act.0
いつ入ったのかさえ忘れてしまうほど長いトンネルを抜けると、外はいよいよ田舎の風景が色濃くなってきた。線路に平行して横たわる巨大な蜥蜴のような山々は、夜に稜線を微かに浮かび上がらせて一際存在感を強く放ち、左右一面に広がる広大な草原を彷彿させる田畑は、あたかも広大な海のような静けさと雄大さでわたしを包む。
電車が走っていくにつれて、わたしの鼓動は少しずつ早くなる。
彼らはどういった顔でわたしを出迎えてくれるのだろう。
どういった言葉をかけてくれるのだろう。
そして、いまさらになって戻ってくるわたしを、どう思っているのだろう。
きっと、彼らはわたしを怒鳴り散らすだろう。許してなどもらえないに決まっている。わたしの考えを聞いたら「いつまで馬鹿をするつもりだ」と逆に呆れられる可能性だってある。
けれど、それでもよかった。むしろ正直、これ以上ないほど叱ってほしかった。わたしの意思をへし折るほど強く叱ってくれれば、もう深く考えることなく、わたしは自分にけじめがつけられる。
窓の外をすごい勢いで風景が流れていく。それは住宅街だったり田園風景だったり、稀に工業地帯だったりもした。かに飯をもそもそと胃に収めながら、闇に覆われだしているそんな風景をわたしはただ見つめていた。
ふとポケットの携帯が盛大に着信音を鳴らして、わたしは思わず座席から飛び上がりそうになった。音を止めつつ周りの乗客の様子をそっと窺うと、大して気にされた様子も見受けられなかったので、わたしは小さく溜息を吐く。隣に人が座っていないことも幸いだった。ただ単に、みな表に現していないだけかもしれないけれど。
しばらくしてからはっと思い出して、携帯の画面を覗き込むと、美鈴からのメールが届いていた。
たった一行の『そっち着いたら連絡してね』という文面は、女の子らしい絵文字や顔文字のひとつも見当たらない、非常に素朴で淡白なものだけれど、そこには彼女なりの心遣いがあるのだと、最近になってわたしは気付かされた。『もちろん』と返すわたしの文面も、近頃は美鈴の影響を受けてか、妙にこざっぱりしたものになりつつある。本心以上にやたらと飾っていた過去の自分のメールを見ると、恥ずかしささえ覚えるほどだ。
返信してぼうっと外を見ていると、再び着信音が鳴り、通路を挟んだ向こうに座るおじさんが露骨に嫌そうな視線を送ってきたものだから、今度こそ居場所をなくしたわたしはいそいそとデッキに出た。
『いまどの辺走ってるの?』
『さっき鯖江出たところ。もうすぐ着くよ』
『そっか。分かった』
『ちゃんと連絡するから、そんなに心配しないで』
美鈴と一通りそんなメールの遣り取りをしたあと、わたしは携帯を胸に抱いた。こんな小さな機械が、いまはとても大きくて頼もしい存在に思える。
マナーモードになっているかどうか確認し、席に戻ろうとしたとき、美鈴から再度メールが届いた。
『こっちは順調だから。あたしの心配はいらないよ。香苗は、香苗のペースで頑張りな』
そうだ。美鈴はもうスタートを切っているのだ。わたしも負けてはいられない。
席に戻り、食べかけのかに飯は最初に入っていたポリ袋に入れて、キャリーバッグの持ち手に引っかける。新調したばかりのスプリングコートは適当に丸めて脇に抱えて、お土産やごみの置き忘れがないかどうか確認。下車する際の混雑を避けるため、わたしは他の乗客よりもひとりだけ早めにデッキに向かう。田舎の駅であるから本当は大した混雑もないのだけれど、他のどの乗客よりも早く故郷の地に降り立つのだと、わたしは小さな野心を抱いていた。
しばらくして、無愛想な車内アナウンスがまもなく到着だと告げた。
窓の外にはどこか見慣れた風景が映りだす。
電車が減速し始めた。