ゼロからの共鳴
「先生!お願いします」
翌日、リリアーナは朝露の残る庭を訪れた。
柔らかな陽が木々の隙間から差し込み、空気はまだ冷たい。
遠くで小鳥がさえずり、噴水の水音が静かに響いていた。
こんなにも穏やかな朝なのに、胸の奥だけが落ち着かない。
「先生だなんて……ルシアンと呼んでください」
「いえ、魔法を教わる先生ですから、先生です」
にこりと微笑むと、ルシアンは困ったように目を伏せ、やがて小さく息をついた。
「では、まず始める前に、お嬢様の魔力がほどあるのか、確認してみましょう」
鼓動が強く跳ねた。
(魔力なんて、ほとんどないはず……)
分かっている。
自分には魔法の素質がないことを。
それでも。
(魔法スキルの上限はなくなった。方法はきっとあるはず)
ルシアンはポケットから細い茶色の棒を取り出した。木製のようで、表面には淡く魔法陣が刻まれている。
「これを握ってください」
(緊張する……)
リリアーナはそっと握る。
一秒。
二秒……。
――何も起きない。
風が吹き抜ける音だけが耳に残る。
「……お嬢様」
ルシアンの表情が固い。
その声音だけで、結果は分かった。
「残念ながら、お嬢様は魔力をほとんど持ち合わせていないようです……」
「え――!」
思わず声が裏返る。
「それって……ゼロってこと?」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
少ないとは思っていた。
けれど――ここまでとは。
「いえ、全くのゼロではありません。ですが……限りなくゼロに近いでしょう」
現実が、静かに突きつけられる。
「待って!じゃあ、魔力があれば……どうなるの?」
「私が持つと――こうなります」
ルシアンが棒を握る。
瞬間、眩い光が庭を満たした。
棒の中に緑の線が走り、一気に先端まで達し――
パキッ。
乾いた音が、やけに大きく響いた。
棒は真っ二つに折れ、光はゆっくりと消えていく。
リリアーナは呆然と見つめた。
(さすが、魔法値1200……規格外だわ)
「このように魔力の量が、可視化されるのです」
(私は反応すらしなかった……)
肩が、静かに落ちる。
その様子を見て、ルシアンはほんのわずかに目を細めた。
落胆はしている。
だが、絶望してはいない。
ルシアンは視線を上げた。
「ですが、方法がないわけではありません」
「……え?」
リリアーナは顔を上げる。
「魔法には、もう一つの在り方があります」
真っ直ぐな眼差し。
「自然界の力を借りるのです」
「……自然の?」
「私たちは体内で魔力を生み出し、放出します。けれど、それができない方は――自然に流れる力に、そっと合わせることで、魔法を使うのです」
リリアーナは息を呑む。
「ただし、誰にでもできることではありません。自然が拒めば、何も起きない」
静かな声だった。
「……私に、できるの?」
ルシアンは庭を見渡す。
揺れる葉。
やわらかな風。
光を受ける草。花。
「お嬢様は、お気づきではないかもしれませんが……風があなたを避けていない。植物も、大地も」
視線を戻す。
「あなたは、拒まれていないのです」
胸の奥が、わずかに熱を帯びた。
「目を閉じてください」
リリアーナはゆっくりと従う。
「風の音を聞いてみてください」
(……風の音?)
「魔力を流そうとしなくていい。ただ、風の中にいると思って」
深く息を吸う。
魔法のことは忘れる。
ただ、風を聞く。
何も起きない。
――はずだった。
けれど。
風の音が、少しだけ澄む。
揺れる葉音が重なる。
ざわついていた枝が、ふっと静まる。
ばらばらだったざわめきが、ひとつに整っていく。
まるで――
“調律”されたように。
そして――。
リリアーナの胸が、淡い光を放った。
胸元の水晶が、応えるように輝いている。
あたたかな感覚が、胸の奥にへと広がる。
鼓動と溶け合い、静かに脈打つ。
思わず目を開けた瞬間、風が戻る。
音が戻る。
光も、すっと消えた。
「やはり……」
ルシアンの声は、確信を含んでいた。
「お嬢様は、流せます」
「流す……?」
「ええ。私たちは魔力を生み出す“器”。ですがお嬢様は――導く“道”なのです」
水晶を握る。
まだ、ほんのりと温かい。
胸の奥に、かすかな名残のような温もりが残っていた。
「これは、努力で届くものではありません。世界の呼吸に、そっと合わせられる者でなければ……応えては、くれない」
静かな声。
「この在り方を――“共鳴魔法”といいます」
「共鳴魔法……」
胸が、静かに高鳴る。
(これで、私も……)
喜びが滲む表情を見て、ルシアンはほんの少しだけ表情を引き締めた。
「ただし――」
風が揺れる。
「制御よりも、調和が必要です。そして……それは、決して容易ではない」
調和。
それがすべて。
庭を風が抜ける。
先ほどの静寂は、もうない。
だが。
胸の奥には、確かに残っている。
(それでも)
ぎゅっと水晶を握る。
「教えてください、ルシアン」
まっすぐな瞳。
迷いはなかった。
一瞬だけ、彼は言葉を失う。
そして、静かに頷いた。
「……では、続けましょう」
風が、そっと吹いた。
リリアーナの中で、何かが確かに動き始めていた。
――共鳴は、まだ始まったばかりだ。




