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現代呪詛  作者: 空岡立夏
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一、呪われた少年

一、呪いの章


第一章 呪われた少年


 ケタケタと無邪気な笑い声が聞こえる。

 少年は、「またか」とあきらめの境地でそれを受け入れた。

『ねえ、ねえ、痛い? 痛くないの?』

 ぎゅううっと少年の右足にしがみつく少女。髪の毛をおかっぱに切りそろえて、今時珍しい着物を着ている。赤い着物だ。

 少年は走っている。今はサッカーの試合中――その『夢の中』である。

 毎夜毎夜、少年はこの夢を見るようになった。もう二週間は続いている。少年の夢がサッカーの試合に切り替わると、決まってこの少女が少年の足に絡みついて、まるで少女には似合わない握力で、少年の右足を圧迫する。

「放せ」

『やだよ。だって、私はもっと、もっとアナタが苦しむさまを見たい』

 あはは、うふふ。

 少女の笑い方にはどこか品があるというのに、やっていることはえげつない。少年の足がだんだんとうっ血して、どす黒く変色していく。痛い、痛い。

 だけれど、サッカーの試合を共にしているチームメイトは、まったく少年の変化に気づかない。そもそも、少女の姿が見えていないのだ。

「おい、武雄! シュートだ!」

「あ、あ。うん!」

 夢の中とはいえ、サッカーの試合を放棄する気にはなれなかった。少年――武雄は回されたパスを軽く受け取り、軸足である右足に体重をかける。だが――

「痛っ!」

 少女の圧迫により右足が腐り始めている。じくじくと黄色く膿んで、膝から下が腐ってきている。

 ジンジン、ずきずきと右足が痛む。武雄がその場に倒れる。右足を抑えて、痛みに耐えかねて。

 チームメイトは武雄の傍に駆け寄ったりはしない。武雄はそのまま置いてけぼりで、サッカーの試合だけが無情に進んでいく。

 場面が切り替わる。

 サッカーの試合は終わっており、だけれど、大事な全国進出をかけたこの試合に、武雄のチームはあっけなく敗れた。

 チームメイトが武雄を囲む。

「オマエのせいで負けたんだ」

「役立たず」

「なんで倒れたんだ」

「オマエが悪い、全部全部」

 チームメイトの罵倒に耳をふさぐも、その声はなぜだか武雄の耳に一言一句漏らさず届く。武雄の傍にはあの少女がいる。武雄を見て、満足そうに、楽しそうに、「あはは、うふふ」と笑いを漏らしていた。


 はっと目を開ける。そのまま勢いよく体を起こして、武雄はあたりを見渡した。

 枕元にあるスマホを見て、今日の日付を確認する。

 よかった、あれは夢だ。

 今日は八月一日、全国進出をかけた試合本番まであと二十日である。

 最近毎晩のように見る悪夢に、武雄は現実と夢の区別すらつかなくなりつつある。

 寝巻の上から右足をさする。夢の中で感じた痛みは、今も鮮明に思い出される。だからこそ、武雄は夢と現実の区別がつかないのだ。

 右足の寝巻をそっとまくり上げる。

「……! また……」

 二週間前から見始めた夢に呼応するように、武雄の右足にはあざができ始めた。最初はあおなじみ程度の大きさだったそれも、今や膝のした全体がどす青く変色しており、時折それは夢の中と同じまではいかずとも、なんとなく痛むようになった。

 あの夢は予知夢かなにかなのだろうか。はたまた、自分はなにか、言い知れぬ力に侵されているのだろうか。

「……気のせい、気のせい」

 右足にあざができ始めたほうが先だったか、この夢を見始めたのが先であったか。武雄にはもう思い出せない。だけれど、きっとこのあざが先に違いない。突然現れたあざに不安を感じているから、夢にまで見てしまうだけだ。

 現に、このあざは夢の中以外ではほとんど痛みを発さない。時折痛むことはあれど、夢のなかほどの強烈な痛みではなく、なんとなくひりつく程度である。

 ならばきっと、自分がナーバスになっているだけなのだ。

 武雄にとってこの右足は、自慢の右足である。

 サッカー選手を夢見る武雄にとって、軸足である右足は、なによりも大事なもの。だからこそ、あざに動揺し夢にまで見てしまうに違いない。

 重い腰を上げて、武雄は高校に行く身支度を始めた。今日は心なしか右足が痛む気がする。そんな不安を抱えながら、武雄は自室をあとにした。


 朝食をかきこんで、いつも通りの通学路を歩く。しかし、その足取りは重い。文字通り、「重い」のだ。

 あざが出始めてから二週間、こんなことは一度もなかった。足が重い、さらには『痛む』。

 じくじくと、ズキズキと蝕まれていく感触が、武雄の右足にまとわりつく。

 シャララ。

 うつむきながら重い足を一歩ずつ、ゆっくりと進めていると、どこからともなく聞こえた鈴の音。始めこそ気づかなかった武雄だが、どうやらその鈴の音はだんだんと武雄に近づいている。

