五、たんさくん
第五章 たんさくん
たんさくん。
坂野が使役する式神の一体である。
坂野が契約している式神は、主に四体。
一体目は、『呪詛るん』の、『呪いを運ぶ式神』。この式神は、いまや多くの人間の悪意を食らって、坂野をはるかに凌ぐ力を得ている。
もう一体は、『呪詛返すんです』の、『呪詛を返す式神』。この式神は呪詛るんの式神の双子の姉で、妹にそっくりな容姿を持ち合わせている。しかし、この式神は呪詛を返すまでが仕事であり、実際に返された呪詛を運んでいるのは、『呪詛るん』の式神である。
三体目は、今はまだ、契約のみでその力を発揮していない、とある式神。
そして最後の一体が、『たんさくん』である。たんさくんは、呪いをたどれる力を持つ、毛むくじゃらな犬のような式神である。
たんさくんは温厚で、ひとの悪意を食事としない。
坂野自身、式神というものは人間の悪意を食らって生きているものだと思っていたのだが、どうやらたんさくんはそうではないようだ。
坂野も最近知ったのだが、たんさくんが食らうのはひとの『優しさ』である。それが坂野のものであることもあるし、坂野がかかわった人間のものであることもある。
平和とは程遠い毎日であるが、坂野とたんさくんは唯一無二の相棒だった
「たんさくん、今日も行こうか」
朝は五時。坂野の朝は早い。とはいえ、坂野は不老不死であるから、睡眠その他もろもろ、普通の人間とは違ったサイクルを持っている。
一週間は不眠不休で行動することができるし、食事もせいぜい週に一回。
しかし、坂野に休日という概念は存在しない。なぜなら、呪いに休日も平日も関係ないからだ。
今日も今日で、坂野はたんさくんに呪いをたどらせる。最近ことさら強く匂う『あるひと』の呪詛力をたどらせているのだが、なかなかその本丸にたどり着けない。
その人物がなかなかの『使い手』であることを意味している。おそらくその人物は無意識であろうが、その人物は隠れるのがうまかった。
「松坂武雄くん、高野一井さん、筧愛さん。この三人の呪詛主。見つかりそうかい?」
もう三週間ほどたどっているのは、とある人物の居場所である。
その人物はこの四年で、多くの人間に呪詛をかけた。危険人物である。
たんさくんがフンスフンスと地面を嗅ぐも、やはりそれは途中で途切れてしまう。
『わっふ! わう!』
今日もなんの手掛かりもなく一日が終ろうとしている。そんな時だった。
「あれえ、ワンコかい?」
足取りもおぼつかない老婆がひとり、たんさくんに気づき、しゃがみ込んだ。年のころは七十といったところであろうか。
たんさくんは基本人間には見えない。例外を除いては。その例外とは、霊力の高い人間か、あるいはこの老婆のように、人生経験を積んだお年寄りには、見えてしまうことがある。
老婆は買い物の帰りらしく、買い物袋の中からちくわを取り出すと、
「あげてもいいかい?」
そう、聞いてくる。しかし坂野は即答できなかった。たんさくんにちくわなんて食べさせたことがなかったし、そもそも見えてしまった以上、どうやってごまかそうかと思案していたからだ。
このまま陰陽術を使って姿をくらましてもいいのだが、それがこの町のうわさになれば、坂野がこの町で『あのひと』を探すのに肩身が狭くなる。
「ええ、食べないかもしれませんが」
だから坂野は、そう、無難に返していた。しかし、老婆の足元を走り回るたんさくんは老婆に興味津々で、なんならなついている。
わふわふと老婆の足元から離れようとしない。
「ほうら、お食べ」
しかして老婆が差し出したちくわを、たんさくんは一口でばぐっとほおばった。そしてもきゅもきゅと咀嚼すると、味わうように飲み込んで、また、『わふ!』と吠えた。
これには坂野もやや驚き気味の表情である。たんさくんが現世の食べ物を食べられるとは、思ってもみなかった。
しかし、これに味をしめて、今後も請求されたらたまったもんじゃあない。
坂野は老婆を制止する。
「すみません。ダイエット中なので一本だけにしてくれますか?」
「あらあ、そうだったのね。確かにまん丸だものねえ」
「そうなんですよ。彼、抱っこすると存外重くて」
坂野の本心も混ざった。
『わふん?』
たんさくんが坂野にジト目――とはいっても、たんさくんの目がどこにあるのか、坂野にもわからないが――を向ける。
坂野は「あはは」と乾いた笑いを漏らしながら、たんさくんをひょいっと抱き上げた。ジタバタとたんさくんが腕の中で暴れる。珍しい光景だ。
「こら、たんさくん。おとなしく」
「あらあ、『たんさくん』っていう名前なの? 変わった名前ねえ」
「ああ、はい。この子は探索が得意だから、『たんさくん』っていって。ってこら、飛び降りるな!」
わふん! と鼻を鳴らすたんさくん。坂野の腕から地面に軽々と着地して、まるで、『自分は太っていない』と坂野に抵抗しているようにも見える。
坂野はやれやれと肩をすくめるも、老婆はふふっと笑いを漏らした。
「仲がいいんですねえ」
「どこが!」
『ワウワウ!』
坂野とたんさくんの声が重なる。
坂野はたんさくんを見下ろし、たんさくんは坂野を見上げて、目を合わせていたかと思えば、ふいっと顔をそらしあった。
「ふふっ、本当に仲良しさんねえ」
「ああ。まあ。それはそうと。おばあさんは、この町で変な噂とか、聞いたこと、あります?」
「変な噂?」
「そう。幽霊が出るとか、変死体が出るとか」
坂野の単刀直入な問いにも、老婆は一切怪訝な顔をしなかった。さすが、年の功とはよく言ったものである。もしかすると、坂野の正体を、なんとなく察していたのかもしれない。
老婆はその場で『うーん』とうなっていたが、なにも思い当たるものがないらしく、困ったように笑った。
「すみません。私じゃあお役に立てないみたいで」
ごめんなさいねえ、と言いながら、老婆は手に持っていた残りのちくわを坂野に手渡す。
「ええと、おばあさん?」
「あの子。きっとちくわのこと大好きになったわよ。だって、ちくわって私、大好きなの。だからきっと、たんさくんも大好きよ」
平和だと思う。この町には『アイツ』がいるというのに、この老婆にとってそれはまるでそとの世界の話で、呪詛となんらかかわることなく生きている。
本来ならば、これが人間の世界のあるべき姿だ。この世界を壊したのは、まぎれもなく坂野である。坂野が作り出したアプリである。
居心地の悪さを感じる。
「たんさくん、行こう」
ちくわを受け取り、坂野は老婆から離れていく。その後ろで、老婆が近所のおばさんか、あるいは自身の家族にか、話しかけられている声が、聞こえた。
「あら。『もりの』さん。どなたとお話していたの?」
「ええ? ああ、ちょっと風変わりな青年と、わんこと」
「青年? 犬? そんなもの、全然いないじゃないですか! もう、認知症にはまだ早いですよ?」
おそらく、デイケアの世話人かなにかか。そんなことを思いながら、坂野は再び人探しに歩き出す。
坂野が探しているのはただひとり。近頃呪詛力を悪用している、『とある人物』そのひとだった。




