老犬の気持ち
いつものように、かなとちかちゃんは登校しています。
――急に激しく吠える犬の鳴き声で、かなは身を引きました。
そこは通学路の途中にある、庭のある家でした。
庭はへいで囲まれていますが、玄関に入るところは、細い四角のぼうが何本もたてに並べて作った鉄のとびらになっています。そのすきまから、大きな犬が顔をのぞかせていました。
「いつも、その犬に吠えられているね」
ちかちゃんは気になって、かなに言いました。
「うん。そうだね」
かなは苦笑いをしています。
その犬はかなが小さいころから、この家に住んでいました。十年ぐらいが寿命である犬としては、高齢となるのでしょう。
そこからかながはなれると、犬は元気なく、その場に寝そべってしまいます。その動きからも、年老いているのが伝わります。
ちかちゃんは振り返って、その犬を見つめています。
「そうだ!」
かなは思いつきました。
「動物と話がしたい」
この犬がかなに吠えるようになったのは、ちかちゃんと知り合う前からではありますが、つい最近のことです。
「私に何を言っているのか知りたい」
かながそう思うのも、当然なのかもしれません。
その日の夕方、宿題を終えて、ちかちゃんと家の前で待ち合わせをしました。
ちかちゃんは人さし指を立て、また魔法をかけます。
「そうそう、見ました?この前、またつとむくんが怒られていましたわ」
「ああ。あれは宿題を忘れたって……」
「この前は教科書も忘れていましたわ」
「テレビばっかり見てるから……」
「ゲームをしたり……遊んでばかりだから、そうなるのよ」
どこからともなく、そんな話声が聞こえて来ます。
電線にとまっていたすずめたちです。
つとむくんが誰なのか、かなにはわかりませんが、思っていたよりも小鳥たちに見られているようです。しかも、チュンチュンとかわいく聞こえるその鳴き声も、実は陰口だったのです。
「動物の言葉がわかる!」
話の内容はさておき、かなはそのことに、こうふんしています。ちかちゃんへ目をかがやかせながら言うと、問題の犬の元へ走ります。
「こらっ!」
その家の玄関前に立って、聞こえた第一声は怒鳴り声です。
「ここは、わしのなわ張りじゃ!近付くな!」
かみつきそうな勢いでしたが、くさりにつながれ、鉄のとびらも閉まっているために、それができずにいる目の前の大きな犬が言っています。
「どうして?私、『かな』だよ?覚えてないの?」
かなは悲しそうに言いました。
「お前なんか知らん!いつもいつも、わしに近付いて来て、目ざわりなんじゃ!」
犬はかなの言うことに、聞く耳を持ちません。
「かなちゃん」
見かねて、ちかちゃんが話しかけて来ます。
「犬はなわ張り意識が強い動物なんだよ。自分の場所と決めたところに、他人を入れたくないって気持ちが強いから……」
「で、でも……!」
かなはちかちゃんへ振り返ります。
「前は良く、遊んでたよ!公園でかけっこもしたし、こうやって……」
かなはそう言って、犬の頭をなでようと手を突っ込みます。
「さわるな!」
しかし、犬は牙をむき出しにして、怒っています。かなはあわてて、その手を引っ込めました。
「どうして……?」
「犬も齢を取れば……犬だって、忘れたりもするんだよ?」
ちかちゃんはかなに、言い聞かせるように言いました。
忘れられることは大変、さびしいものです。かなは認めたくないのですが、
「さっさと、どこかへ行ってしまえ!」
犬に立ち入るすきもありません。
かなは何も言えないまま、ちかちゃんに引っ張られて、しぶしぶ帰るしかありませんでした。
次の日の朝、かなとちかちゃんは学校に行くため、いつもの通学路を歩いていました。
かなは昨日のことで落ち込んでいて、元気がありません。
「元気を出して」
ちかちゃんは元気づけようと笑顔で言いますが、かなは少し笑うだけです。
――あの家の前にさしかかりました。
「あら。かなちゃん、おはよう」
その犬を飼っていた家の人です。鉄のとびらごしに話しかけて来ました。
「おはようございます」
かなは弱々しく頭を下げます。
「あれ?」
ちかちゃんは気が付きました。
「犬がいない」
かなもあわてて顔を上げて、その鉄のとびらからのぞいてみます。
しかし、近付くと吠えていた、あの犬の姿がどこにもありません。
「うん……朝、起きたら……ね」
その家の人は、さびしそうにうつむきながら言いました。良く見ると、その人は犬小屋をかかえて、どこかへ持って行こうとしているところです。
「齢だったから……寿命だったのね」
「そんな!」
かなは叫びました。
「昨日は、あんなに元気だったのに」
「やっぱり昨日、吠えていたのは、かなちゃんが来てたからなのね」
家の人は持っていた犬小屋を下ろすと、ゆっくりと語り始めました。
「最近は吠える元気もなかったみたいで……かなちゃんにだけなのよ、吠えていたのは」
「どうして……?」
かなは何だか、悲しくなって来ました。
「昔は良く遊んでくれてたでしょ?良く慣れてたものね」
しかし、家の人はおだやかに、思い出話をするかのように言います。
それは小学生になってからです。宿題や新しい友だちなど初めてのことが多く、また、毎日の登下校で会えることもあって、遊ばなくなってしまったのです。
かなは後悔しました。
「死期が近付いているって、自分でもわかっていたと思うわ。かなちゃんに自分の死ぬ姿を見せたくなかったのよ、きっと」
だから、近寄らせないように、かなにだけ吠えていたのです。
「そんなこと……言っていなかったよ」
かなは納得ができません。ちかちゃんはかなを押さえ、首を横に振ります。
「うそをついていたんだよ」
そうです。言葉は、うそをつくことができます。気持ちをかくして、別のことを言うことができます。
「そんな……」
かなは肩を落とします。
「気持ちを知られたくなかったんだよ」
「それならそうと、言ってくれれば……」
くやしくて、しかたがありません。
「それが、あの犬の気持ちなら……」
「ちかちゃんに、何がわかるんだよ!」
かなはちかちゃんの手を払いのけました。
「でも、確かにあの犬はかなちゃんにだけ、吠えていたし……犬にも気持ちがあって……こんなにもやさしい気持ちを、ちゃんとわかってあげないと……」
ちかちゃんはかなの態度におどおどしながらも、そう言います。
こんなときでも、その顔は笑顔です。
「何で、こんな時に笑っていられるんだよ!」
かなはがまんできなくなってそう叫ぶと、ひとりで走り去ってしまいました。