 シャララ。

 とうとうその音は武雄の目の前まで来て、止まった。

 足を動かすためにうつむかせていた顔をあげる。

「君が、『松坂武雄』くんだね?」

 風変わりな男がたっていた。真っ白な服は袖部分が大きく広がり、狩衣を連想させる。さらに太いしめ縄をネックレスのように首に下げて、しめ縄の胸の辺りには拳大の鈴がぶら下がっていた。

 鈴の音の主がこの風変わりな男だとして、なぜ自分の名前を知っているのだろうか。武雄は一歩、後ずさる。

「君、呪われてる」

「は……? 新手の勧誘か……?」

 武雄が男を避けて通りすぎようとするも、男は大きく一歩、踏み出して、武雄の行く手を阻んだ。

「『呪詛るん』。君も名前くらいは聞いたことあるだろ?」

「……丑の刻参りができるアプリ……ですよね……」

 意味深な男の言葉に、武雄は思わず返事をしてしまう。男がニヤリと笑う。その顔は、嬉しそうでもあり、憂えるようでもあった。

「そう、それ。君はそれで、呪われてるんだ」

「……はっ。そんなバカな話、今時子供だって騙されないっての!」

 足の痛みが消えたわけではない。けれど武雄は走った。言い知れぬ不安を覚えたからだ。男が言いたいことがなんとなくわかってしまった。呪いとは、この右足を指すのではないか。そしてこれが呪いのせいだとしたら、なんら武雄に打つ手はない。


 SNS全盛期の現在、丑の刻参りも現代風にアレンジされた。

 とある時期に、誰が開発したかもわからない、だけれど誰もが知っているアプリがある。

 名前を『呪詛るん』。

 使い方はいたってシンプル。丑三つ時に、アプリに表示される藁人形の写真に五寸釘を打ち込む、ただそれだけだ。

 ただし、呪詛るんには必要なものがある。それが呪いたい相手の個人情報だ。

 それはSNSのアカウントであったり、住所や本名、写真であったり。個人情報が本人に近ければ近いほど、呪詛るんの呪いはより強力に働く。

 武雄が知っている情報はこれくらいだ。だが、知っていたからといって、アプリを利用したことはない。そもそも胡散臭い、子供だましな設定であるし、武雄は誰かを呪いたいと思ったことはない。

「武雄、パス!」

「お、おう!」

 今朝の朝練は、ゲーム形式の試合である。武雄は親友でチームメイトの春斗にパスを送るために、軸足である右足を踏ん張る。そのときである。

『あはは。もうすぐだね』

「っ!?」

 これは夢のなかなのであろうか。いや、この感じ、におい、感触は、紛れもなく現実だ。ならば、なぜこの少女が見えるのだろうか。

 踏ん張った右足が少女に絡めとられる。かと思えば、ミシリ。骨がきしむような、今までにない痛みが、武雄の右足に走った。

「うぁあぁっ!?」

「武雄……?」

 右足に力が入らなくなり、武雄はその場に倒れ込んだ。夢のなかであれば、武雄はそのままひとり、誰にも心配されないところを、今日は違った。

 チームメイトが心配の声とともに、武雄のもとに走りよる。それだけで、今起きていることが『現実』なのだと、武雄は認めざるを得なくなる。

 うずくまる武雄の足元で、いまだ少女は笑っている。ぴょんぴょんと跳ね回りながら、武雄が悶絶する様を、楽しそうに見ていたのだ。


 大事をとって部活は早退となる。右足のあざはチームメイトだけではなく教師や両親まで知るところとなってしまった。おまけに、病院につれていかれて、『原因不明』と告げられては、もう手のうちようがない。

