胸に秘めた願い
城内も、街も、朝から騒がしい。
今日はリリアーナの七歳の誕生日だった。
街は一週間ほど前から祝賀ムードに包まれている。
屋台が並び、花が飾られ、楽師たちの奏でる音楽が通りを満たす。
焼き菓子の甘い匂い、香辛料の効いた肉の香ばしさ。
行き交う人々は皆どこか浮き立ち、笑顔を浮かべていた。
子どもたちが小さな旗を振り、商人たちは声を張り上げる。
「姫様、おめでとうございます!」
そんな声が、城壁の中にまで届いていた。
城内も例外ではない。
廊下の至るところに花が飾られ、磨き上げられた床は陽光を反射している。
侍従たちは足早に行き交い、厨房からは忙しない指示の声が飛ぶ。
夜の祝宴に向けて、最後の仕上げが進められていた。
そして――リリアーナもまた、その渦中にいた。
鏡台の前に座るリリアーナ。
背後では二人の侍女が真剣な面持ちで髪を整えている。
誕生祭ということもあり、いつも以上に気合いが入っているようだった。
一方のリリアーナは、落ち着かない。
(まだかしら……)
そわそわと指先を動かす様子に気づいた侍女の一人が、柔らかく声をかける。
「あともう少しで終わりますからね」
にこりと微笑む。
(あと少し……って、もう二時間以上経ってるんだけど……)
着替えから髪型、そして化粧まで。
七歳とはいえ王族だ。頭の先からつま先まで、丁寧に整えられていく。
王家の姫としての姿。
今日だけは、国の象徴でいなければならない。
(さすがに、ちょっとやりすぎじゃないかしら……)
やがて――
「……お嬢様、終わりました」
その声に、リリアーナは小さく肩を震わせる。
どうやら一瞬、眠ってしまっていたらしい。
鏡に映った自分の姿に、思わず息をのむ。
もともと整った顔立ちではあったが、薄く施された化粧が、その魅力を引き立てている。
作り込まれたというより、本来の輝きがそっと引き出されたようだった。
(……私、こんな顔していたのね)
この世界での自分はヒロインのはずだが、物語の中では決して目立つ存在ではなかった。
守られ、そして結ばれる役割。
それ以上でもそれ以下でもない、そんな立場だった。
けれど今、鏡の中にいるのは誰かの物語の登場人物ではない。
(でも……ちゃんと、私なんだ)
「いかがでしょうか?」
問いかけに、リリアーナは小さく息をつく。
いつもと違う自分の姿がくすぐったくて、視線を落とした。
「……大丈夫よ。ありがとう」
その一言に、侍女たちは嬉しそうに頭を下げる。
「では、皆様のところへ参りましょうか」
「うん」
手を引かれ、部屋を出る。
廊下の向こうからは、家族の話し声が聞こえてきた。
コンコン――
扉が叩かれる。
「お嬢様の支度が整いました」
「あぁ、入ってくれ」
父・アルベルトの声。
扉が開かれると、そこには父、母、そして兄が揃っていた。
「……お待たせしました」
いつもと違う自分の姿が気恥ずかしくて、どこに視線を置けばいいのか分からず、わずかに俯いた。
一瞬の沈黙。
「おぉ……美しい!」
最初に声を上げたのは父だった。
「我が娘ながら、なんと愛らしい。まるで天使だ」
恍惚とした表情。
母・リュシアも目を細める。
「素敵よ、リリアーナ。本当に綺麗だわ」
兄・ヴァルターは腕を組み、満足そうに頷く。
「やっぱり俺の妹は世界一だな」
三人からのまっすぐな視線に、頬が熱くなる。
「……ありがとうございます」
照れくさい。けれど――嬉しい。
一人一人から贈られる祝福の言葉は、温もりに満ちていた。
(誕生日なんて少し抵抗もあったけれど……家族に祝われるのは、やっぱり嬉しい)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「リリア」
兄が一歩前に出る。
「俺たちからの誕生日プレゼントだ」
次々と運ばれてくる贈り物。
色とりどりの包みとリボン。
一つ、二つ、三つ……。
まだ続く。
気づけば、目の前には背丈を超えるほどの箱が、山のように積み上がっていた。
唖然とするリリアーナとは対照的に、家族は満足げだ。
「……ありがとうございます」
わずかに引きつった笑み。
(やっぱり、うちの家族は私を溺愛過ぎよ)
父が柔らかく問いかける。
「他に欲しいものはないかい?」
今日こそ伝えようと、心に決めていた。
「……一つ、お願いがあります」
真っ直ぐに父を見る。
「なんだね?遠慮なく言いなさい」
「このパーティーが終わったら、お話ししますね」
父は穏やかに頷いた。
「分かった。後で聞こう」
――その後は目まぐるしかった。
家族で城外に姿を見せ、国民の前で挨拶をする。
歓声と祝福が広場を満たす。
城に戻れば、国内外の来賓が列をなし、祝辞と贈り物を手渡していく。
終わりの見えない謁見の列。
笑顔を崩すことは許されない。
(王族って、やっぱり大変……)
ようやく全てが終わった時、別室に戻ったリリアーナは、しばらく動けなかった。
背後には、また山のようなプレゼントが積み上がっている。
(……ありがたい、はずなんだけど)
夕刻――
空は薄闇に包まれ、城内の灯りと無数の外灯が揺れる。
夜の街もまた、祝祭の続きを待ちわびているようだった。
間もなく、夜のパーティーが始まる。
本番はこれからだ。
緊張と期待の入り混じる空気を感じながら、リリアーナは次の場へと向かった。




