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3 真冬の花火

「引き上げてくれ。舞、この手を伸ばせ。そうだ……」

 暗闇の中、男が彼女の手を取って、誰かのごつごつとした手に引き渡す。両手でその腕に捕まり、引き上げられるまま体を預け、そっと下された。

 どれくらいの時間かわからない空中浮遊のせいで、確かな足元が嘘のよう。そのまま、彼女は座り込んでいた。辺りは頭上からぼんやりと赤く照らされている。

 バスケット状の箱の下は、たぶんやはり地上ではないだろう。

 舞をここに引き上げた胴の太い頑丈な体躯の男は、籠の一隅に移動し、両腕を上げて何かを掴んでいた。

 銀髪の男は自力で軽々と登ってきた。彼を釣っていたハーネスを外し、頭上のウィンチに巻きつける。

「……全く。急げとは言ったが……。どうしてそんな格好で……」

 呆れ声が振ってくる。

「! ……だって……」

 頬が熱くなる。あわててなんとかコートのボタンをかけようとするが。指先がかじかんで……。

 Zは膝を付き、舞の手を避けた。……小さな子供みたい。ボタンをはめてもらい、襟を立ててくれる。ブーツのジッパーもパジャマの裾を押し込んで上まできっちりと。

 もう……。…………。

 ゴーグルをしたもう一人の男は、目を逸らしていてくれている。男が片腕を引くと、あの咆哮が。

「……気球……?」

「そうだ」

 最後に、舞のコートの帽子を被せてくれた。

 自分の首からマフラーを抜き取り、マフ代わりに舞の両手を包んでくれる。

「そんなじゃ、足りませんよ。旦那」

 ゴーグルの男がぼそりと言う。

 Zは、片眉をしかめて応えた。

「……わかっている」

 舞は、自分が叱られた子供のような気分で二人を交互に見た。

「あ、でも……。このコートもブーツも、こう見えてもFISの特殊技術で、極寒対策をしてあるって、兄さんが……くしゅん!」

 ……。沈黙が流れた。

 コートは対策済みでも、その下は薄い夜着なわけで……。

 ……帰りたくない……。

 帰されてしまうの……?

