10.静かな庭の異才
訓練開始から八ヶ月。
それまで、自身のレベルがどれほどになっているのか、あえて確認しないようにしていた。
もう期待はしていない。
三ヶ月目に確認したとき、たった一つしか上がっていなかったからだ。
あれからさらに五ヶ月。
自分なりに努力はしてきた。だが、この身体の戦いの素質は限りなくゼロに等しいのだと、あのとき思い知らされた。
それでも――ほんの少しだけ、期待してしまう。
緊張に高鳴る鼓動を押さえつつ、ステータス画面を開いた。
――レベル 6
「おぉ――!」
思わず声が漏れる。
予想していたより上がっていた。
たった“6”かもしれない。
それでも、確実に前に進んでいる証だった。
(剣の訓練を始めたのが大きかったのかもしれない)
レベル6という数字の重みを噛み締める。
八ヶ月の訓練で、リリアーナは確実に成長していた。
(これが戦闘向きの身体だったら、もっと上がりやすいんだろうけど)
それはもう、リリアーナに転生した時点で半ば諦めている。
この訓練量で戦闘型体質なら、もっと伸びていたはずだ。
けれど。
ゆっくりでも、やれば確実にレベルは上がる。
それが分かっただけで十分だった。
「もっともっと強くなってやるぞー!」
コンコン――
扉を叩く音。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
専属侍女のマリーが、ワゴンを押して入ってくる。
外は穏やかな陽気で、空も澄んでいる。
レベルも上がった。気分は上々だ。
(こんな日に部屋にこもっているのは、もったいないわよね)
「マリー、今日は外でいただいてもいい?」
「もちろんです。すぐにご用意致しますね」
庭に出ると、柔らかな風が頬を撫でた。
「う~ん、美味しい。やっぱりうちのシェフが作るデザートは世界一ね」
苺のケーキ。
ふわふわのスポンジに、滑らかなクリーム。そして甘酸っぱい苺。
1口頬張り、思わず目を細める。
「ふふ……シェフに伝えておきますね」
(こんなに美味しいものが毎日食べられるなんて。リリアーナに転生してよかった、と思う瞬間よね)
手入れの行き届いた庭。
ちょうどバラが見頃の季節だ。
ケーキを食べ終えると、リリアーナは立ち上がった。
(せっかくいい天気だし、ちょっと散歩しよう)
「この奥のバラ園に行ってきてもいい?」
「はい。今年は庭師が変わり、例年以上に見事に咲いているそうですよ」
「そうなんだ。ちょっと見てくるね」
訓練で毎日走ってはいたが、ゆっくり眺めたことはなかった。
それも人目につかない時間ばかりだったからだ。
バラ園に足を踏み入れた瞬間、思わず声が出る。
「わぁ……綺麗!」
昼間のバラ園は、想像以上だった。
アーチをくぐるだけで、心躍る。
同じ赤でも、種類ごとに表情が違う。
花弁が大きく、堂々としたもの。
小ぶりで可憐なもの。
一枚の花弁の中で色の濃淡が移ろう、淡いグラデーションのもの。
「薔薇にも、こんなに種類があるんだ」
訓練の日々。
たまには、こうして、自然を愛でる時間も悪くない。
そう思った時だった。
視界の端に、ひとりの青年の姿が映る。
(新しい庭師……あの人かしら?)
少し離れた場所で、剪定バサミを手に作業をしている。
リリアーナからは後ろ姿だけしか見えないが、まだ若そうだ。
ラフな服に作業用のエプロン。黒い長靴。
頭にはタオルが巻かれ、薄い紫色の長い髪を一つにゆっている。
(……まだ若そうだな)
その背中を見つめていると、かすかな声が聞こえた。
「お前、どうした。飛べなくなったのか?」
話し相手は――蝶だった。
「すぐに飛べるようにしてあげるからね」
青年がそっと手をかざす。
ふわり、と淡い光が舞い上がった。
次の瞬間、蝶は軽やかに羽ばたき、空へと舞い上がる。
「よかった」
安堵したように微笑む横顔。
(……今の、魔法?)
リリアーナは歩み寄った。
「あの――」
青年はびくりと肩を震わせ、恐る恐る振り返る。
「あなたは……」
「私はリリアーナ。さっきの、魔法?」
青年は青ざめ、慌てて姿勢を正した。
「リリアーナ様!失礼しました。私は庭を任されております、ルシアン・ヴァルディエと申します」
深く一礼する。額に汗が滲んでいる。
(ビックリさせちゃったみたい……)
「そんなに畏まらなくても大丈夫よ。それより、今のは魔法よね?」
「い、いえ……私はただの庭師です。魔法など使えるはずがありません」
「でも、手から光が出ていたわよ」
「薬剤を塗っていただけです。病気の箇所に……」
(……なんで嘘を言うんだろう)
大量の汗。
さらに小さく身体を丸める。
焦り方があからさまだった。
リリアーナはふと、彼の頭上に浮かぶ小さな三角形のボタンに気づく。
(これってまさか……)
そっと押す。
――レベル 36
体力 6
剣 3
魔法 1200
(やっぱり……!)
思わず息を呑む。
魔法が1200。
この世界の魔法スキル上限は1000のはずだ。
(見たことない数字……)
それ以上に違和感なのは、レベルの低さだ。
魔法は規格外なのに、総合レベルは36。
体力も剣も、六歳の自分と大差ない。
(足を引っ張っているのはそこ……?)
けれど――
(それにしても、魔法スキルが凄すぎるのよ!)
「……あの、お嬢様?」
不安そうに見上げるルシアン。
リリアーナは一歩近づいた。
「ルシアン。私に魔法を教えて」
「……は?」
「あなたに習いたいの」
「えぇぇ――!?」
静かなバラ園に、庭師の絶叫が響き渡った。