「なんなんだよっ!」

 部屋のなかでひとり憤る。

「ほうら、僕は言ったでしょ。呪いなんだって」

「う、わっ? はっ? なんで俺の部屋に……」

 ベッドのうえで膝を抱える武雄、そして、その武雄の目の前に現れたあの風変わりな男。

 男はシャララ、と胸の鈴を鳴らしながら、武雄の右足を指差して、ふうん、と唸った。

「君の大切なものは、その右足ってわけか」

「なん……なんで」

「なんでわかるかって? だってそうさ、呪いはいつだってそのひとの一番大切なものを奪う」

 男はその場で右手を胸の高さにあげて、人差し指と中指をたてる。そうして、男のまとう空気が澱んだかと思えば、

『ワン! わふ!』

 いつの間にいたのか、武雄の右足にフンフンと、犬のような毛玉が嗅ぎ回っていた。

 この男もそうだが、どうやってこの部屋に入ったのだろうか。玄関から入ったのならば、母親が対応するだろうが、そんな様子はなかった。だとしたら、『現れた』と言う他に説明がつかない。

「この犬は呪いを辿ることが出来る、僕の式神」

「式神……えーと、じゃあアナタは?」

「僕? ああ、名乗ってなかったかな。僕は坂野。坂野弘彦。単なる陰陽師なんだけどね」

 けろっと話を進める坂野に対して、武雄のキャパはすでにオーバーしている。

 ぶんぶんと顔を横に振って、

「ま、待って、待って。陰陽師とか式神とか、そんなもの信じられるわけ……」

 坂野の顔が歪む。面倒くさい、そう言いたげな顔であるが、ふうっとため息ののち。

「この二週間、夢を見るだろう? こう、小さな女の子……着物姿におかっぱ頭の。あの子が、呪詛るんの呪いを運ぶ式神なんだ」

「……『あの子』が式神……」

「ほら、心当たりがあるだろう。君、やっぱりあの子が見えてるんじゃない?」

 坂野は武雄の隣に腰掛け、さも友だちと駄弁るかのように、馴れ馴れしく武雄に言った。いまだ不信感はぬぐえないが、いきなり現れたことに加えて、武雄の右足のこと、夢の中の少女のことを言い当てられて、どうにも邪険には扱えない。

「でも、呪詛るんなんてただの子供だましだろ。友だちが言ってた」

「……ああ、それはそうだね。呪詛るんは、使い手によって呪詛が発生するまで何日かかるかわからないからね。呪詛が発動するまで毎日続けないと意味がないんだ」

 やけに詳しい、武雄はそんなことをぼんやりと思う。陰陽師という人間は、アプリにまで精通しているものなのだろうか。

 坂野が本当に陰陽師だとして、ならばこんな回りくどいことをしなくとも。

「坂野さん、百歩譲って俺の右足が呪いだとして。陰陽師の坂野さんにはこの呪い、解けるんじゃないですか?」

 右足のあざや痛みが消えるのならば、藁にもすがる思いである。武雄は懇願するように坂野に言うが、坂野はやれやれと肩をすくめ、笑った。

「丑の刻参りは、呪詛を行う人間をやめさせるか、呪詛返ししか道はないんだよね」

「……ああ、そう。アンタやっぱり口だけなんでしょ。本当は陰陽師ってのもはったりで、金儲けのために俺に近づいたんだろうけど――」

 坂野がすくっと立ち上がる。同時に、坂野が出した犬のような式神も、武雄の足元から離れていく。

「信じる信じないは個人の自由。君の呪いはあと二週間で完成する、とだけ伝えておくから」

 立ち上がった坂野が、右手を再び胸の高さに持っていくと、人差し指と中指をたてて、そうして。

「は。え?」

 すうっと、坂野の姿が霞んでいく。半透明になって、やがて消える。

 夢でも見ているのだろうか。あるいは化かされている気分だ。

 だけれど武雄が坂野の正体を信じるには十分すぎる出来事であった。

「ま、待って!」

 だが、だからといって坂野が再び武雄の前に姿を現すことはない。もしかすると自分はとんでもなく損をしたかもしれない。

 この右足のあざを、坂野であればどうにかする術を知っていたのかも。そう考えると、武雄は自分の度量の狭さを嘆かずにはいられなかった。

 とはいっても、陰陽師なんて存在を、初見で認められる人間など、現代には存在しないのも事実であろう。


 助けてくれ。助けてくれ、たすけてくれ!