 そうよね。部屋に居ないってわかったら、大騒ぎになるわ。兄さんが心配するもの。

 すぐに、この人のせいってわかって、不機嫌になるわ……。

 お兄さんは、こういうことが嫌いなんだもの。……この人が、好きじゃないの。

「!」

 うつむいた肩に、ふわりと軽くて暖かいものが乗せられた。

 ふかふかの毛皮のロングコート。腕をとられ、立たされる。すっぽりと足首まで包む長さ。

「暖かい……」

「内ポケットに手袋が入っている」

 袖を通して、完全に肩が落ちる肩幅。男性用だ。マフラーで暖められた指先でポケットの革の手袋をはめる。ぶかぶか。

 ゴーグルの男が軽く吹き出す。

「……新種のペンギンですな」

 くすりと舞は彼に笑い返してあげた。Zは背を向け、小さく溜め息をついていた。

「! 綺麗……」

 男の長身の背中越しに、暗闇だと思っていた場所に、無数の輝きが見えた。

 籠の縁へと、移動したいが。大きな気球に支えられた小さな籠の中で、動いていいものかどうか。

 黙って、Zが振り返り手を差し出した。

 手を借りて、静かに移動する。ゴーグルの男が、バランスを取るためか、位置を変えた。

「……とっても綺麗……」

 雪は止んでいた。どこかは分からないが、村の、集落の明かりが地上にオレンジ色の星団を作っていた。

 篝火や松明。村人たちが手にする、蝋燭の明かり。ゆらゆらと生き物のように揺れている。

「あなたは、寒くはないの?」

 黙って地上を見下ろす、引き締まった頬。体に比較的フィットした黒い防寒着ではあるが。

 舞が差し出す彼のマフラーを、一度受け取り、再び、舞の襟首に巻きつける。

「こう見えて、特殊装備の防寒対策はしてある」

 舞は、そっと男の腕に触れた。

「……そう。だから不思議な素材なのね」

 舞の言葉に、少し奇妙な顔をした。すぐに、真顔にもどり、舞の帽子を被せ直した。

「辛いなら、すぐに言え。……お前はいつも我慢をする」

「……はい」

 素直にうなずいて、あとはZの側に並んで、同じ景色を眺めた。

 どうして、とか、どこへ、とか。今は、聞きたくはない。

 一つの気球に乗って、風に流され、辿り着く場所はどこだろうと彼と一緒なのだから。

 壊したくない。そんな気持ちで一杯だった。

「クリスマスに花火の中継があったわ。ネットで、その日だけの特別チャンネルで。

 アフガニスタンの国境近くを、50キロに渡って、右端から一つずつ、同時に左端からも一つずつ。花火が上がって。

 二つが到達した場所で、とっても素敵な花火が打ち上げられたわ。

 ドラマチックな音楽に合わせて。

 とても綺麗な色の花火だった……」

 舞は、男の顔を見上げた。

「あなたはご覧になった?」

 男は表情を変えず、答えた。

「さあ……。……どうだったかな?」

 舞は、虚空の闇に向き直り、その暗闇の中に、あの日の中継映像を思い浮かべた。

「素敵だったわ。砂漠に広がる、鮮やかな花火。

 でも、私。あれと同じ花火をパリでも見たわ。去年のクリスマスに」

 ホテルの彼女の部屋の電話が鳴って。東側のカーテンを開けろと、言われた。

「あの時、あなたは私に電話で言ったわ。

 私の合図で始まる、って」

 少し威圧的な、低い声。それだけで、誰なのかわかった。

「何が起きるの、と聞いても、教えてくれなくて。ちょっと不安だった。

 ……でも、わくわくしたわ」

「偶然だ」

「? 花火を始める、って意味じゃなかったの?」

「私は、何が始まるかは言ってない」

「でも、私が赤いスカーフを振ったら、始まったわ。花火のショーが」

「それが私の言った合図とは限らない」

「……そうね。あなたはどんな合図をすればいいかは言わなかったもの……」

 突き放すような否定に、舞はかなり落胆した。

 パリの花火、Zが用意してくれたものだとずっと信じていたけど。本人に、こうも言われると……。物凄く奇跡的な偶然にも思える。

「……私、終わってから、すぐに打ち上げ場所に行ったの。

 日本人の花火師だったわ。

 どうして突然、こんなに素敵な花火を? と聞いたら。

 依頼があったのだと……。会ったこともない人物からの依頼で。

 花火を開始する点火は、その人が、ネットを通じて入れたのだと……。

 ……私のことは知らないって言ってたわ……」

 ……私、自惚れていたの……?

 いつも、この人が優しいから……。

 あの時のクリスマスも、今日みたいに兄さんは仕事で戻れなくなっていて。ホテルに一人だったの。

 今よりずっと、寂しい気持ちに慣れていなかったから。心細かった。

 だから短い電話や、あの花火が、すごく嬉しかった。

「……アフガンの花火も、その日本人の年寄りが上げたのか?」

 舞は、Zの声にどきりとした。

「え、ええ。花火師の方の中継映像もあったわ。

 インタビュアーに答えてた。

 匿名の会ったこともない人物からの依頼だと。

 国境沿いでの打ち上げに、よく許可が下りましたね、と聞かれてたわ」

『許可? んなもん必要なのか? 知らんかったなぁ。

 電話よこした野郎が。場所はどこでもいいと言ったっけにさぁ、花火なんか見たこともねぇ人ん所で上げてみてぇなぁ、て話したらさ、ここだったんさ。そいで、花火揃えて来たがぁてぇ。

 去年、パリのなんとかって所で上げたらさ、おもしぇーかったんさ』

 花火師側は許可申請は一つもしていなかったけど、それでも、国軍は了承し、運搬警備にも協力をした。匿名の誰かが、すでに話しをつけていたかららしい、と、後の報道で伝えられた。

