干天の一滴
(あれ……?)
笑顔で喜んでいたはずなのに、ひとり、包みを開かない子がいた。
「食べないの?」
リリアーナがそっと尋ねると、女の子は小さく首を振る。
「うん……次いつ食べられるかわからないから」
そう言って、菓子の包みを両手でぎゅっと握りしめた。
胸の奥が、ちくりとする。
(やはり……)
それを聞いていた修道女が、静かに口を開いた。
「小麦が手に入りにくくなっておりしまして……価格も上がっています。工夫はしているのですが、どこも同じ状況でして……」
「そうなのですね……」
リュシアは驚いたように目を伏せた。
「そんなことに……。わたくしも存じませんでしたわ」
そして穏やかに微笑む。
「できる限りお力になります。子どもたちの笑顔のためにも」
「ありがとうございます」
そのやり取りを、リリアーナは静かに見つめていた。
(この子たちは、何も悪くないのに……)
自分と同じ年頃の子もいる。
ただ生まれた場所が違うだけ。
胸の奥のざわめきは、消えなかった。
孤児院を後にし、馬車はゆっくりと石畳の道を進んだ。
窓の外には、いつもの王都。
行き交う人々。
店先に並ぶ商品。
焼き菓子の甘い香り。
けれど――。
どこか空気が重い。
「昨日より高いじゃないか!」
怒号が響いた。
「仕入れ値が上がってるんだ、うちだって困ってる!」
店主も必死に声を張り上げる。
通りの端では、母親が子どもの手を引きながら小声で言った。
「今日は買えないわ。家にある分で我慢しましょう」
子どもは黙って頷く。
ほんの小さな光景。
けれど、確かにそこにあったヒビ。
「止めてください!」
リリアーナの声に、馬車が急停止する。
「リリアーナ?」
リュシアが驚いたようにこちらを見る。
「……いいえ。ただ、少し街の様子を」
そう答えながらも、視線は外から離れない。
(孤児院だけじゃない……)
胸の奥のざわめきが、強くなる。
このまま続けば、国は危機に陥ることを、リリアーナは知っていた。
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「ルシアン、小麦ってこの国では作れないの?」
光が降り注ぐ城の庭園。
リリアーナは隣に立つルシアンに尋ねた。
「お嬢様……小麦を育てるには、適した気候と土壌が必要です。それに今日種をまいたからといって、明日明後日に収穫できるものではありません」
「それはわかってるけど……」
リリアーナは、ぷくっと唇を尖らせる。
「今の小麦の不作を、心配されているのですね?」
ルシアンの静かな問いに、リリアーナは少しだけ視線を落とした。
「……うん」
風が、花壇の白い花を揺らす。
「この国でも小麦は育ちます。ですが、広い畑と十分な水が必要です。アルディアは農地が多い国ではありません」
「でも隣国からしい入れる小麦、かなり減っているのよね?」
噴水の水音が、静かに続く。
「はい。今の段階で、輸送量は例年の六割ほどに落ちていると聞いております」
「そんなに?!」
リリアーナはきゅっと眉を寄せた。
「このまま減り続けたら……完全に輸入が止まったりする?」
「可能性はございます。向こうも自国分で手一杯だとか」
ゲームでは、この干ばつは一年続いた。
その先にあったのは――暴動、そして戦。
「私やルシアンの魔法で、どうにか出来ないの?」
「確かに、我々の力で枯れた作物を蘇らせることは可能です」
「じゃあ――」
「ですが国中の畑を回るには、何年もかかるでしょう。それに、魔力にも限界がありますからね。」
現実は、静かで重い。
(魔力1200のルシアンならともかく、覚えばかり、超初心者の私には、一つの畑さえ難しいだろう)
じゃあ――。
「小麦が難しいのなら……他の作物は?芋とか」
ルシアンは少し考える。
「山間部の農家では、芋を育てている者もいると聞きます。ですが……」
「ですが?」
「見栄えが悪く、貴族は好みません。市場でも値がつきにくいので、市場に出ているところを見たことがありません」
リリアーナは眉をひそめる。
「食べられるのに?」
「ええ。ですが主食とはみなされておりません」
少しの沈黙。
「なら――主食にしてしまえばいいのでは?」
「……はい?」
ルシアンが目を瞬く。
「見栄えが問題なんでしょう? だったら綺麗にしてしまえばいいのよ。貴族でも抵抗なく食べれるように」
「……そのようなことができるのですか?」
疑うような視線。
けれどリリアーナは、まっすぐに微笑んだ。
「私が見た目よく、美味しくするわ」
その目には確かな光が宿っていた。
その日のうちに城へ戻ると、リリアーナは父――アルベルトに面会を願い出た。
「山間部で栽培されている芋類を、いくつか取り寄せていただけませんか?」
突然の申し出に、アルベルトはわずかに眉を上げる。
「……芋、だと?」
「はい。じゃがいもや、さつまいもです」
「なぜそのようなものを?」
声音は穏やかだが、明らかに不思議そうだった。
王都ではほとんど流通せず、貴族の食卓に上ることもない作物。
それを娘が求めているのだ。
リリアーナは一瞬だけ迷い――それでも、まっすぐに父を見つめた。
「もしかしたら……この食料難を救えるかもしれません」
沈黙。
やがて、アルベルトは小さく息をつく。
「……面白いことを考える」
そして、口元をわずかに緩めた。
「よかろう。取り寄せさせよう」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
もしかしたら、これは小さな一歩かもしれない。
けれど、干し上がった大地に染み込む、最初の恵みとなれたなら。
リリアーナの胸は、不安よりも希望で満ちていた。