 その夜、武雄は夢を見た。眠りにつきたくないと夜更けまでリビングのソファに座っていたのだが、どういうわけか睡魔が襲う。まるであの夢から逃れられないと言いたげに、武雄は眠りにいざなわれた。

 そして見たのはいつもの夢だ、サッカーの試合をしていると、あの少女が武雄の足を圧迫する。

 だけれど今日は、そこで終わらなかった。

 ギリギリギリギリ。武雄が倒れてもなお、少女は武雄の足から離れない。むしろ、より強く、まるで刃物で刺し貫くかのような痛みが右足を蝕んだ。

 見れば、少女の鋭い歯が武雄の右足に食い込んでいる。うっ血と噛み傷で、武雄の右足は見るも無惨に変わり果てている。

 膝から下は青黒く、噛み傷からは血が流れる。黄色い膿がじゅくじゅくと垂れ流れ、紙一重で膝に繋がっている状態である。

「やめ、やめろ!」

『アイツ、アイツ、アイツ! アイツが来た、アイツが私の邪魔をしに来た!』

 少女の怒りの理由がわからない。わからないが、このまはまでは右足がだめになる、それだけはすぐに理解した。

 この夢から逃れる方法を、武雄はしらない。覚めろ覚めろと何度も念じたって、少しも目が覚める気配はない。

「う、ぁあああっ!」

 ジギジギジギ、と音がする。右足を引きちぎる音だ。腐った右足を、傷だらけの右足を、少女のけた外れな力が引っ張る。見た目からは想像もできない力だ、かろうじて繋がっていた足を、もぎ取らんと引っ張る。

「ぃぁあぁあぁあ!」

『はやく、はやく』

 抵抗する。少女を蹴って押して対抗するも、少女はまったくひるまない。それどころか、ヂギヂギヂギ、と右足はさらにさらに膝から離れていく。

 あまりの痛みに声すら出なくなる。抵抗もできない。ただただ少女にされるがまま、だんだんと、少しずつ、武雄の膝からしたが引きちぎれていく。

「っ、ぁ」

 あと少し。

 そこに来て、武雄の意識が真っ白な光に包まれた。


 汗がいやに背中に流れる。べっとりと貼り付いた寝巻きの不快感と、いまだなお鮮明に感じる右足の痛み。だけれど視界に写るのは、武雄の家のリビングだった。

 目が覚めたのだ。よかった。

「松坂武雄くん。間に合ってよかった」

「……さかの、さん……?」

 右足の寝巻きをまくって、武雄は自分の右足がちゃんと『くっついてる』ことを確認しながら、武雄の傍に立つ坂野に視線を移す。

 坂野の傍にはあの『犬』もおり、なんなら、坂野の手には、呪符のようなものが握られていた。

「目が覚めたばかりのところで悪いんだけど」

 坂野の表情はよく見えない。暗い部屋のせいでもあるし、坂野がやや右下、武雄の足元を見ていたせいかも知れない。

 武雄は坂野がにらみ見るほうに顔を動かす。

「ひっ!?」

『よくも、よくも。よくも!』

 足元に見えたのはあの少女である。赤い着物を着た、おかっぱの少女だ。だが、武雄がいつも夢の中で見ているような、かわいらしい、あるいは無邪気な姿はどこにもない。目をつり上げて、憎々しそうに坂野を見る少女には、いつもの余裕はない。

