王家の灯
リリアーナと家族四人は、重厚な両開きの扉の前に並んでいた。
厚い扉の向こうから、ピアノとヴァイオリンの旋律が重なり合う音が、かすかに漏れ聞こえる。低く響くチェロの音が、空気を震わせていた。
その向こうでは――リリアーナの誕生を祝う大祝宴が、今まさに開かれている。
リリアーナは、小さく息をのんだ。
(……緊張する)
今、この扉の向こうには、アルディア王家の登場を待つ人々がいる。国内外の貴族、重臣、来賓たち。視線のすべてが、こちらに向けられるのだ。
わずかに身体が震える。
その時、兄・ヴァルターがそっと肩に手を置いた。
「リリア……大丈夫だよ。みんなお前を祝いに来たんだ。そして、いつでも俺たちがついている」
優しい声だった。
見上げれば、穏やかな笑み。父も母も、静かに頷いている。
胸の奥が、じんわり温まる。
(うん……大丈夫)
「――開けよ」
控えていた侍従の声とともに、重い両扉がゆっくりと開かれた。
一瞬、眩い光が視界を包む。
そして――
わっと空気が弾けるような歓声と拍手が、四人を迎えた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが輝き、金色の光が磨き上げられた大理石の床に反射する。
壁には王家の紋章旗が掲げられ、長卓には豪奢な料理が並んでいた。焼き立ての肉の香り、甘い果実酒の匂いが漂う。
楽団が演奏を高らかに切り替え、入場の旋律が響き渡る。
その中央を、王族四人はゆっくりと歩き出した。
自然と背筋が伸びる。
無数の視線を感じながら、リリアーナは堂々と歩を進めた。
先ほどまでの震えは、もうない。
「おめでとうございます、リリアーナ様!」
「七歳の御歳、誠におめでとうございます!」
あちこちから祝福の声が飛ぶ。
気恥ずかしさを感じながらも、微笑みを崩さない。兄に軽く手を引かれながら、優雅に進む。
やがて中央で歩みを止めると、父・アルベルトが一歩前へ出た。
会場が静まり返る。
「本日はお忙しい中、我が娘、リリアーナの誕生を祝うために集まっていただき、心より感謝する」
重みのある声が、広間に響く。
「今日、我が星リリアーナは七歳を迎えた。こうして皆と共にこの日を祝えること、王として、そして父として、これ以上の喜びはない」
そう言って、グラスを掲げる。
「リリアーナの健やかな成長と、アルディアの未来に――乾杯」
「乾杯!」
無数のグラスが掲げられ、澄んだ音が重なり合った。
祝宴は一気に華やぎを増す。
楽団の軽快な旋律。
給仕が料理を運び、人々は談笑を始める。
リリアーナのもとには、次々と貴族や重臣が挨拶に訪れた。
「将来が楽しみでございますな」
「本日のお姿、誠にお美しい」
小さな体で、ひとつひとつに丁寧に応える。
笑顔を崩さない。
七歳の少女の笑顔の奥に、王家の姫の気高さを宿して。
やがて――
ようやく最後の来賓が去り、楽団の演奏も静かな曲へと移り変わる頃、祝宴は幕を閉じた。
(疲れた……)
控え室に戻った瞬間、どっと全身の力が抜ける。
重たいドレス。締め付けるコルセット。作り込まれた髪。
(私、まだ七歳よ……)
小さくため息をつく。
しかし、これで終わりではない。
リリアーナには、今日、どうしてもやらなければならないことがあった。
(まだ気を抜いちゃいけない……)
ノックの音。
父、母、兄が入室する。
アルディア家、四人だけの空間。
「リリア、今日は本当によく頑張ったな」
父の声は、先ほどまでの王の声音とは違い、柔らかい。
「疲れたでしょう。明日はゆっくり休みなさい」
母が優しく微笑む。
リリアーナは小さく頷いた。
そして視線上げる。
「お父様……お願いの件、覚えていらっしゃいますか?」
三人の視線が集まる。
姿勢を正し、小さく息を整える。
(緊張する……)
「私……体を鍛えたいのです」
一瞬、空気が止まった。
「 鍛える……?」
「はい。剣術と、魔法を学びたいのです」
困惑の色が浮かぶ。
「……え?」
「剣、だと?」
「……魔法を?」
戸惑いの声が重なる。
その反応に、重ねた手にキュッと力が入った。
「本気なんです。自分を変えたい……。お願いします。許してください」
しばらくの沈黙のあと、兄・ヴァルターがゆっくりと口を開いた。
「……リリア。俺たちには騎士団がいる。護衛は彼らに任せて、リリアは自分の時間を大切にしてほしい」
分かっている。
それでも――。
「守られるだけでは、嫌なんです」
言葉が震える。
「私は……自分の力で立てる人間になりたい。自分を守り、家族を守れる力が欲しいんです」
(無茶だって、分かっている。もともと私は、強さとは程遠い人間だ……)
それでも、視線は逸らさなかった。
指先が震えているのが、自分でも分かる。
しばしの沈黙。
「リリア……」
兄は困ったように眉を寄せる。
その優しさが、胸に刺さる。
「お父様……お母様も……お願いします」
声がわずかに震える。
それでも、言葉だけははっきりと。
父も母も、互いに顔を見合わせた。
困惑の色は隠せない。
「リリア、私たちはあなたの望みなら、できる限り叶えてあげたいの。だけど今回ばかりは……」
母の声は、どこか不安を含んでいた。
「勉強やダンスを習うのとは違うんだ」
父が静かに続ける。
「剣や魔法は、時に自分を傷つける。身につけるには、相当の忍耐もいる。……私たちは、お前に危険な思いをさせたくないんだ」
諭すような、けれど迷いを帯びた眼差し。
それでも――。
「……ありがとうございます。でも……私は、強い自分でありたいんです」
やがて父が、深く息を吐いた。
「……分かった」
低く、静かな声だった。
真っ直ぐに、リリアーナを見つめる。
「あなた!」
「父さん!」
母と兄の声が重なる。
父は二人を制し、穏やかに続けた。
「お前たち……リリアは優しい子だが、一度決めたことは、てこでも動かないだろう?」
「お父様!」
胸が熱くなる。
「ただし一年だ。一年で成果が出なければ、そこで終わりにする」
「お父様……!ありがとうございます!」
父がそっと頭を撫でる。
母と兄はまだ心配そうだったが、それでも何も言わなかった。
(これで堂々と訓練ができる……)
胸の奥に、静かな火が灯る。
(サクマに、ちゃんと向き合おう)
今日という祝福の日は、終わった。
だが本当の意味での“始まり”は――今だった。
だが――王家に灯った小さな火は、確かに揺らめいている。




