月下の王子
アグリア王国との食事会は無事に終わった。
アグリアの使節団は、皆じゃがいも料理に興味を示し、好意的な反応を見せた。
席を立ち、それぞれが自室へ向かった。
(あぁ美味しかった。それに最後のデザート、あれってスイートポテトでしょ。やっぱりうちのシェフは天才!)
美味しいものを食べた幸福感で、思わず顔が緩むリリアーナ。
その時――
カイリウスと目が合った。
目が合ったカイリウスは、そのまま視線を落とし、
クスッ
と、小さく笑った。
(え……?今笑った?)
リリアーナの顔がこわばる。
(確かに美味しくてにやけてたかもしれないけど、別に笑わなくてもいいじゃない!)
そのまま目を合わせることなく、カイリウスは背を向けて歩いていった。
リリアーナは離れていくその背を見つめる。
(なんか、ヤなやつ……)
「ん?どうしたリリア」
兄・ヴァルターが、その場にとどまったリリアーナに声をかけた。
リリアーナの肩がピクッと動く。
振り向いて、ヴァルターを見た。
「いえ、なんでもありませんわ」
リリアーナもまた、自室へと歩いていった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
すっかり日は落ち、あたりは薄暗い。
だが、城の明かりが漏れているので、何の問題もなかった。
リリアーナは練習着に着替え、夜の走り込みに備えて入念にストレッチをしていた。
普通なら、夜遅い時間に女性が一人で外を歩くなんて、危険だと思われるが、ここは外でも城の中だ。
(こういう時、お城の姫様でよかったと思うのよね)
外には、警備兵もいる。
そして城には広大な土地が広がっている。
おそらく、この世で一番安心で安全な場所だろう。
訓練にもぴったりの場所でもある。
「さすがに、夜は冷えるなぁ。まぁ動いたらちょうどよくなるんだけどね」
十分なストレッチを終え、リリアーナは走り出した。
これは毎日の日課だ。
朝と夜のランニング。
始めた当初は、体が思うように動かず、息も乱れ、長く走ることができなかった。
だが、毎日休むことなく訓練をしていたおかげで、今は身体も軽く、走るのが楽しい。
前世での記憶が浮かぶ。
十五歳の莉子であった時、陸上部で練習に明け暮れていた日々。
あともう少しで、インターハイへの切符も掴むところだった。
今世では、もちろんインターハイなどない。
その代わり、剣と魔法が使える。
そのための基礎訓練へと変わっていた。
(インターハイはもう出れないけど、私は剣と魔法の世界で一番を目指すわ!)
頬に流れる汗を時折手の甲で拭いながら、リリアーナは夜の庭園を走り続けた。
その時――
ガサッ
誰もいないはずの庭園で、物音がした。
(何……?)
足を止め、音がした方へと、ゆっくりと足を運んだ。
胸の鼓動が早まる。
(誰かいるのかしら……?もしかしてまたモルルのような魔物?)
ゆっくり、ゆっくりと近づく。
ガサッ
音が一層大きくなり、リリアーナの胸が大きく跳ねた。
そっと覗くと、垣根の向こう側に、人影が見える。
(……こんな時間に、誰なの?)
音をたてないよう、その垣根をかき分けると、今度はその姿をはっきり見ることができた。
カイリウス・セリウス・ファレン
端正な美しい顔立ち。
優しく流れる銀の髪が、月に照らし出されて輝いている。
「はぁー!」
縦横無尽に剣を振り回す。
キリッと持ち上がった眉。真剣な眼差し。
そして飛び散る汗までも輝いて見えた。
九歳でこの貫禄、そしてすでに整った容姿。
将来どれほどの美青年になるのか、想像するだけで恐ろしい。
(うわぁ!ヤバすぎでしょ……。ほんとになんでゲームの原作者は、こんな逸材をバッドエンドにしたのかしら)
美しく舞うカイリウスから、目が離せない。
(大人になったカイリウスも見てみたいわぁ……)
つい、我を忘れてカイリウスを見ていた時、力が入りすぎて強く踏み込んでしまった。
パキッ
静けさの中で、小さな音が響いた。
足元の枝を踏みしめてしまった。
「誰だ!」
鋭く投げかけられた声に、リリアーナの胸が大きく飛び跳ねる。
(しまった!)
ゆっくりとリリアーナはカイリウスの前に姿を現した。
何も悪いことはしていない。だけど、肩に力が入ってしまう。
「……私です。すみません、物音がしたので、誰かいるのかと思って……」
リリアーナの登場に、カイリウスは驚いた表情を見せた。
だが、すぐに元の穏やかな笑みを浮かべたカイリウスに戻る。
「……いえ。すみません、大きな声を出してしまって。驚かせてしまいましたね」
優しく柔らかい言い方。
だけどリリアーナはすぐにその違和感を感じとった。
(笑ってるけど……笑ってないよね)
子供らしくない表情と落ち着き。
それは無理に大人を演じているように見えた。
(だから小さな大人だと思ったんだ……)
カイリウスと初めて会ったときに感じていた印象。
それは、決してよいものではなく、むしろ無理をしているのかもしれない――
リリアーナはそう感じた。
「……剣術の稽古ですか?」
「はい。毎日稽古をしているので、一日でも剣を触れないと落ち着かなくて……」
「そうなのですね。すみません、大事な練習のお時間を邪魔してしまって……」
「いえ。それより……」
リリアーナをチラッと見る。
優しく微笑む目の奥に、鋭さが垣間見えた。
「リリアーナ様はどうしてこの場所に?それにそのお姿は……」
(あ……)
リリアーナは自分の姿を、改めて見つめた。
ドレスとは程遠い、パンツスタイルの練習着だ。
この世界、女性でズボンを履く者はほとんどいない。
いても女騎士くらいだろう。
それなのに、一国の姫であるリリアーナがズボンを履いている――
(やばい……変な人と思われるかも……)
リリアーナは慌てて答えた。
「こ、これは、その……走る練習をしていまして。身体が弱いものですから……」
咄嗟についた嘘。
だが、半分は嘘ではない。走る練習をしていることには間違いないのだから。
(大丈夫かしら……)
しばらく考え込むような沈黙の後、カイリウスは言った。
「……そうなのですね。少し驚きましたが、健康な身体を維持するためには、適度な運動は大事ですからね。私も同じようなものです」
にっこりと微笑むカイリウス。
(よかったー!納得してくれた!)
「えぇ……病気をして、皆さんに心配かけさせてしまうのは申し訳ないですもの」
リリアーナもにこりと微笑み返す。
カイリウスもまた笑う。
(何コレー!なんか気持ち悪いんですけど)
お互いが作り笑顔で笑い合うこの状況に、これが王族の礼儀なのかと、思わず内心で苦笑いした。