「いい加減、僕の言うことを聞いたらどうだい?」

『誰が。私には力がある。人間の悪意と引き換えに、この『あぷり』に私を呼んだのは他でもないオマエだろう? ならなんで、私の邪魔をする?』

 話が見えてこない。武雄はその場に縮こまりながら、坂野と少女のやり取りを見るしかない。

 ごうっと少女の周りに炎が上がる。その炎のひとつひとつは、人間の顔からできている。青い炎だ。

『死ね』

『殺してやる』

『アイツなんか』

『いなくなれ』

 炎の顔は、口々に誰かを罵倒する。あれはもしかすると、先ほど少女が言っていた『人間の悪意』なのかもしれない。

 目を覆いたくなるような、耳を塞ぎたくなるような光景だった。少なくとも武雄は、見ていられない。

「確かに、呪詛るんを作ったのは僕だ。でも、だからこそ君を始末するのも僕の役目なんだよ」

『あはは。そんなの、本当に出来ると思うの?』

 ザッと少女が坂野に手をかざすと、坂野の首がサクッと切れて、ビビュッと血が噴出した。

「え……」

『もう私の邪魔をするな!』

 少女がふっと武雄を見る。うっそりと、獲物をいたぶるような顔で。

『アンタとは、あと少しの付き合いだから。最期まで、待っててね?』

 あはは、きゃはは。

 少女の姿がすうっと消える。

 武雄にかかった坂野の鮮血が、ここに来てようやく武雄の鼻ににおう。

 気持ちの悪いにおいだ。鉄と生臭さを混ぜた、独特のにおい。

「さかの、さん……」

 血に動揺する暇もない。なにより先に、坂野の安否を確認しなくては。

 震える足で立ち上がり、武雄は坂野に歩み寄る。しゃがんで息を確認するも、息はとまっている。

 あわてて坂野の手をとり脈をとるも、やはりなにも感じない。

「坂野さん!」

 脈も息もない、だけれど動揺した武雄は、坂野の名前を呼ぶことしかできなかった。

 のだが。

 ひゅるるる、と、まるで逆再生するかのように、辺りに散らばった坂野の血が、坂野の体へと戻っていく。

 すべての血が坂野のなかに戻ると、坂野はまるで、朝目が覚めたかのような顔で起き上がった。

「ったく。痛いなぁ」

「うわ、うわ!?」

「松坂武雄くん。驚かせてごめんね」

 むっくりと起き上がった坂野は、あっけらかんと武雄に言う。武雄は口をパクパクしてなにも言えなかった。もっと言えば、腰が抜けた。

 自身の右足の痛みすら忘れるほどの衝撃である。武雄はその場に尻餅をついて、ただただ目を真ん丸にして坂野を見ている。

「見ての通り、僕って不老不死なんだよね」

 ここまで見せつけられては、信じる他にない。

「なん、で……あの女の子は坂野さんを目の敵にしてるんですか」

 妙な安堵があった。坂野が来てくれたからには、自分はあの少女から逃れられる。そんな、直感だ。

 坂野はやれやれと肩をすくめる。

「まあ、あれだよね。呪詛るんを作ったのが僕で」

「呪詛るんを?」

「そ。呪詛るんを作るに当たって、あの子――『呪いを運ぶ式神』と契約したんだけど」

 だんだんと話が見えてくる。なぜ坂野が武雄の前に現れたのか。先ほどの少女とのやりとりも。

「基本、陰陽師は自分より力が弱い式神と契約するものなんだけどね。あの子はひとの悪意を食事としていて。それで、アプリ開始と同時に、多くの人間がそれを利用した」

 ひとの悪意は底がない。確かに、呪詛るんなんてアプリが開発されたら、人間なら誰でも一度はその誘惑に負けるだろう。

 案の定、あまたの人間が呪詛るんを使い、結果として少女はたくさんの人間の悪意を食べてしまった。

「悪意をたくさん食べた彼女の力は、僕を上回ってしまった。だから今の僕には、彼女を倒すすべがない」

 坂野が立ち上がる。そうして武雄の腕をつかみ、武雄も立ち上がらせる。

「で、でも。式神って一体しか使えないんですか?」

「そう。そこだよ。君は本当によく気づく」

 ぱちん、と坂野が指をならすと、例の『犬』が現れる。坂野は犬を撫でながら、

「この子も僕と契約した式神でね。呪いを辿ることができる。ちなみにこの子は、『呪詛探索アプリ』の契約式神」

「呪詛探索アプリ……?」

「そ。あとは、『呪詛返すんです』ってアプリもあるよ」

 他人事のようだと思う。そもそも、坂野が呪詛るんなんてアプリを開発しなければ、自分はこんな目にあわなかった。少女の式神が暴走したのだって自業自得だ。

「でもね、松坂武雄くん。式神っていうのは、生涯に四体までしか契約ができない」

「じゃあ、残りの一体は?」

「……さあ。でも、もう先約があってね。それで、松坂武雄くん。君には今、ふたつの選択肢がある」

 長い前置きだと思うも、武雄は前のめりに耳を傾ける。

