神様のミスです
……うん……。
莉子はゆっくりと目を覚ました。
――ここは、どこ……?
身体を起こしながら、辺りを見回す。
そこには何もなかった。
建物も人影もない。
ただどこまでも続く真っ青な空間だけが広がっている。
なに、ここ……。
自分の身に何が起きたのか、記憶を辿る。
香織と一緒に帰っていた時に、智くらいの年頃の男の子が後ろを歩いていて。
ボールが転がり、男の子が追いかけて車道に飛び出して――。
……そうか。
私、その子を助けようとして――死んじゃったんだ。
じゃあ、ここは……あの世?
前後左右見渡しても、現実とは思えない青しか存在しない。
あぁ……いっそのことドッキリだったらいいのに。
莉子はゆっくりと立ち上がった。
……っていうか何も無いんだけど。
どうしたらいいのよ。
『やぁこんにちは』
突然聞こえた声に、莉子は思わず飛び上がった。
(うわっ!びっくりした!心臓止まるかと思った!)
顔を上げると、さっきまで何もなかった場所に人影がある。
よく会議室に置いてあるような、長テーブルとパイプ椅子。
その椅子に、白の服を纏ったおじさんが悠然と座っていた。
つるりとした頭に、ふさふさの白い顎髭。
片手には、自分の身長よりも高い杖。
あまりにも分かりやすい姿に、思わず口を開く。
「おじさん、誰?もしかして神様?」
「ほう、よく分かったな。そうじゃ、この地域を司っておる神様じゃ」
(アニメや映画でみる、あの神様そのまんま……。逆に神様じゃなかったら何なのよ)
(っていうか“地域”って何?神様ってそんなに何人もいるものなの?)
「じゃあ……私、ほんとに死んじゃったんだ……」
「理解が早くて助かるわい。そうじゃ。そなたは子供を助けようとして車に轢かれたんじゃ」
――子供……。
「待って!その子供は無事なの?」
「あぁ、少し怪我はしとるが、命に別状はない」
神様が杖で軽く地面を突くと、空間に映像が浮かび上がった。
そこには、泣きながら男の子を抱きしめる母親。
男の子は左腕を吊っているが、しっかり立っている。
「よかった……」
莉子は心から安堵した。
智と同じくらいの年齢の男の子。
どうしても弟と重なってしまう。
とにかく腕の怪我だけですんで、本当によかった。
「まぁお主が庇わなくても、あの子は助かっとったんじゃがな」
「……は?」
思いもよらない言葉に、思わず声が出た。
「どういうこと?」
「あの子は元々助かる運命じゃった。ボールがクッションになってな、かすり傷だけて済んだんじゃよ」
「……はぁ!?どういうことよ!」
思わず声が大きくなる。
頭が追いつかない。
私が動かなくても助かっていた?
しかも、かすり傷?
「お前さんが飛び込んだことで、怪我が増えてしもうた。しかも、お前さんまであの世行きじゃ」
力が抜け、肩が落ちる。
……私が余計なことをしたせいで?
子供は怪我をして、私は死んだ?
