ようこそ僕らの世界へ
この物語はフィクションです。
鼻先が、くすぐられる。
目を細めて、そっと開けてみる。
上半身を起こし――
鈴木アカリは、息を飲んだ。
「·····え?」
目の前には、
一面の緑の大地が、視界いっぱいに広がっていた。
「······さっきまで、教室にいたのに··」
「おや、お目覚めですか?」
背後から、唐突に声をかけられる。
驚いて、振り向いた先。
クレヨンで塗ったような青空から差し込む光の下にいたのは―――
「··は··づき、しろう··くん?」
「はい」
彼は微笑み、
「アナタと同じ、横塚高校一年A組の――
羽月シロウです」
見知った男子生徒が、優雅にお辞儀をした。
彼――羽月シロウは、アカリのクラスにやってきた、時期外れの転校生だ。
しかしアカリは、見知った顔のはずの彼に、戸惑いを隠しきれずにいる。
なぜなら今、目の前にいる彼の姿が、
彼女のよく知るものとは、少し違っていたからだ。
少し色素の薄い、茶色がかった髪は白く。
瞳は、まるで青いビー玉のように、光を受けてキラリと輝く。
深緑色のブレザー。
襟元と袖口に控えめに彩りを添える、オレンジ色のパイピング。
腰周りまでのスラックスは、アカリのスカートと同じ、ブラウンのチェック柄――
――見慣れた、学校の制服姿。
しかし右目には、銀縁のモノクル。
それだけが、少し異彩を放っていた。
「···えっと···は、づきくん?」
「はい」
「···あの」
不意に、手を差し出される。
「立てますか?」
少し躊躇してから、おずおずとその手をとり、ゆっくりと立ち上がる。
「···えっと、ありがとう、ございます」
「いえ、これしきのことです」
手は、なんでもないように離された。
「何かあれば、なんなりと。
アナタは、僕らの大事な――灯シ人様、なのですから」
サァー···と、春の陽気を含んだ暖かな風が、二人の間を吹き抜ける。
少しの間の後、アカリは短く息を漏らした。
「·····え?」
目の前でシロウが微笑み、白い髪が優しく揺れている。
「····トモシビトって···」
疑問を口にする、アカリ。
「···いったい···」
しかしシロウは、それには応じず、胸元のポケットから銀色の懐中時計を取り出した。
慣れた手つきでフタを開け、時刻を確認する。
「詳しい話は道中で。もう時期、夜がきますので」
こちらへどうぞ――
そう言い残し、歩き出してしまった。
否を言わせない、その流れるような所作に、
アカリは困惑しながらも、従うしかないのだった。
知っているはずのクラスメートが、
知らない話をしてくる。
そもそもアカリは、
さっきまで学校の教室にいたはずなのに。
気づけば、全く知らない場所にいる。
この異常ともいえる状況の中で、
このままここにいても、
どうしたらいいのかわからない。
もはやアカリには、
シロウの後をついて行く以外の選択肢が、
存在していなかった。
□□■■■
草原を抜けると、草木が生い茂る、鬱蒼とした森の中へと入った。
先程とは打って変わって薄暗く、黒い靄がかかり、空気も重たく沈んでいる。
隣を歩くシロウの言った通り、
夜が来たのだろうか。
ふと時間が気になり、アカリはブレザーのポケットから、使い古されたスマートフォンを取り出す―――
しかし。
「···あ」
画面が、消えている。
何度電源ボタンを押してみても、
画面に光が灯ることはなかった。
電源の入らない、古い型のスマートフォン。
諦めてアカリは、ため息をつく。
しかし慣れ親しんだそれは、今のアカリを僅かながらも安堵させた。
「ああ、それですか。僕も最初に見た時は驚きました。
こんな板に、すごい情報量が、って」
不意に話しかけられ、アカリの心臓が跳ねる。
シロウは、アカリの手元に視線を向けていた。
二人の足が、止まる。
「ソチラの世界にお邪魔させていただいているあいだ、
僕も使わせていただきました」
ズボンのポケットから、真新しいスマートフォンを取り出し、
掲げて見せた。
「あまりにも便利なので、
ここでも使えないかと思ったのですが···」