「ひとつは、『呪詛返すんです』で呪詛返しを行うこと。もうひとつは――」

「ま、待って。呪詛返すんですって、つまり呪いを返すってこと? どうやって?」

 話を遮られ、坂野はむっとした顔をする。だが、武雄にとっては大問題だ。呪詛返しとは、どのようなものなのだろうか。

「呪詛返すんですは、呪詛を行っている人間の個人情報を書きこめば、それで呪いは呪詛主に返るってわけ」

「……呪いが返るとどうなるんです?」

 うんざりだ、という坂野の表情にも、武雄はひるまない。呪いを返す、つまり相手に呪いが返る。そうなれば、相手もただではすまないのではなかろうか。

 果たして、武雄の心配は的中する。

「呪詛がどの程度進んでいたかによるけど。まあ、君を呪っていた人間を例にすれば、重症の傷をおうってところかな」

 つくづく人間は理解できない。坂野はそう思っている。呪う側の言い分なんてわからない、けれど、呪われる側の言い分はなおさらわからない。

 坂野は、武雄がどんな決断をするのか、聞かずともわかっていた。わかりたくないのだが、今までの経験から、わかってしまうのだ。

「松坂武雄くん。聞くまでもないんだけど、もうひとつ、方法があるんだ。呪う側も呪われる側も、傷つかないやりかたが」

「……俺は、甘いんでしょうか」

「……まあ、呪われる側の言い分なんて、僕には知ったことじゃない」

 呪われたから呪い返す。それが人間だと坂野は思っていた。だから『呪詛返すんです』を開発した。呪詛るんで呪われた人間を救済するための手段だった。

 陰陽師という家柄は、忌み嫌われるだけで尊敬などされたことがない。少なくとも坂野は、あまたの人間の悪意を受けて育ってきた。そのくせ、目に見えない力が働くと、すべては陰陽師のせいにされた。

 だから、腹いせだった。呪詛るんを作って、弱いながらも呪詛を受けた人間たちが、陰陽師に泣いて助けを請う、坂野の思惑はそこだった。

 しかし、坂野の狙いは見事に外れる。呪詛るんは思いの外人間を魅了した。弱いながらも呪詛が成功する。成功しなくても、丑の刻参りをするだけで人間の心は晴れた。

 呪詛るんの契約式神――呪いを運ぶ式神は、瞬く間に人間の悪意を食べ、力をつけた。

 坂野の力など、あっという間に越えていったのだ。だから坂野は、苦肉の策で『呪詛返すんです』を作ったというのに、その存在は思いの外広まらない。

 知ったところで、呪われる側の人間はそれを使いたがらない。

「馬鹿馬鹿しいと思わないかい? 『たんさくん』」

 坂野は連れだって歩く『犬』に話しかける。式神の犬は地面を嗅ぎながら、『わっふ!』と坂野を呪詛主の元へといざなっている。

 呪詛を終わらせる方法はふたつ。

 ひとつは呪詛返すんですに呪詛主の名前を書き込むこと。もうひとつは――


 不法侵入をするのは十八番だ。坂野はとある家にあがりこんで、スマホをにらむように見ている少年の元へと歩いた。

「やあ」

「う、わっ!? 泥棒!」

 少年だ、武雄と同じくらいの――いや、きっと武雄がこの場にいたのならば、きっと驚き言葉を失っていたことだろう。

「太田春斗くん。君がしていることは――」

 優しくさとすつもりは毛頭ないのだが、一応の警告を口頭で伝える。しかし、春斗は坂野を不審者とみなし、手元にあった本をバサバサっと坂野のほうに投げやった。

 坂野は本を避けようともしない。正面から受けて、額がぱっくりと切れる。

 頭の傷は大袈裟に血が出るものだ。坂野の額から血が流れ出るのを見て、春斗は自分が悪いことをしている気分になる。なにより、坂野がまったく抵抗しないことがそれに拍車をかけた。

「痛ったいなぁ。不老不死っていったって、痛いものは痛いんだよ」

 だがしかし、坂野の額の血が、逆再生するかのように傷口に戻る様を見て、春斗はいよいよ覚悟を決めた。この人間は自分が使った『呪詛るん』と関係がある。

 春斗は武雄に呪いをかけた。いや、正確には呪いを依頼したのだが、どちらにせよ、春斗が無関係とは言い切れない。

 ふっと坂野が笑った。

「自覚はあるみたいだね。妬みかな? 松坂武雄くんは、もう少しで『死ぬ』ところだったよ」

「だ、だけどっ! 俺はもうやめてくれって頼んで……」

「へえ。『頼んで』。呪詛を他人に頼んで、松坂武雄くんをいたぶって楽しかったかい?」

「だ、だから俺はっ! あんなの都市伝説だって思ってたんだよ!」

 ガタガタ、ガタガタ。

 春斗の部屋が鳴動する。やがて電気が消えて、真っ暗になる。恐ろしくなり春斗はドアに走るも、ドアはまったく開かない。鍵をかけているわけでもないのに、ドアは固く閉ざされている。

