行方不明の死体(ジェーン・ドゥ)
「ジェーン! 戻って来い! ジェーン!!!」
ああ、またあの夢だ。
「メイ。ごめん。優しくするから。今まで優しくしてもらった分、優しくするから」
大嘘だ。俺の後にどれだけ彼女が甚振られたか。
「ジェーン。結婚しようぜ。おい。嘘じゃねぇよ。本気さ」
脳が鮮明になっていく。
匂いが変わる。砂埃の味が現実の世界に戻ってきたと告げる。そして耳を切るような核の冬の肌寒さ。
「……はぁ」
目覚めてみると気分最悪。嫌な夢だ。
傍らで眠らず番をしていた女が声をかけた。
勿論、魔王様だ。ジェーンじゃない。
「時々思うが、そのジェーンとかメイとは誰だ?」
ああ。
「結婚しねぇかって冗談で言い合う程度には仲が良かった奴らだな。機械生物に食われたが」
「貴様に肌を許す女など売女以外いないと思ったが」
俺は寝ぼけていたのかもしれない。
そうでなければ彼女の悪態などいつものことと笑って見逃せたはずだ。
ジェーンへの悪口を看過する。
いや、無理だ。
「悪かったな。好きで売女になって生きていたわけではねぇ」
不幸な境遇で娼婦として生きていたが明るさを失わず、優しさと元気を皆に分けてくれた。
俺が沙玖夜を睨みつけたのは、ひょっとしたらはじめてかもしれない。
はっとなった表情を浮かべる沙玖夜。
こういう顔の彼女を見たのははじめてかもしれない。
「済まない。ダイチ」
即座に頭を下げ、肩をすくめる彼女。
しかし俺さまは意固地になっていた。
「気安く呼ぶなよ」
「……!」
呆然と立ち尽くす彼女をおいて俺さまはバイクのハンドルを握り、エンジンをかける。
エンジンオイルの香りを嗅ぎつつ吐き捨てる。
「俺様は行くぜ。沙玖夜」
がくっ。
「……おい。ピー助」
バイクの調子が悪い。というか、俺の制御を無視しようと暴れる。
「!!!」
シートが口になろうとしているのに気がついてあわてて飛び降りた。スピードは出ていないが、あちこち打った。かなり……相当痛い。
「テメェ何のつもりだ」
バイクを思いっきり蹴る。
体中を打ってかなり痛い。
アバラ。折れたかも。
バイクの計器がおかしい。
変な場所を矢印で指している。まさか。
「アイツに謝りに行けって言いたいのか? 余計なことを言ったのはアイツだぞ?」
巨大な口になって俺を飲み込もうとしたので驚いて飛び跳ねる。
「お、お前、なんのつもりだっ?? もどれってのか?」
バイクは快調なエンジン音を鳴らした。
「……よう」
「ダイチ?」
瓦礫にすわり、空を見ていた魔王に声をかける。
潤んだ瞳が俺の視線と合った。
「のってかなね? 六甲山の夜景見にさ」
「意味不明だ」
「六甲おろしって言うナンパの奥義だ」
「お前が犯罪者なのは解った」
そういって俺の後ろに軽く座る。
「落ちるぞ。ちゃんとまたげよ」
「人間ならな。生憎私は人間ではない。
ヒトのココロもわからない。悪魔。魔王だ」
彼女の表情はここからでは見えない。
そのまま発進する。
全部話していいよな。どうせ暴風の中だ。
「俺も、大人げなかった」
「……」
今までの経験的にこの状態でも彼女は正確に受け答えできることを俺さまは知っている。
知ったうえで聞こえていないことを前提に話すのは。
きっと俺さまもヒトのココロがわからないからだろう。いやみんなきっと。
「レジスタンスに身を寄せていたことがあったのさ。
子供がバイクにのって一人旅だと間違われて保護されてね。本当は大人だが人種が違うし童顔だったからな。メイとかジェーンとはそこで知り合ったんだ。
レイシストばっかりだが、いい奴らだったよ。それでさ」
バイクって奴は便利なものだな。
機械生命を己が味方にした奴のセンスには感動する。そいつの顔も俺さまたちは知らないわけだが。
「で。俺が『守護者』をやっと見つけたとおもったら奴らは機械生物のシステムの中に取り込まれていたんだ」
バイクに跨り、色々昔話を話す。
沙玖夜と出会う前。学生時代。親の思い出。友人との悪ふざけ。好きだった本や音楽、漫画やアニメ。映画。学年全員で見に行かされた卒業生プロ一号のヴァイオリン奏者のヴァイオリンコンサート。
沙玖夜はそれを黙って聞いてくれた。
「そうか。すまない」
もう良いよ。俺も昔の話して悪かったよ。
そういえばお前、昔の話をしたことなかったよな。
「ダイチは幸せだったのだな」
「どうだろ? 就職後もヒキコモリみたいな生活だったしなぁ。
ああ。最初の勤め先の工場でおきたアイスクリームの話は傑作だったな。まだ話してなかったっけ」
「ダイチは幸せだったのだな」
繰り言を告げる魔王様。
彼女の過去を俺は詳しく知らない。
「そうかな。良く解らん。親父はさっさと倒れたし、御袋もあっさりガンで。
そりゃ人類絶滅後も生きているが、コレを幸せといえるのかは意見が分かれるだろうさ」
「『雨の音を聞くと安心する』と以前言ってたな」
「???」
「それは、洪水などの被害に遭わない安全で暖かい家に住んでいるものだけがいえることだ」
