引かれた距離
二人の間に、静かな時間が流れる。
風の音だけが、遠くで揺れていた。
やがて、サクマがゆっくりと口を開いた。
「……冗談……だよな?」
目を見開いたまま、瞬きすら忘れているようだった。
握りしめた拳が、わずかに震えている。
「……本当よ。私がリリアーナ・アルディア・クラウンなの」
喉の奥が少し震えた。
それでも、目を逸らさずにサクマを見る。
嘘はない。覚悟を決めて、伝えた。
「お姫様はこんな所に来ないだろう?ましてや剣術なんて……」
困惑が滲む声は、どこか掠れていた。
「姫が俺の訓練服を着るか?強くなりたいとか……姫だぞ」
信じたいのに信じきれない、そんな顔だった。
「ごめんなさい……この国の姫が、身体鍛えたり、剣を習ってること、知られたくなかったの。反対されると思ったから……」
少しだけ視線を落とす。
「そりゃあ……」
言葉に詰まるサクマ。
「隠していてごめんなさい。でも、これからも訓練は続けたい。……教えて欲しいの」
リリアーナは深く頭を下げた。
(ようやく、剣が扱えるようになってきたばかりなのに……)
サクマは大きく息を吐いた。
迷いを吐き出すような、長い息だった。
「……リリア。いや、リリアーナ姫。頭を上げてください」
はっとして顔を上げる。
「……リリアでいいよ」
「そういうわけにはいきません」
その声は、はっきりしていた。
胸がきゅっと縮む。
今までの距離が、そっと引かれてしまったようだった。
それが、とても悲しい。
「……サクマ」
名を呼ぶしかできない。
「俺は騎士です。まだ見習いですが、この国と、国の象徴であるアルディアの方々を守る立場にあります。そしてあなたは、守られる方だ」
正しい言葉だった。
だからこそ、痛い。
否定できない。
「これまで共に訓練を重ねて、姫の本気はよくわかります。――ですが、私たちは騎士です」
一瞬、何かを言いかけて、サクマはやめた。
「……すみません。もう俺には出来ません。今日で会うのはやめましょう」
視線を落とし、背を向ける。
その背中を、リリアーナは黙って見つめた。
呼び止めればよかったのかもしれない。
でも、声が出なかった。
完全に見えなくなってから、ようやく息を吐いた。
怒られなかった。
責められもしなかった。
最後まで、優しかった。
「……お菓子、渡しそびれちゃった……」
ぽつりと零れる。
まだ鞄には、サクマに渡すはずだったお菓子が入っている。
(もっと早く、話していればよかった)
姫としてではなく、リリアとして。
胸の奥に、重い石が沈むようだった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「リリアーナ様、お久しぶりですね」
柔らかく微笑むルシアン。
部屋へ戻る気になれず、気づけば庭へ足が向いていた。
「……ルシアン」
声に力がない。
表情には、いつもの光がない。
「お嬢様、どうされました?」
いつもと違う様子に、すぐに気づいたのだろう。
ルシアンはそっと近づく。
「サクマが……」
名前を口にした瞬間、喉が詰まる。
「サクマ?」
視界が滲み、こらえきれず、子どものように泣き出してしまう。
ルシアンは少しだけ狼狽えながらも、何も聞かず、背にそっと手を置いた。
温もりが伝わる。
どれくらい経ったのか。
ようやく涙が落ち着き、呼吸も整う。
「……ごめんなさい」
「少し落ちつかれましたか?」
穏やかな声が胸に染みる。
「うん……ありがとう」
「差し支えなければ、何があったのかお聞かせください」
リリアーナは頷き、サクマとのやり取りをそのまま話した。
話し終えたあと、ルシアンが目を見開いていることに気づく。
「……お嬢様、剣も習われていたのですか」
はっとする。
(そうだ……ルシアンにも言っていなかった)
肩を落とす。
「ごめんなさい、黙ってて……」
「いえ。驚きはしましたが……むしろよかったのかもしれません」
「よかった?」
「共鳴は、流れを整える力です。正面からぶつかる魔法ではありません。剣術を学ばれているなら、きっと補い合えるでしょう」
「そうなの――!?」
思わず声が大きくなる。
涙の名残が、少しだけ引いた。
攻撃魔法は教わらない約束だった。
けれど、共鳴そのものが攻撃向きではないとは思っていなかった。
(それでも、私は強くなりたい)
「そのサクマという方は、ご友人なのですね」
「友人……?」
胸の奥が小さく動く。
「剣を習えなくなることよりも、距離ができたことの方が辛かったのでしょう?」
胸の奥を見抜かれたようだった。
(……そうだ。今までみたいな関係でなくなるのが寂しいんだ)
「……うん。友達」
ルシアンは優しく頷く。
「でしたら、もう一度お話になってください。立場は変わっても、心まで離れるとは限りません」
真っ直ぐな眼差し。
静かで力強い言葉。
ぐちゃぐちゃだった感情が、ゆっくり整っていく。
「……ありがとう、ルシアン」
小さく笑う。
(もう一度、ちゃんと話そう)
たとえ剣を教わることができなくなっても。
このまま終わらせたくはない。
薄暗かった空に、わずかな光が差す。
その光は、リリアーナの胸の奥にも、静かに灯りはじめていた。