 ひゅおっと生暖かい風が春斗の頬をなでる。

「ひっ、こ、殺さないでっ! 助けてっ!」

 カタカタ震えながら、春斗はその場に尻をつく。

 振り返ることすらできない。ただならぬ雰囲気が坂野にはあった。

 次第に春斗の部屋の空気がヒヤリと冷えていく。

「君を殺す殺さないは僕が決めることじゃない」

 無機質な声だ。本当に、興味がなさそうに、どうでもいいと言いたげな。

「『呪詛るん』にはね、対抗策があるんだ。『呪詛返すんです』っていってね。呪詛主の名前を書き込めば、その呪いは呪詛主に返るんだ」

「お、俺は書き込んでない……俺はただ、頼んだだけでっ」

「呪詛ってね。呪詛るんを使ったひとだけじゃない。悪意を向けてきた人間も対象になるんだよ」

 腰が抜けて動けない。まさか、そんな。自分は頼んだだけで、自分で丑の刻参りなんてしていない。ほんの遊びだ、本当に呪えるなんて思わなかった。

 今日、武雄の足を見るまでは。

 あれが呪いの効果だと、春斗にはすぐにわかった。わかったから、帰ってからずっと、なんなら、部活中も必死になって、依頼をした『そのひと』に、呪いを中止してくれと頼んでいた。

 けれど逆に脅された。もし万が一呪詛がばれたら、オマエを先に始末する。

 だから春斗はどうしようもなかった。そうだ、これは不可抗力だ。

「誰が誰を呪っていたのか。松坂武雄くんにはもう話してある。『呪詛返すんです』のことも、話してある。君が今後しなければならないのは、心からの謝罪と――」

 罪を背負って生きていくことだ。

 坂野の言葉に、春斗は大いに後悔した。

 最初は少しの嫉妬だった。自分よりサッカーがうまい武雄を、少しだけ困らせるつもりだった。なのに、いつの間にか呪詛るんなんてものに手を出して、武雄に呪詛をかけてしまった。

「松坂武雄くんが死ななかったのは、不幸中の幸いと思ったほうがいい」

「……アナタは、一体だれなんですか」

「僕かい? 僕はしがない陰陽師さ。ただ、君と違って許されない間違いを犯した」

 春斗の前から坂野の姿が消えていく。と同時に、部屋の明かりがつき、春斗はしばらくぼうっと宙を眺めていた。


『呪いを終わらせるもうひとつの方法は、呪詛主の呪いを止めることだ。君が望むのなら、僕がこの呪いを止めてあげる』

 坂野の言葉通り、あの日以来武雄はあの夢を見なくなった。足のあざも、今ではすっかり消えなくなり、あの痛みも、今は感じない。

 結局武雄を呪っていたのは、親友の春斗だった。しかし春斗自身が直接手を下していたわけではない。

 呪詛るんには、もっと別の使いかたがあるのだと、坂野が言っていた。どんな手段であれ、春斗が首謀者であることには変わりない。変わりないのだが、武雄は思う。

 もしも自分が春斗の立場で、なんらかの呪いの手段を得てしまったら。果たして自分はその誘惑に勝てたのだろうか。

 そして、もしも武雄が春斗を許さなかったら、春斗は果たしてどうなっていたのだろうか。

 武雄は春斗を許した。それは一回限りの贖罪のチャンスである。

「俺には『呪詛返すんです』がある。坂野さんが言うには、呪詛返しは一生有効だって。だから、春斗がまた俺を呪ったときは、躊躇なく呪詛返しをする」

「武雄、ごめん、俺……」

「だけど、今回だけは許すよ。春斗が転校して、新しくやり直せたらいいね」

 武雄のこの優しさが、たまらなく嫌いだ。春斗は今、それに気づいた。いつだってみんなの輪の中心にいて、分け隔てなく接する、優しさが。その優しさはときに他人を傷つける。ナイフなんかより何倍も何十倍も鋭い凶器だ。

