静かなぬくもり
「モルルン、こっちにおいで~」
「モルちゃん、これ食べる?」
侍女に囲まれるモルル。
撫でようと手を伸ばすと、耳を伏せ、近くのスカートの裾へと身を隠した。
「きゃっ!可愛いっ!」
その様子に、歓声が上がる。
モルルがこの家に来て二週間あまり。
すっかり城の人気者になっていた。
廊下を歩けば、侍女たちに声をかけられ、厨房では余った野菜をそっと差し出される。
最初は反対していた兵たちでさえ、訓練の合間に様子を覗きに来るほどだ。
小さな白い存在は、いつの間にか城の空気をやわらげる役目を担っていた。
(みんなが好意的なのは嬉しいけれど、ちょっと可哀想かも……)
逃げ場を失い、きょろきょろと視線をさまよわせるモルル。
ただ、リリアーナ以外には擦り寄らない。
「モルル、ご飯よ」
その声に、ぴくりと耳が立つ。
次の瞬間、輪をすり抜けて一直線。
ぴょん、と跳ね上がる。
「わっ」
しっかりと受け止め、そのまま食卓へ運んだ。
今日のメニューは、肉多めの野菜。
リリアーナの隣で、ぽり、ぽり、と心地よい音を立てながら食べている。
「美味しそうに食べるわね」
そっと頭を撫でると、モルルは一度食べるのをやめ、目を細めて見上げてきた。
(……可愛い)
胸がきゅっとなる。
その様子を見ていた兄・ヴァルターが、腕を組む。
「お前は食べてばっかりだな。何か芸でもしてみろよ」
ぴたりと、咀嚼が止まる。
ゆっくりと顔を上げ、モルルが鋭い目つきでヴァルターを見る。
「ウヴァァ……」
毛が逆立ち、低く唸る。
「おい、絶対言葉がわかってるだろ!」
「モルル、だめよ。怒らないの」
途端に、くるりと首を傾げる。
さっきまでの凶悪な顔が、嘘のように消える。
「キュン」
小さく鳴いた。
「……可愛い」
猫のようで、犬のようで、どこか兎にも似た声。
「ちっ。態度変えやがって」
ヴァルターがそっぽを向くと、モルルはふん、とでも言うように背を向け、再びリリアーナの膝へ寄り添った。
(本当に、言葉がわかっているのかも……)
その露骨な態度の違いに、周囲からくすくすと笑いがこぼれた。
見上げてくるその瞳を、優しく撫でる。
城の中に、また一つ笑い声が増えた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
すっかり日が落ち、城内にはランプの灯りだけが揺れている。
リリアーナの部屋から少し離れた場所――
父アルベルトの書斎もまた、静かな光に包まれていた。
書類に目を落としながら、ふと足元の違和感に気づく。
白い塊。
いつの間にか、モルルが椅子の足に寄り添い、丸くなっている。
「……いつ入ったんだ?」
当然、返事はない。
小さな体が、規則正しく上下している。
足先に、じんわりと伝わる温もり。
「……邪魔だな」
そう呟きながらも、足は一歩も動かさない。
ページをめくる音だけが、静かな部屋に響く。
……まぁ悪くないぬくもりだ。
モルルは目を開けることなく、安心したようにさらに身を寄せた。
アルベルトは小さく息を吐く。
「……まったく」
その声は、どこか穏やかだった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
その頃。
寝支度を整えたリリアーナは、ふと籠を見た。
「あれ……?」
空っぽ。
「モルル?」
さっきまで傍にいたはず。
机の下、カーテンの裏、クローゼットの隙間。
探しても、いない。
(どこ……?)
扉が、わずかに開いていた。
「まさか……」
部屋着のまま廊下へ飛び出す。
「モルル……?」
静まり返った夜の廊下。
返事はない。
足音だけが響く。
静けさと暗闇が、不安をあおる。
もし城の外へ出てしまっていたら――
そんな考えがよぎり、指先が震える。
たった二週間。
けれど朝の光の中で丸くなる姿も、食事のたびに嬉しそうに耳を立てる仕草も、もう日常の一部になっている。
それでも、もう失いたくないと思ってしまう自分がいた。
いつしか、モルルが自分にとって大切な存在になっていることに気づいた。
「どうしよう……」
リリアーナは足元を見て、小さく呟く。
「リリア」
低い声。
顔を上げると、アルベルトが立っていた。
その腕の中に――
「モルル!」
白い小さな体。
安心したように、父の腕の中で収まっている。
「私の書斎にいたよ」
抱えられたモルルは、すっかり落ち着いた様子でアルベルトの腕に収まっている。
無意識のうちに、その背を一定の調子で撫でていたことに気づき、彼は小さく眉をひそめた。
モルルを差し出す。
「もう……心配したんだから」
抱きしめると、モルルは「きゅる」と小さく鳴いた。
アルベルトは咳払いをひとつ。
「……夜は冷える。連れ出すなら、もう少し気をつけろ」
「はい」
少し間が空く。
「……その」
言葉を選ぶように視線を逸らす。
「たまには、書斎に来させても構わん」
「え?」
「リリアも忙しかろう。世話を分担するのは、悪くない」
一瞬だけ、リリアーナは父の表情を見つめた。
(もしかして……)
口元が、ほんのわずかに緩んでいる。
「はい。その時は、お願いします」
アルベルトは小さく頷いた。
「おやすみ」
「おやすみなさいませ」
部屋へ戻る足取りは、来た時よりもずっと軽い。
腕の中で、モルルが満足そうに目を細める。
「……なかなかやるじゃない」
小さく笑いながら、籠へ戻す。
城の中に、また一つ。
静かな居場所が増えた夜だった。