 花火師のなまりの強い日本語の口調を思い出し、舞はくすりと微笑んだ。なまりの意味は正確にはわからなかったけど、懐かしい日本語だった。元気のいいおじいちゃん。

 ……私、お年寄りだなんて一言も言わなかったのに……。

「とっても素敵だったわ。パリの花火に負けないくらい。雄大だった。

 国境近くの人たちや、中継を見ている世界中、各地の人の映像も流れたの。

 みんな驚いた顔をしていたわ。驚いた後、すごく感動してた。

 砲弾の音に似ていたから、現地の人は間違えてびっくりした人も居たみたいだけど。

 爆発と同じ音色の正体が、あんなに綺麗なものだなんて、と。泣いてた人も居たわ。

 ……本当に。花火も爆弾も、使われるのは同じ火薬なのよね」

 使われているのは、同じ物なのに。使い方一つで、結果は正反対。

「映画があるらしい。世界中の爆弾が花火になれば……、そんなフレーズの映画が」

 ! 呼吸が止まってしまいそう。

 心が一杯に詰まって。

 世界中の爆弾。地雷や砲弾、数え切れないほどの殺戮兵器。

 あれが、みんな花火になって夜空を明るくするならば。

 どんなに美しい光景になるだろう。きっと一晩や二晩じゃ足りないわ。

 人の命を奪うパワーが、人に夢と美しさと生きる力を与える輝きになるならば。

 涙の代わりに、笑顔が広がるなんて。

 そう思った人が居たなんて……。

「……泣くな……。泣いたら、そのまま頬が凍りつくぞ……」

「…………無理、かも……」

 Zを見上げ、涙が零れないよう上を向いて、訴える。

「……どうして、そんなふうに言うんですか?

 あなたが優しいと余計、涙が零れそうになるのに…………」

 溢れてくる涙でぼやけるZの顔が、やっかいな……という表情を作る。

 首のマフラーを引き上げてくれて、両目を押さえてくれる。

 自分で押さえて、うつむく。もう止まらない。肩をしゃくり上げながら息を整えて。

「……あなたは、その映画を観たんですか……?」

 涙声で尋ねる。

「……いや。花火師の老人は、その映画に手を貸したそうだが」 

「……観てみたいわ、その映画……」

「次は、アフリカで打ち上げたいらしい……」

 涙を拭きながら、舞は密かに笑ってしまう。

 どうしてそんなことまで知っているの? もう聞きなおしたりはしないけど。

「そんな場所で打ち上げて、野生動物は驚いたりしないのかしら?」

「ディスパールは、問題ないだろうと言っていた」

「? プロフェッサー・ディスパール?」

「あいつも、かなり乗り気だ。アフリカでやるなら、オブザーバーは自分にやらせろと」

「世界的に有名なディスパール教授も加われば、どこの国の政府も協力してくれそうね」

「…………そんなに甘くは無いぞ」

「でもどうして動物には大丈夫なのかしら?」

「アフリカでは、雷や雷鳴は日常的だ。少し大目の雷が起きた程度にしか、動物たちには感じないだろうと」

「そうなんだ。なら、次はアフリカなのね? でも広いわ。どこになさるの?」

「…………」

「砂漠の中でもいいわよね。キリマンジャロを背景にしても、とっても素敵。

 文明発祥の地、ナイル川沿いも印象深いわ。ああ、セレンゲティ国立公園は、さすがに無理よね。沢山の野生動物が花火を見てる光景なんて、とってもドラマチックだけど。

 南アフリカも、いいでしょ? 反対側のチュニジアの、スークを背景にしても。んー、宗教的にあんな大音響はいけないのかしら?」

「………………」

「あの……?」

 黙ってしまったZ。

 代わりに、ゴーグルの男が、吹き出した。

「お嬢ちゃんは、不思議な子供だね。あんたの想像力には限りが無いみたいだ。それに、どの国も、明日にでも実現できそうな言い方をする」

「……黙っていると、いつまでも夢のようなことを話し続ける……」

 Zの呆れ声に、ゴーグルはそれも愉快といわんばかりに小首をかしげた。 

「こんな真夜中に、凍えそうな気球のバスケットの中で。世界中を面白くさせる夢を次から次へと思いつくなんざ。大したもんだ」

 だって……。

 夢みたいなことを最初にやってみせたのは、あなただわ。

 ここに居ると、どんなことでも叶いそうな気がするの。

 あなたの側に居ると。心が、すごく自由になれる。


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