 武雄はきっと、優しさが凶器になるなんて、一生気づかずに生きていくに違いない。はなから自分達は考え方が違うのだ。なぜ今まで親友なんて言い切れたのだろうか。

「俺、オマエのこと、ずっとずっと嫌いだったよ」

「春斗……」

「でも、そうだな。約束する。呪詛るんは使わない。だって、俺が呪いたいのは、武雄、オマエ以外きっと、生涯現れない」

 苦い別れとなった。

 だけれど武雄は思う。呪いも信頼も、紙一重なのではないか。今まで春斗とすごした一年と半年、確かに自分達は親友だった。親友だったからこそ、許せないものがあった。

 そもそもは、呪詛るんなんてものが存在しなければ、春斗も武雄もこんな目にはあわなかった。

「元気でな、春斗」

 そうして春斗は、転校した。家も引っ越した。

 武雄はその後、春斗に一切連絡はしていないし、春斗もまた、誰かを呪うことはなかった。


 一連の流れを見て、坂野がふっと息を吐いた。

 今回の件は特殊な事例だ。アプリの使い方も、時代によって変わってくる。今回の黒幕は春斗のほかにもうひとり。

「松坂武雄くん」

「うわ。急に現れないでくださいよ」

「ごめんね。でも、玄関とか面倒くさくて」

 すっかり呪いが解けた武雄の前に、坂野が顔をだす。陰陽術を使って部屋に不法侵入したのだ。だが、武雄も慣れたもので、一切動じることはない。

「坂野さん。ありがとうございました」

「いえいえ。僕はただ、呪いをとめただけで、自分の霊力はなにも使ってない」

「それでも、呪詛探索の式神は使ったじゃないですか」

 武雄にすっかり懐いた『たんさくん』が、武雄の膝のうえで丸まって、わっふ! と吠えた。

「いやあ、そうかい? そんなにお礼がしたいって?」

「いや、言ってません、そんなこと。でも、そうですね。お礼に、俺ができることならなんでもします」

 軽い気持ち、あるいは、武雄は生来優しい少年であるため、本心からの言葉だったのかもしれない。

 坂野は、武雄の言葉を見越していたに違いない。にっと口の端を引き上げる。

「じゃあ、僕の名前を『呪詛るん』に書いてくれないかい?」

「え……? そんなことしたら、死――」

 ここではたと思い出す。坂野は不老不死だ。それは、あの日に確認済みだ。目の前で見せつけられた。そんな坂野の名前を書いてなにになるのだろうか。

「知っているかい。式神は、契約した術者が死ねば、無効になる」

「……それは、つまり」

「そう。僕が死ねば、呪詛るんは使えなくなる。けれどね、それを恐れたあの子――呪いを運ぶ式神に、逆に呪われてしまった。不老不死の呪いをね」

 坂野はまるであっけらかんとした口調である。

 呪い殺すことなどできるのだろうか、不老不死の人間を。

「僕だって後悔してるんだ。呪詛るんなんてものを作り出したこと。家族には勘当されたし、式神からは呪われるし。だからね、僕は僕を殺さなければならない」

 不老不死、いったいいつから生きているのだろう。見た目は二十代そこそこだ、だけれど表情は最初からくたびれていた。長い長いときをひとりで生き、過ごしてきたのだろうか。だとしたら、なんて孤独で、なんて残酷な。

「でも、書き込んだら俺は、春斗のことも許さなきゃならなくなる」

「許したんじゃないの?」

「許したよ。春斗の心は。でも、呪詛るんを使った弱さは、許せてない」

 はぁあ、と坂野から盛大なため息が漏れる。やっぱりな、ほら見たことか。坂野にはこの展開が予想できていただけに、笑うしかなかった。

「わかった。君がそういう人間だっていうのははなからわかっていたよ。それじゃあ、今度こそ僕は、君の前から消えるけど」

「ま、待って。坂野さん。坂野さんはどうして俺を助けてくれたんです?」

 今さらそんなこと。

 坂野は武雄の膝に丸まる『たんさくん』を抱き上げると、右手を胸の前まであげて、中指と人差し指をたてる。

「君みたいに、強い呪いを受けた人間は、一時的に呪詛の力が強まるんだ。現に君には、式神が見えてた」

 だんだんと、坂野の体が透けていく。笑っているようにも、泣いているようにも見えた。

「呪詛の力が強まった人間が、『呪詛るん』に僕の名前を書く。僕が死ねる方法は、もうそれしか残されてないのさ」

「でも、本当にそれで――」

 本当にそれで死ねるのかなんて、坂野自身もわからない。けれど、坂野は死ななければならない。坂野が死ねば、呪詛るんの――呪いを運ぶ式神との契約は無効になる。そしてもうひとつ、坂野には目論見がある。

「元気で。松坂武雄くん。『呪詛るん』も、『呪詛返すんです』も使わない人生が送れたらいいね」

 ぽっと呟くように残された言葉を、武雄は一生忘れないだろう。

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