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蒼穹に手を伸ばして

作者: 月星 星成
掲載日:2026/05/08

「あははっ、空ってこんなにも綺麗だったんだ!」

 

 手を洗わずに、ベランダに出る。

 見上げた空は、雲一つない快晴で、冷たい風が頬を撫でていく。


「あぁ、本当に……私は自由だ」


 私は、宇宙飛行士になりたかった。

 普通の人生じゃなくて、普通じゃない特別な人生を送りたかったから。


 でも——。


 ベランダの手すりに指をかけたまま、私はそっと息を吐く。

 

 あの夢は、きっともう叶わない。

 そう思ってしまったのは、才能がなかったからじゃない。努力が足りなかったからでもない。

 ただ、普通の夢じゃなかったから。


 私は、夢のためならなんだってして見せた。

 空いた時間は、常に勉強をして、部活にも入らず、友達を一人も作らなかった。


 だって、私は才能が無かったから。

 宇宙飛行士になれるような人々とは、スタート時点が全く違う。だから、私はすべてを捧げて、同じ土俵に立とうとしたんだ。


 でもね。そんなことをしても無駄だったんだ。


 すべての時間を勉強に回して、全国の模試で三位をとった。

 なのに、お父さんも、お母さんも、私の夢に反対した。


『そんな夢、叶うわけない。現実を見ろ』

『いい大学を出て、良い企業に就職する。そして、いい結婚相手を見つけて、子供を産んで、いい家庭を作る。そんな普通の暮らしをしてほしいの』


 ばかばかしい。そんな普通に、何の価値があると言うのか。

 人生はたったの一度っきり。天国や地獄なんて無いし、輪廻転生なんてあるわけがない。死んだらただの肉塊になるだけ。


 それなら、この限られた時間をただ浪費するんじゃなくて、もっと特別なもののために使ったほうがいい。


 私の両親は、何度言っても、どれだけ説明しようとも、世間に従えや普通に生きろの一点張りで、ろくな議論にすらならなかった。

 先生だってそうだ。私を模範的な生徒にしたかったのかは知らないけど、現実を見てほしいと言われた。

 まるで、私が夢を見ること自体が間違いだと言わんばかりの口調で。


『宇宙飛行士なんて、ほんの一握りしかなれない。まずは内申を上げて、いい大学に入ることを考えなさい』


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がすっと冷えた。

 努力を否定されたわけじゃない。ただ、私の特別でありたいという願いが、簡単に踏みつぶされた気がした。


 先生の目には、私の夢なんて映っていなかった。

 映っていたのは、ただ扱いやすい優等生の姿だけだった。


 私は空を見たかっただけなのに。

 もっと遠くへ行きたかっただけなのに。どうして、そんな当たり前の願いすら許されなかったんだろう。



 そして、結果がこれだ。

 私の両親は、私がいい大学を出ることよりも、夢を諦めさせることの方を優先して、せっかく合格した第一志望の大学の入学金を払わなかった。それも、私に黙って。


 そのせいで、奨学金を借りる暇もなく、私はその大学から入学辞退の連絡を受け取った。

 もちろん、理由の欄には「本人の都合」と書かれていた。

 私の都合なんて、一つも反映されていないのに。


 気づいたときには、すべてが終わっていた。

 私の知らないところで、私の未来が勝手に決められていた。

 


 だから、私はこうしたんだ。

 だって、私が自由になれなかったのは、この人たちがいたせいでしょ。


 

 手の平から、赤い液体が滴り落ちる。

 私は最初に、寝ている父親の首を刺した。いくら頭がいいからって、大人の男性に力で勝てるとは思っていない。

 でも、それは正面から勝負した時だけ。相手が寝ているのなら、返り討ちなんてされるはずもない。


 次に母親。こっちは、興味があったから、身体を縛って目が覚めるまで待った。

 そして、起きたところをお腹に一刺し。その後は、刺した包丁をぐるぐると混ぜて、母親の絶叫を楽しんだ。

 なんで、とか。愛してたのに、とか言ってたけど、あれはきっと、日本語ではない別の言語だったのだろう。


 まぁ、罪悪感などは特に湧かなかった。

 ただ、それは両親のことを恨んでたからとかでは無くて、宇宙に行くことが出来なかったから、その代わりに殺人と言う名の『特別』を味わいたかっただけ。


 だから、私は……この人生に満足した。


 ベランダの柵に登り、手を空に伸ばす。

 本来なら、届いたかもしれない場所へ。でも、もう二度と届くことの無い場所へ。


 私は前に向かって飛び跳ねた。

 生まれた時からずっと、私を縛っていた重力が消え、身体が浮遊感に包まれる。

 どうしようもない幸福感と共に、視界が青に染まって、夢だった場所に触れたような気がした。


 




 そして、当然のように地面に墜ちた。

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