同じく電源ボタンを押してみせて、
首を横に軽く振る。
「あの利便性を知ってしまった今。
本当に、残念な気持ちでいっぱいです」
名残惜しそうに、ポケットにしまい込んだ。
「···そう、ですね···」
ため息をつき、アカリもポケットにしまい込む。
「もう少し行くと、村があります。
少し急ぎましょうか」
「あ···はい」
ほんの少しだけペースをあげながらも、
シロウは常に、彼女を気遣う。
二人は、再び歩き出した。
彼の隣を歩きながら、
アカリは、ぼんやりと思う。
――なんだか、不思議。
――私いま、「あの」羽月くんと話してる。
同じ学校の、クラスメート。
しかし彼とこんなに長く話したのは、
実はこれが、はじめてのことだった。
ただでさえ「時期外れの転校生」という、
ひときわ目立つ存在だ。
加えて、勉強もスポーツもそつなくこなし、
長身で端正な顔立ち。
物腰も柔らかく、
いつも誰かがつくった輪の中心にいる。
まるでそこが、
彼のいるべき場所であるかのように。
一方でアカリは、
その輪の中に踏み込む勇気も持てず、
ただ外側から眺めているばかり。
天は、二物も三物も与えるらしい。
実に――不公平だ。
そんな彼が、少し羨ましくて―――
ちょっぴり、妬ましい。
「····私とは、おおちがい··」
「何かおっしゃいましたか?」
「い、いえ……何も……」
驚いて、とっさに右手で、自身の襟元を掴んだ。
シロウは、じっとアカリの様子を伺い、
「···そうですか」
特に追及することもなく、視線を戻す。
アカリは、ホッと胸をなで下した。
――大丈夫。
心で、念じる。
するとほんの少しだけ、
緊張したアカリの心が、和らいだ。
ここにあるのは。
アカリにとって、大切な「お守り」だ。
いつ、どこで拾ったのか、
それすら忘れてしまった――赤い石。
宝石のような輝きは、一切ない。
ベターっと真っ赤な絵の具を塗りたくっただけの、なんの変哲もない、ただの石ころ。
だけどアカリにとっては、
心を落ち着かせる拠り所となる。
誰にも言えない、
「秘密のお守り」。
アカリは、簡素なペンダントにして、
常に肌身離さず、持ち歩いていた。
元々、内気で引っ込み思案なアカリ。
入学当初は、そんな彼女に話しかけてくれるクラスメートもいたのだが、
上手く会話の波に乗ることができず、
いつの間にか、離れていってしまった。
今のアカリは、
クラスで浮いた存在だ。
居てもいなくても、
誰も気にしない。
いつも、ひとり。
輪の中に入ることもできず、
入ろうともせず。
ただただ、外側から眺めているだけ。
こんな自分が、
ほんとうに――だいきらい。
「そうそう。まずはどこから――
いえ、何からご説明いたしましょうか?」
暗い思考に沈んでいたアカリを、
シロウの声が、現実に引き戻す。
ハッとして、
思わずシロウの顔を見上げた。
「え? えぇっと……」
「どうぞ。
なんでも、お尋ねください」
焦るアカリとは対照的に、
シロウは余裕のある笑顔で、質問を促す。
途端にアカリの頭の中が、
浮かんだ疑問で埋め尽くされた。
聞きたいことは、
たくさんあるはずなのに、
上手くまとまらない。
口を開く。
が、音にすらならない。
シロウは、アカリの言葉をじっと待っている。
しかしアカリには、その沈黙の空気でさえ、怖く感じられた。
――何か、言わなきゃ。
無意識のうちに、
手が「お守り」を掴む。
ふぅ―――っと、
ゆっくり息を吐く。
渦巻いていた思考が、ようやくまとまり、
焦りは、安堵へと変わっていく。
「·····えぇっと···
じゃあ、その···トモシビトサマって?」
モノクルの奥の瞳が、
僅かに細められる。
シロウは、
いつものように、微笑んだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シロウが語る、
灯シ人とは――。
次回
『どうして私が?』
次回更新予定:3月8日(日)21:00頃(予定)
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