おとまり
かなの家の前まで着きました。
「おかあさん!」
勢い良く玄関のドアを開けて、かなは大声を上げました。呼ばれたおかあさんが奥から出て来ます。
「お帰り。今日は遅かったわね?どうし……」
おかあさんはそこまで言って、言葉をつまらせてしまいました。
「いったい、どうしたの?」
玄関先に立つかなは、少し汚れて、見たことのない女の子をおんぶしています。その雰囲気から、ただごとではないことは一目でわかりました。
「ちかちゃんが、たおれちゃって……」
かなはその女の子――ちかちゃんをちらっと見ながら言いました。そのつかまる力は弱く、まだ元気は戻っていません。
「今日、ちかちゃんを家にとめてもいい?」
心配で、ちかちゃんをそのまま帰すことは、かなにはできません。
しかもそうなったのは、かなのせいなのです。責任も感じています。
「そんな……別に、いいよ」
ちかちゃんはあわてて、かなの背中から下りようとしますが、それをかな本人が許しません。
「でも……お家の人は何て言ってるの?」
おかあさんは聞きますが、かなはそれに答えることができません。
かなはちかちゃんの生まれや家族など、特に気にしていなかったので初めて会った時から後、話したこともありませんでした。
「ちかちゃん……って言ったわね?」
おかあさんはかなのそばまで来て、ちかちゃんへ顔を寄せます。
「おかあさんは?」
ちかちゃんはうつむいてしまいました。
「おとうさんは?お家には誰かいないの?」
しかし、ちかちゃんは首を横に振るばかりです。おかあさんは困ってしまいました。
「いいじゃないか。とめてあげても」
おとうさんも出て来ます。
今日は、おとうさんが早く帰って来ていたようです。
「でも……家の人が誰もいないなんて……」
おかあさんは困った顔で、おとうさんに振り向きます。
突然のことに、あわてふためいているためでしょうか。病院や警察へつれて行くといったような、冷静な考えも思い浮かびません。
「でも、今日だけだぞ?」
おとうさんは、かなとちかちゃんに言い聞かせています。
二人は顔を見合わせて、その表情を明るくしました。
ちかちゃんは口ではいいよと言っていましたが、かなの家にとまることができるのは、うれしいことなのでしょう。
「ちょ、ちょっと!」
おかあさんはおとうさんにかけ寄ります。
「問題ないって一日ぐらい。それに、かなの友だちだろ?問題ないって」
おとうさんはかんたんに言います。
「わかったわよ」
おかあさんは頭をかかえながらも、あきらめたようにうなずきます。
「じゃあ、上がって」
そして、かなとちかちゃんに向いて言いました。
かなはちかちゃんを下ろし、二人で手をつないで仲良く家に上がります。
「おじゃまします」
ちかちゃんは笑顔で言いました。
何度も上がったことがあるかなの家ですが、とまるとなると、とても新鮮に感じます。
「汚れてるから、まずはお風呂に入ってね」
おかあさんが言います。
かなの部屋にランドセルを置くと、二人でお風呂に入りました。
真っ裸で体を洗いっこして、あたたかい湯船につかります。楽しくて笑い声が絶えません。
お風呂から上がると、パジャマが二つ置かれていました。二つともかなのものでしたが、その一つは着なくなったもので、ちかちゃんのために準備されたものです。
「おそろいだね」
二人はそのパジャマを見せ合い、笑います。
パジャマに着がえ終わると、かなは台所へ走りました。ちかちゃんも後に続きます。
おかあさんが対面型のキッチンのところで、忙しそうにご飯の準備をしています。
キッチンのそばにある一つの大きなテーブルでは、すでにおとうさんがテレビを見ながらビールを飲んでいました。
「今日のご飯は何?」
「ハンバーグよ」
おかあさんはやさしく答えます。
「やった!」
かなは大声でよろこんで、そのテーブルのいすに座りました。
「ちかちゃんは、こっちだよ」
かなは自分のとなりのいすを軽くたたきます。
「お風呂に入って、すっきりしたかい?」
おとうさんも気にとめることなく、ちかちゃんに話しかけます。
かなの言う通り、ここに座っても良いようです。ちかちゃんはうなずいて、そのいすに座りました。
「はい、どうぞ」
おかあさんが目の前に皿を置きました。
その皿には野菜と茶色の固まりに赤いケチャップがかかったものが盛られています。
ハンバーグです。
人数分の皿とご飯をテーブルに置くと、おかあさんも座ります。
おとうさんは手に持ったリモコンで、テレビを消しました。
「いただきます!」
ちかちゃんはそのハンバーグをじっと見つめています。
「ちかちゃん?」
「これが……ハンバーグ?」
ちかちゃんはハンバーグを知りません。
「おいしいよ」
かなはお手本を見せるかのように、ハンバーグをほおばります。とてもおいしそうです。
ちかちゃんもまねをして、ハンバーグを一口だけ食べてみました。
口の中に肉汁が広がりました。
肉の味とケチャップの酸味に、みじん切りしたたまねぎの甘みと歯ごたえも合わさります。
「おいしい!」
「お口に合って、良かったわ」
おかあさんは照れ笑いをしながら、言いました。
みんなでご飯を食べるのは、こんなにもおいしく、楽しくしてくれるものだったのです。
ちかちゃんはハンバーグが大好きになりました。
「元気が出て来たようだね」
「そうね」
おとうさんとおかあさんはおたがいに顔を見合わせて、ほっとしたように言いました。
実際にちかちゃんは、かなの家へ上がる前に比べて、ずいぶんと元気になっています。
おかあさんたちも心配していたようです。
ちかちゃんは明るい笑顔で元気良く、うなずきました。
ご飯が終わると歯みがきをして、テレビを見て、かなが今日の宿題をして――
時間はあっという間に過ぎていきました。もう、ねる時間です。
「お休みなさい」
二人は、かなの部屋に行きました。
その部屋にある一つのベッドに、かなとちかちゃんの二人で入ります。少しせまいですが、ひみつ基地に入っているみたいで、何だかわくわくします。
「明日は何して遊ぶ?」
ちかちゃんは、こうふんした声で言いました。
「そうだね……」
かなも楽しそうに言って、考えています。
二人はしばらく、眠れそうにありません。
「また空を飛んで、夕焼けを見ようか?」
ちかちゃんが言いました。
それも良いかもしれません。またしようと約束もしていました。
しかし、まだしていないことがたくさんあります。同じことをするのも、もったいないような気がします。
「夕焼けもきれいだけど、夜の花火もきれいだよ」
かなは自分の、今までの思い出を振り返りながら言いました。
「花火?」
ちかちゃんは首をかしげます。花火も知らないようです。
「暗い空にドーンって大きな音を立てて、小さな光がいっぱい広がるんだよ」
かなが言っているのは打ち上げ花火です。
「へぇ。それ、かなちゃんといっしょに見たいな」
ちかちゃんと見ることができたらと、かなも思って言いましたが、良く考えるとそれは夏しかしていません。
「ごめん。……花火、夏しかやってなかったんだ」
「じゃあ、夏になったら、いっしょに見ようよ」
結局、明日することを決めることができないまま、二人は眠ってしまいました。