選ばれた鼓動
リリアーナはルシアンの元を訪れていた。
あれから三日。
約束どおり、毎日欠かさず訓練に通っている。
少し離れた場所に、ルシアンの背中が見えた。
「ルシアン!」
声をかけると、背中がびくりと上下した。
だが、振り向かない。
(……?)
近づくと、妙にぎこちない。
「どうしたの?」
顔を覗き込もうとすると、ルシアンはあからさまに慌てた。
「お、お嬢様……これは、その……」
何かを隠すように両手を抱え込む。
その腕の隙間から――
ぴょこ。
長い白い耳が飛び出した。
「わっ!」
思わず声が出る。
ふわふわの体毛。
猫の体に、兎のような長い耳。
小型魔獣『ラピフェル』。
ゲームでは序盤に頻出する、下位魔獣だ。
長い爪と牙で噛みつき、初心者を翻弄する存在。
だが――
目の前のそれは、想像よりはるかに小さかった。
「……迷い込んでしまったようで。すぐに森へ返します」
「ま、待って!」
リリアーナは思わず声を上げた。
丸みのあるフォルム。
つぶらな瞳。
雪のような毛並み。
(こんなに可愛いなんて……知らなかった)
前世では、レベル上げのために何度も倒した相手。
だが、生で見るとまるで違う。
「か、可愛い……」
無意識に手が伸びた。
次の瞬間。
チクリ。
小さな牙が、指に食い込んだ。
「痛っ!」
血が一筋、零れ落ちる。
「お嬢様!」
ルシアンがすぐに手をかざす。
あたたかな光が包み込み、傷はみるみる塞がった。
「……ありがとう」
小さな魔獣は丸くなり、震えている。
「ごめんね。急に触ろうとしたから、怖かったよね」
ルシアンが静かに言う。
「……魔獣ですよ。嫌ではありませんか?」
リリアーナは首を振る。
「だって、こんなに可愛いのに」
ルシアンは少しだけ目を見開き、そして安堵したように息を吐いた。
「……よかったです。魔獣というだけで、毛嫌いする方がほとんどですから」
(……確かに。前世の私もそうだった)
そのとき、ふと気づく。
「……あれ?」
ラピフェルの左足の動きがおかしい。
「怪我してるの?」
「はい。今、治療を施そうとしていたところでした」
ルシアンが一瞬だけ視線を送る。
「……やってみますか?」
「え?」
「共鳴で」
心臓が跳ねた。
「まだ、ちゃんと使えないよ」
「ですが、治したいのでしょう?」
言葉に詰まる。
治したい。
でも怖い。
失敗したら?
もっと傷つけたら?
「私が補助します。一緒にやりましょう」
真っ直ぐな視線。
逃げ道を与えない優しさ。
リリアーナは深く息を吸った。
「……やる」
ルシアンが頷く。
「共鳴は感情ではありません。調律です。かわいそう、治してあげたい――それも悪くありませんが、まずは流れを感じてください」
リリアーナはラピフェルの足元に手をかざす。
ウヴァァー……
低く唸り、威嚇する。
耳を伏せ、毛を逆立てる。
恐れと痛みが、棘のように尖っている。
(怖いよね……でも)
「集中してください」
はっとする。
風の流れ。
大地の脈動。
陽のぬくもり。
自然の穏やかな拍動を、胸の奥で感じる。
そして――
ラピフェルの鼓動。
速い。乱れている。
血流が滞り、呼吸が浅い。
無理に押さえ込まない。
自然の流れを、そっと重ねる。
トクン。
トクン。
荒れていた拍が、少しずつ整う。
棘が丸くなり、流れが滑らかになる。
やがて――
全てが穏やかに重なった。
「……ふう」
目を開ける。
ラピフェルは震えていない。
怪我した足も、先ほどより力が戻っている。
「成功です」
ルシアンの声に、力が抜ける。
「動ける?」
ぴょん。
小さく跳ねる。
「よかったぁ……」
ラピフェルは一歩下がる。
けれど逃げない。
じっと見上げる。
その瞳は、もう怯えていなかった。
「……触ってもいい?」
そっと手を差し出す。
スリ。
柔らかな毛並みが、掌に触れた。
「きゃ……!」
今度は牙も爪も立てない。
さらに撫でると、ころんと横になり、お腹を見せた。
(これって……猫界で有名な、ヘソ天では?)
思わず頬が緩む。
しばらくふわふわを堪能していると、ルシアンが静かに言った。
「魔獣だからと、すぐ駆除するのは早計です。人に善悪があるように、彼らにも理があります」
リリアーナはラピフェルを撫でながら頷いた。
「……この子は、悪じゃない」
ラピフェルは、じっと彼女を見つめている。
その瞳に映る自分は、敵ではない。
――選ばれたのだろうか。
そんな錯覚さえ、胸をよぎった。
小さな鼓動が、確かに自分と重なった。
ラピフェルは、じっとリリアーナを見つめている。
その鼓動は、もう乱れていない。
だが――
ルシアンはわずかに眉を寄せた。
(……妙だ)
共鳴は“整える”もの。
ここまで深く、自然に溶け込むことは滅多にない。
まるで最初から――
噛み合うように出来ていたかのような。
「……しかし」
顎に手を添える。
「ここまで人を受け入れるのは珍しい。ラピフェルは本来、懐くような魔獣ではありません」
視線を細める。
「お嬢様の特質か。この個体が特別なのか……」
ラピフェルは一度だけ、ルシアンを見る。
その瞳の奥に、微かな光が宿ったように見えた。
(……気のせい、か)
「ふふ。可愛い」
冗談めかして笑う。
「うちの子になっちゃう?」
ラピフェルの耳が、ぴくりと動く。
それは偶然か。
それとも。
目の前のぬくもりに頬を緩めながら、
リリアーナは何も気づいていない。
だが――
小さな魔獣は、静かに彼女を見つめていた。




