが、今ではシャーロットもそう思う。
これが二人の独特なコミュニケーション方法なのだろう。
「宰相ともあろう者が、そのような態度で…」
「王子殿下に相応しい振る舞いとは…」
続く言い合いを、シャーロットはどこか微笑ましく聞き流しながら、お茶の入ったカップに口を付ける。
ふわりと甘く香るそれは、公爵家自慢のお茶だ。
元・婚約者であるベンジャミンと仲がまだ良かった頃ーーもう何年も前だが、その時と同じ味がした。
もういいかしら。と、そんなことを思いながら、シャーロットはカップをソーサーに戻す。
楽しそうに睨み合う二人に、シャーロットは扇で口元を隠し笑う。この流れを壊すのは、シャーロットの役目だろう。
「殿下、ご冗談ばかり申さないでくださいまし。アルフレード様も、おふざけが過ぎますわ」
そっとアルフレードの手に、左手を重ねれば、すぐに強く握られた。
それを見て珍しく驚いた様子で目を見開いたサイラスに微笑んで見せると、彼は頬を緩めた。
サイラスは自身の懐に入った人には、とことん優しい。
今回の訪問は、本当にシャーロットを心配して来てくれたのだろう。
アルフレードとの婚約が、シャーロットの本心かどうか。
ベンジャミンとの婚約破棄や、周囲の反応が、シャーロットの心を傷つけてはいないか。
灰色の瞳の奥に安堵の光が灯ったのが分かる。
その心を知ってしまったら、しょうがない。彼のために一肌脱がなければ。
シャーロットは、先日届いた手紙を思う。豪華に装飾された封筒は三月後の夜会の招待状だ。
「サイラス殿下、ご心配なさらないで。私は夜会に参りますわ。勿論、貴方様のマーガレットのために力をお貸し致します」
そう言えば、アルフレードは面白そうに目を細め、サイラスは破顔した。
「うん。やはり、君は理解が早くて助かる。シャーロット、感謝する」
「あら、感謝なんて不要ですわ」
シャーロットは扇を開き、口元を隠し笑う。
「私は悪女と呼ばれる女ですのよ。夜会が混乱しようが、国が騒がしくなろうが、面白そうなことには手を貸しますわ」
それに合わせるように、アルフレードは「それは楽しみだ」と呵々と笑う。
「殿下。我が婚約者殿がそう言うのですから、及ばずながら私も力添え致しましょう」
その言葉に、サイラスもまた満足そうに口角を上げた。キラリと光る瞳は肉食獣のそれだ。
「宰相にシャーロット。二人いれば怖いものはない。本当に頼もしいよ」
そう言って笑うサイラスに、シャーロットはこっそり嘆息する。
虎に望まれた哀れな花は、もう逃げられない。
獅子の婚約者となった自分を棚に上げ、シャーロットはそう思った。