「まぁ起きてしまったことは仕方ない。素直にこの運命を受け入れるんじゃな」
ケラケラと笑う神様。
(人事だと思って……。神様だけどムカつく)
「……私は、死ぬ運命じゃなかったってこと?」
「あぁ、そうじゃ。本来、この事故では誰も死なんはずだった」
全身の力が抜けた。
「……分かった。百歩譲って受け入れるとして。じゃあなんで私が死ぬことになったのよ」
震える声で尋ねる。
「予定では、お前さんが親子に気づくのは、子供が飛び出した後じゃった。なのにお前さんが早く振り向いてしもうたんじゃよ」
――そうだ。
「……あの時、音がしたの。何か鈴みたいな音が……。だからなんだろうと思って振り返ったの」
その言葉を聞いた瞬間、神様の表情が凍りついた。
「なんじゃと!音が聞こえたのか!?」
「う、うん……」
神様は青ざめ、慌てて立ち上がる。
「まさか……あの音が聞こえていたとは……」
ブツブツと何かを呟いた後、神様は観念したように口を開いた。
「すまぬ……その音、多分、ワシじゃ」
そう言って、腰につけた鈴を鳴らした。
「……!この音!」
あの時、莉子が聞いた音だった。
「この鈴は大事なものでな、肌身離さずいつも腰にぶらさげとるんじゃが……。あの時付けていた紐が切れてな……落としたんじゃ。その音がお前さんに聞こえたんじゃろう」
――待って。
じゃあ、それって。
「私が死んだの、神様のせいじゃないですか!」
「す、すまぬ!まさか聞こえる人間がおるとは……数万人に一人、勘の鋭い人間が聞こえるくらいでな……」
怒りが一気に噴き上がる。
「そんなの関係ない!神様のせいで私の人生が……」
涙が溢れる。
陸上。
インターハイ。
頼まれていた試合だってあった。
全部、全部、無くしてしまった。
涙が止まらない。
それどころか、感情はさらに溢れ出し、嗚咽を漏らしながら泣いていた。
(やりたいこと、たくさんあったのに……)
(全部、この目の前にいる神様のせいで……)
悲しい。
悔しい。
胸が張り裂けそうだった。
「お、落ち着くんじゃ。ワシが悪かった……」
神様の言葉は、ほとんど耳に入らなかった。
「本当にすまぬ。次の人生は、お主が望むような、幸せな人生を送れるようにしてやるから」
「……次の人生?」
鼻をすすりながら、顔を上げる。
「あぁ。お主が苦労せぬよう、配慮してやろう」
「配慮って……。私は今、生きたかったのに……」
いったん収まっていた涙が、また一気に溢れ出す。
次にどんな人生を用意されても、今の人生をあゆみ事はできない。
家族や友達にも、もう会えない。
その現実が、何よりも辛かった。
ふと、家族の顔が浮かぶ。
(お父さん……お母さん……智……)
きっとみんな悲しんでる。
いつも私の後ろに隠れていた智。これから一人で大丈夫だろうか。
「神様!私の家族は……今、どうしてるの?」
神様は頭を抱えつつ、唸るようにして口を開いた。
「……本来、見せることはないんじゃがな。今回は特別じゃ。ワシの責任でもあるからの」
そう言って、再び杖を地面に突いた。
ふわりと映像が浮かび上がる。
「お父さん!お母さん!……智」
大声で泣く智を、泣きながら抱きしめる母。
その隣で、涙をこらえきれず肩を震わせる父の姿があった。
(……みんな、私のせいで泣いている)
息が苦しい。
胸が抉られるな痛み。
今度は静かに、止めどなく涙が流れ落ちた。
「……すまぬのう。ワシがもっと注意しておればこんな事には……すまないことをした」
「すまないじゃない!」
莉子は叫んだ。
「みんなを悲しませて、私も死んで……。私の人生返してよ!」
「悪いが一度死んだ者は、生き返らせることは出来ん。それが決まりなんじゃ」
冷たい現実。
涙が止まらない。
私はもう、二度と皆に会えないんだ。
「その代わり……次の人生は、お主が望むいい条件をつけてやろう」
神様は紙とペンを取り出し、莉子の前に差し出した。
「ここにサインするんじゃ」
それは、自分が死亡したことを確認する書類。
(……もう、どうでもいい)
何をしても、私が死んだ事実は変わらない。
戻れないのなら、抗う意味もない。
莉子は促されるまま名前を書いた。
「日比野莉子よ。次の人生はお前の望む人生となるじゃろう」
神様は、杖を天高く掲げた。
次の瞬間、杖の先から黄金の光が溢れ出す。
――眩しい……。
思わず目を閉じる。
「日比野莉子、さぁ、行くのじゃー!」
(さようなら……お父さん、お母さん、智……)
その想いを最後に――
莉子の意識と身体は、光の中へと溶けていった。




