お姫様、最初の一歩
「よし!これで今日から始められるわ」
早朝、約束通り、サクマから訓練服を三着受け取った。
どれも少し色褪せてはいるが、しっかりとした作りだ。
リリアーナはその中から一着を選び、さっそく着替えた。
全体的に少し大きいが、動けないほどではない。
ズボンは裾を折り、ベルトでぎゅっと締める。
上着は裾を中に入れれば問題なし。
本来は半袖なのだろうが、リリアーナが着ると七分袖ほどになる。
(うん、大丈夫そう。これで思いっきり動けるわ)
ドレスの窮屈さから解放され、思わずその場で軽く跳ねてみる。
布が身体にまとわりつかず、自由に動く感覚に、胸が高鳴った。
(……やっぱり服って、大事ね)
食事の前に、軽く身体を動かしてみることにした。
まずは腹筋から。
リリアーナは床に仰向けになり、両膝を立てる。
そして腹筋に力を入れ――
「……え?」
身体が、まったく起き上がらない。
「嘘でしょ!」
もう一度、力を込める。
だが結果は同じだった。
その瞬間、神様の言葉が脳裏によみがえる。
――元々の素質は変わらんから、相当な努力をせねば、レベルを上げることは難しいじゃろう。それでも無理に近かろうな――
(……そういうことか)
はっきりと理解した。
この身体は、戦闘向きではない。
分かっていたつもりだった。
だが、想像していた以上に現実は厳しい。
(だけどね……)
リリアーナは拳をぎゅっと握る。
(私は、困難があればあるほど、燃えるタイプなのよ)
もう一度、腹筋に挑む。
「ふぬぬぬぬ~~~!」
声にならない声が漏れ、全身が小刻みに震える。
必死に歯を食いしばり――
ようやく1回。
「……っ、よし!」
たった一回。
それでも、確かに身体は起き上がった。
「よし!まずは1回。やるぞ~!」
息を乱しながら、続ける。
ゆっくり、慎重に。
二回、三回……。
そして、十回。
「はぁ……はぁ……」
限界だった。
そのままパタリと、大の字になって床に倒れ込む。
(たった十回で、こんなに辛いなんて……)
息は上がり、胸が苦しい。
これまでどれほど身体を使ってこなかったのか、嫌というほど思い知らされる。
それでも――
(……楽しい)
久しぶりに身体を動かした充実感が、胸の奥に広がっていた。
短い休憩を挟みながら、腹筋十回、休憩、また十回。
同じことを繰り返し、なんとか五十回。
背筋も同様に、少しずつこなしていく。
目標の百回には届かなかったが、今日はこれで十分だ。
(大丈夫。少しずつ増やしていけばいい)
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昼食
父、母、兄、そしてリリアーナ。
長いテーブルを囲み、家族揃っての食事。
豪華な料理が、次々と運ばれてくる。
前菜、スープ、メイン料理、デザート。
リリアーナの記憶はあっても、莉子としての感覚では、やはり慣れない。
(栄養は完璧。やっぱり問題は体力ね)
「リリア、もしかしてまだ体調が悪いの?」
母・リュシアが、心配そうに顔を覗き込む。
「え? いえ、大丈夫ですよ」
そう言いながら、ステーキを口に運ぶ。
(うん。美味しい)
「リリア、無理するんじゃないぞ」
兄のヴァルターも、真剣な顔だ。
「大丈夫です。昨日少し寝付きが悪かっただけですから」
(まさか慣れない運度をしたから疲れてるなんて言えない……)
この家族がどれほど自分を大切にしているか、痛いほど伝わってくる。
ふと、前世の家族の顔が浮かんだ。
(……みんな、元気でいるかな)
「リリア、やはり体調が悪いのか?」
父・アルベルトの声に、はっとする。
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
今の家族も、前の家族も、どちらも大切だ。
その思いが、胸の奥で静かに重なっていた。
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午後――
「さて、少し休んだし、動こ――」
コンコン。
ノックの音。
「お嬢様、家庭教師の方がいらっしゃいました」
「……あ、そうだった」
毎日のことなのに、莉子の記憶と混同しているせいか、つい忘れてしまう。
授業が始まり、歴史の話を聞いた瞬間――
(……知ってる)
ゲームで見た未来と、リリアーナの記憶が、ぴたりと重なる。
(私……これ、全部分かる)
知識が自然と頭に入ってくる感覚。
(もしかして、戦う以外は、最初からチートなのでは……?)
(過去も、これから起こる未来も、私は知ってる)
授業は問題なく終わった。
(あとは体力さえつければ……)
その後も、お茶の時間、マナー講座、ドレス選び。
気がつけば、もう夕方だ。
(……6歳なのに、忙しすぎない?)
毎日こんな感じだと、訓練の時間が圧倒的に足りない。
夕食前のわずかな時間、限界まで身体を動かした。
その結果、また皆に「やつれている」と心配されるのだった。
それでも、訓練を辞めるという選択肢はなかった。
夕食後、リリアーナは再び屋敷を抜け出し、広大な敷地内を早足で歩く。
夜風が頬を撫で、昼間の疲労がじわじわと身体に戻ってくる。
(……足、重い)
それでも歩みは止めない。
一定のリズムを意識し、呼吸を整えながら、黙々と歩き続けた。
部屋へ戻ると、そのまま床に座り込み、腹筋、背筋、スクワットをそれぞれ五十回。
回数を重ねるごとに、脚は震え、腹筋は悲鳴を上げる。
最後の数回は、ほとんど気力だけで動いていた。
「……これくらいで、音を上げてられないわ」
ベッドに倒れ込んだ瞬間、全身の力が抜けた。
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翌朝――
目を開けた瞬間、違和感が走る。
「……っ!」
身体を動かそうとした途端、全身に鈍い痛みが広がった。
腕も脚も、少し動かすだけで悲鳴を上げる。
(筋肉痛……。しかもかなりひどいわ)
だが、だからといって休むつもりはなかった。
前世でも、何度も経験してきた感覚だ。
最初は辛く、痛く、思うように動けない。
それでも、続けた先にしか結果はないことを、莉子は知っている。
(前世では、努力して記録を伸ばしてきた。なら、今世でも……絶対に結果を出す!)
痛む身体を引きずりながら、リリアーナは再び訓練に向かった。
思うように動かない日もある。
昨日より回数が減る日もある。
それでも――
リリアーナは、毎日訓練を続けた。