押し黙る俺さま。
「ダイチ。知っているか?『ジェーン・ドゥ』とは『行方不明の死体』を意味する」
「そうか」
偽名だとは思っていたが。
アイツはあの笑顔の下で俺たちをどう見ていたのかな。
あの組織は実質先陣を切ってなんでもするジェーンのおかげで持っているところが多かった。
その屋台骨を失ったおれ達があっさり瓦解していったのは……思えば必然か。
「アバラ、折れているぞ。治さないのか」
「いらねぇ。しばらくこのままにさせてくれ」
ひょっとしたら。
俺はジェーンに嫌われていたかもしれない。
しかし人間に人間の心はわからん。
魔王様ですら分からないヒトのココロ。
死んだ人の心はなお更だ。
「ダイチ……聞いてくれ」
「なんだ?」
バイクを止める。珍しいことに雲間から太陽が見える。その光がまぶしい。
「私は」
不死身の魔王はバイクから飛び降り。
しばしためらう様子を見せる。
「どうした? 乗れよ?」
首を振る魔王・沙玖夜。
「『守護者』は残り弐体。あと少しさ。
ひょっとしたらお前が死ねる『情報』を次で得られるかもしれないだろ?」
「聞いてくれ。私は」
????
彼女はためらいがちに、はっきりと言った。
「私は……私は」
彼女の唇が動いた。
「死にたくない」
告白する不死身の魔王。
「私は死にたくない」
不死身の魔王。沙玖夜は。
彼女は確かに言った。
死にたくないと。
「ふざけているのか」
俺様はのんびり聞いてみたが、だまって首を振る沙玖夜。
「そっか。じゃここまでか」
「待ってくれ」
バイクはまたも動かなかった。クソバイクめ。
「わかったのだ」
寂しそうに呟く彼女に近寄る俺さま。
「私は死にたくない。この世界は美しい」
放射能を含む風の中彼女は告げた。
「こんな世界が」
黙って首を縦にふる彼女。
「一年中冬だし、太陽もロクにでねぇ。『美しいもの』はネットの中に逃げた舐めた世界が?
文明も音楽も夢も希望も機械生物が胃袋に収めてしまったこんな世界が?」
大仰に身振り手振りで俺様たちの状況を解説してしまった。意味のないことだ。
「ダイチ。『守護者』どもを討って何を成したいのだ」
「決まって」
「……」
泣きだしそうな彼女の顔に押し黙る。
仲間や友人の仇うちもしたいとか、意地とか、いくらでも答えられるが。
目頭が熱くなる。
寒さで切れそうな耳たぶが熱く燃える。
憤怒? 絶望? それとも渇望?
何のために戦った。
何のために殺してきた。
データでしかないとはいえ人間だった存在を。
彼女の望みを叶えるため。
彼女が死ぬ方法を得るために。
「もういいのだ。もういいのだ。ダイチ」
データとはいえ、俺は既に内部世界を五つ滅ぼしている。
生き残りだった何億の人間があの世界にいたか。
データかもしれんが、心があった。泣いて悲しんで命を乞うた。
「今更、何を言っているんだよ」
たとえ、その「生」が『核』の物語を成すためだけに何度も生まれ変わる存在と成り果てていたとしても。『生きて』いた。
それを、コロシタ。
みんな。ころした。
「朝が来て旅立ち、夜が来て野営をして。共に戦い。共に生きる。
だが、いいのだ。もうお前は戦わなくて良い。ここで終わりにしないか」
沙玖夜はそういって俺を優しく抱いた。
「仲間のことを悪く言ったのは謝る。何度でも謝る。だから。もう辞めよう」
「機械生物どもはどうする」
「奴らもまた、いつか自滅する」
それは事実だった。5つもの『守護者』を討たれた奴らは急速にその姿を減らしつつある。
「気付いているか。
今、私は女人結界を張っていない」
勿論。わかっている。
「もう良いだろう。一緒に暮らそう。一年でも一〇年でも。いや。一〇〇年。一〇〇〇年。億年でもだ。
私がいればお前は不老不死だ。私に人類が願ったもの全てを私はお前に与えることが出来る。
一〇八の欲望を叶える魔王の名において。
全て。全てお前のものだ。だから」
俺様は呟いた。
「じゃ今のうちに死ぬことにする」
「!」
俺さまは背を向ける。彼女の声を残して。
「だから、残り二体、サクッとやってくるわ」
「私はお前を癒したりしないぞ」
「ああ」
「外で破壊活動を手伝ったりもしないぞ」
「いいぜ」
「戦闘力のない『守護者』ばかりとは限らないのだぞ?!」
「知っている。残りはおそらくもっと強いだろうな」
「どうして?ジェーンという子のため?」
いんや。俺様は笑った。
「男の意地だ」
あと、お前のためさ。
おれ様はポージングを決める。
うむ。俺さまカッコいい。最高ではないか。
寒風が吹く。
「決まったな♪」
「ふざけているのか」
先ほどの熱い目は何処にやら。
冷たい瞳で睨む不死身の魔王沙玖夜。
「いんや。ふざけてねぇ」
「ふざけているっ! どうやって今後連中と戦うのだっ??!」
「お前が鍛えてくれた。サンキュ♪」
これは本音だ。彼女がいなければ俺様はこの場にいない。しかし俺さまがふざけていると思ったらしく一気にまくし立てる沙玖夜。
「何故っ! 死にたがるっ!
