興味の行方
カイリウスは向かいの椅子に腰掛け、静かにリリアーナを見た。
そしてゆっくりと口を開く。
「……なぜ魔獣が城の中にいるんだ?」
カイリウスの言いたいことは、よくわかっていた。
小さく、力が弱いとはいえ魔獣だ。
この世界で魔獣は敵。人間に害をなす存在として、見つけ次第すぐに剣を向けられる。
リリアーナ自身も、モルルに出会うまではそう思っていた。
前世での莉子も、このゲームで魔獣を見つければ迷いなく、剣や魔法で倒してきた。
だが実際にリリアーナとして目の当たりにした時、このラピフェル――モルルは、あまりにも小さく可愛らしかったのだ。
「まず……」
リリアーナは膝の上のモルルを見つめながら言った。
「どうして魔獣だからって倒さなきゃいけないんですか?」
カイリウスは目を見開く。
「この子は悪さはしません。魔獣の中にも、モルルのように人間と共存できる子がいるんです」
リリアーナに体を預け、気持ちよさそうに目を細めるモルル。
この小さな命を守りたい――。
「……モルルというのか」
「はい。……この子は悪いことなんてしません。とても懐いていますし、可愛くて愛しい存在なんです」
モルルを抱きしめる手に、思わず力がこもる。
「お願いです。これ以上モルルを傷つけないでください」
しばらくの沈黙。
やがてカイリウスが口を開く。
「……悪かった。知らなかったとはいえ、姫の大切な存在を傷つけてしまった」
リリアーナは驚いてカイリウスを見た。
カイリウスは深く頭を下げていた。
「あ、頭を上げてください。わかっていただけたなら、それでいいんです」
リリアーナは驚いていた。
まさか魔獣が人間の絶対的な敵であるこの世界で、理解してもらえるとは思っていなかったからだ。
「……大切な存在なんだな」
「……はい」
リリアーナはほっと胸を撫で下ろした。
それから、モルルとの出会いを話した。
そして、この城でとても人気者だということも。
リリアーナの話に驚きながらも、カイリウスは真剣に耳を傾けていた。
(この人、そんなにイヤな人じゃないのかも……)
「……私、皇太子殿下は、もっとイヤな人かと思っていました」
「はっ?!」
カイリウスは目を見開いた。
「だって、食事会の時も朝食の時も、私を見て笑っていましたよね?」
リリアーナはツンとした顔で、横目でカイリウスを見る。
「いや……あれは……」
カイリウスは言葉に詰まり、視線を泳がせた。
「……君が、とても幸せそうな顔で食べていたから……」
頭をぽりぽり掻きながら、頬を赤らめて答える。
(なんだ……バカにしていたわけじゃなかったのね)
「変な意味はなかったんだ。ごめん……」
それはいつもの皇太子の顔ではなく、素の表情だった。
「なら、いいんです」
リリアーナの表情がふっと緩む。
そして、にこりと微笑んだ。
カイリウスの顔が赤く染まる。
「ん?どうしたんですか?」
少し戸惑った様子を不思議に思い、リリアーナは尋ねた。
「……なんでもない」
耳まで赤くなり、どこかぎこちない。
(なんでもないように見えないんだけど……)
リリアーナは首をかしげながら、カイリウスの様子を見つめた。
カイリウスはそれ以上何も言わず、視線をそらした。
「あっ!」
突然リリアーナが声を上げた。
その声に、カイリウスはびくっと肩を揺らす。
「今日この後、山間部へ行って、芋の栽培を見学されるんですよね」
モルルの一件ですっかり忘れていたが、この後カイリウスと官僚三人は、険しい山を越えて、芋の畑を視察する予定になっている。
「ごめんなさい。お忙しいのにご迷惑をおかけしてしまって……」
リリアーナは急ぐようにモルルを抱き、立ち上がった。
「すぐ出ていきますので……」
カイリウスにくるりと背を向け、慌てて歩き出す。
「あ……」
カイリウスの小さな呟きが漏れた。
その声が聞こえたのか、リリアーナは振り返る。
そしてカイリウスを真っ直ぐに見つめた。
「モルルのこと……わかっていただき、ありがとうございました」
にこりと微笑み、深く頭を下げた。
そしてパタパタとスリッパの音を鳴らしながら、その場を立ち去った。
リリアーナの足音が遠ざかり、やがて廊下は静寂に包まれた。
カイリウスはしばらくその場に立ち尽くし、閉じられた扉をただじっと見つめていた。
先ほどの光景が脳裏に浮かぶ。
剣を前に躊躇なく飛び出した小さな姫。
傷を負った魔獣に共鳴魔法を使い、その傷を癒した。
そしてその小さな魔獣を、大切な存在だと言う。
それから――あの笑顔。
「なんなんだ、あの姫は……」
小さく呟く。
魔獣を守ろうとする人間など、見たことがない。
彼女はその魔獣を、慈しむように抱きしめていた。
しかもこの前は、体力作りのために城の庭を走っていた。
新しい作物にも着手し、この国の危機を救っている。
そして珍しい、共鳴魔法の使い手。
「一体、何者なんだ……」
今までそんな人間に出会ったことがない。
だからだろうか。
芽生えたのは――
純粋な興味。
きっとそうだ。
彼女――リリアーナ・アルディア・クラウンのことが頭から離れない。
カイリウスは気づいていなかった。
耳にまで熱を持った、自分の体の変化に。
「殿下、そろそろ出発の時間です」
廊下の向こうから侍従の声が聞こえた。
「わかった……」
カイリウスはゆっくりと扉へ向かった。
だがその足取りは、どこか先ほどまでとは違っていた。