何故っ! 戦い続けるっ!
何故っ! 富も永遠の命も要らないというっ!
何故っ! 何故っ! 全てを捨てるっ!
私が欲しいと貴様は言ったなっ!
私を毎日抱こうとしたなっ!
私を情欲の対象としてみていただろうっ!
……抱きたいなら……抱けっ!!」
いんや。俺様は沙玖夜に背を向けて手を振る。
「イラネ。じゃ。行ってくるわ」
「意地を張るなっ! 不老不死がっ! 富がっ! すべてがっ! 手に入るのにっ! いかなる願いも叶うのにっ!」
振り返って彼女を見る。
泣きはらした目。
地面に手をつき、大地を踏むことも忘れて崩れた脚は足元の小石に傷つけられてその血から草花が生えていく。魔王の力は再生と創造。あらゆる望みを叶える魔王。その名は。
「沙玖夜。お前。何故死にたいって思ったか。ちょっと考えてみろよ」
「……!」
「世界の行方? 機械生物への復讐? 世界を救う? 英雄? 勇者? 不老不死? 巨万の富?
それを好きにする力を持っているお前は幸せなのかい」
「今は、今は……凄く。幸せだ」
意外な返答だった。
その泣きはらした瞳が優しくほほ笑む。
「その力がもたらしたものか?」
首を振る沙玖夜。
「私に近づくものは富や名誉、不老長寿や永遠の美貌を得んとするものしかいなかった」
「俺様はさ」
沙玖夜の瞳に俺の顔が見える。
「世界が滅びようが、一人の女を選ぶ」
「ジェーンか」
ボケるな。魔王。
「お ま え ♪」
「なっ??!」
「もっとも、『今のお前』はお断りさ」
俺はそのままバイクにまたがる。
「今度逆らったら斬る」
エンジンがかかるバイク。
俺の背中から沙玖夜の声。
「どんな私なら。選んでくれる?」
「とりあえず、俺のサイドカーに乗ってくれる魔王」
くいくいと指差す。
軽快なエンジン音が彼女を迎える。
ちょっと死にたがりで、本当は臆病で。意地っ張りなお前が俺は好きだ。
「……」
「行くぜ」
世界が滅んでいるのに富なんか要らない。
誰もいないのに名声も絶賛も必要ない。
不老不死? 最強の座?
そんなもんどうでもいい。
最高の美女? 隣にいるさ。
「俺が欲しいのは『命』さ」
人は死に。また大地に。
遥かなる大地に戻る。
その成分が新しい命を作るかも知れないし、岩や山や海になるかもしれない。
「不老不死っていうなら。大地の全ては不死身だろ」「……」
「なぁ沙玖夜っ!」
叫ぶ俺さま。
「なんだっ!ダイチッ!!」
叫び返す魔王。
「知っているかっ!! この世界は醜い!」
「ああっ! 勿論だっ!」
「だからこそ好きだっ!」
「ああっ!」
「もし、俺が何年も何千年もして、沙玖夜なしでは生きられない不死身を維持していたら。
その俺は、沙玖夜に生かしてもらうことに怯えて生きる俺であって『沙九夜の生きて欲しい』俺ではない」
「そうはならない。ずっと一緒だ」
「いんや、お前は必ず絶望する。その絶望はきっとお前が今まで感じたどの絶望より深く。辛い。
だから、俺はお前と逝く」
「……」
「お前が好きな俺様のまま、俺は奴らを討つっ!!!」
「私はっ!!ついていく! 一緒に死んでやるっ!」
バイクのエンジン音が強い。
叫んでいないと聴こえない。
叫ばないと。エンジンも心も燃えない。
「ついて来いっ! 俺様についてこい!」
「ああっ! 機械生物どもっ! 魔王の力を思い知れっ!」
バイクの轟音。俺たちが去った後も大地に響く。強い。強い音。
待っていろ。機械生物ども。
勇者と魔王の力を思い知れ。
いのちのかがやきを知れ。
死の尊さを貴様らに思い出させてやる。