エース・日比野莉子
よしっ!日比野!自己ベスト更新したぞ!よくやったな!」
そう言いながら、陸上部の顧問である武田先生は、莉子の頭をガシガシとをかき回した。
大柄で筋肉質、いかにも体育会系で、熱血指導でも有名な先生だ。
「ホントですか!これで県大会一位狙えますかね?」
額の汗を拭いながら莉子は息を弾ませて言った。
「県大会どころか、全国も狙えるぞ!俺の指導の賜物だな」
「いやいや、私の実力ですから」
「コイツ!」
武田先生は、もう一度再度莉子の頭をかきまわす。
「もうっ!やめてくださいよ!女子にこんな扱い、セクハラになりますよ!」
「おおっと、そうだな。お前も一応女だったな」
笑いながら言う先生に、莉子は頬を膨らませた。
「もう!ひどいですよ!」
「ガハハ。すまんすまん」
日比野莉子。十五歳。
受験を控えた中学三年生だ。
とにかく身体を動かすことが好きで、放課後はいつも部活動に励んでいた。
身長百五十二センチと小柄で細身。日々の練習で、肌はこんがりと日焼けしていた。
男子からはゴボウみたいだと、よくからかわれる。
(身長だってこれから伸びるかもしれない。胸だって、まだまだ成長途中なんだから……)
「リコー!今度の土曜日バスケの大会あるから出てほしの。お願い!」
近くで練習をしていた同じクラスのバスケット部の部長、谷口が、両手を合わせて莉子に頼み込んだ。
その声に反応するように、ハンドボールの部長、山本が駆け寄ってくる。
「ちょっと!私が先にお願いしようとしてたのに、割り込まないでよ!」
「は?先にってまだしてないならこっちが先でしょ?こっちは県大会への切符がかかってるの。大事な試合なんだから!」
「私たちだって次の大会には、あの因縁の梅田高が来るの!リコの力がどうしても必要なの!」
「どうせ毎年負けてるじゃん。リコが行くまでもないって」
「ちょっと!」
バスケットボール部、部長の谷口とハンドボール部部長の山本が、莉子を挟むようにして睨み合う。
「まぁまぁ……2人とも落ちついて」
間に挟まれた莉子は、苦笑いを浮かべながら、2人をなだめるしかなかった。
「おい、コラ!日比野は陸上部の大事なエースだぞ。毎回他の部を掛け持ちさせて本業が疎かになっては困る。こっちは県大会に向けた大事な試合が迫ってるんだからな!」
谷口と山本はお互い顔を見合わせながら、はっとしたように莉子を見た。
「リコ、ごめん。私たち自分のことしか考えてなかった」
「私も……大事な時期なのに、ごめんね」
申し訳なさそうに頭を下げる二人の姿に、莉子は慌てて首を振った。
「武田先生!陸上部の次の試合はまだ一ヶ月以上先ですよね。今回はいいじゃないですか。二人も困ってるみたいですし」
莉子の言葉に二人はホッとした表情を浮かべ、今度は陸上部の顧問である武田先生をじっと見つめた。
武田は困ったように頭を搔き、しばらく唸ったあと、観念したように言った。
「……今回だけだぞ。日比野はうちのエースなんだからな」
「ありがとうございます!先生!」
「ありがとうございます!」
二人の感謝の言葉を聞きながら莉子は思った。
(今回だけってもう何回目だろう。結局先生も甘いもんなぁ……)
武田は熱血指導で有名な教師だが、情に弱いことでも有名だった。
だから「今回だけ」じゃない。莉子は今までも、度々ピンチヒッターとして複数の部活をかけ持ちしてきた。
もちろん陸上部がメインだが、ずば抜けた運動神経の良さから、他の部でも頼りにされていた。
それを莉子自身も悪い気はしていなかった。
身体を動かすことが大好きな莉子にとって、必要とされることも、全力で身体を動かすことも、とても大きな充実感だった。
谷口と山本、二人の話を聞いた結果、当校で行われる試合の時間がずれていることが分かったので、午前中は谷口のバスケット部、午後からは山本のハンドボール部に助っ人に行くことにした。
(さすがに一日に二試合、しかも別の球技の試合をやるのは大変かも。だけどワクワクするんだよね)
身体を動かすと気分がスッキリするし、何より楽しい。こんな調子で莉子は様々な部活を掛け持ちしていた。
――――――――――――――――――
(うーん。すっかり日が暮れちゃった)
十八時三十分。
八月下旬。日が落ちるのが少しずつ早くなってきた頃。
莉子は同じ陸上部で同級生、香織と並んで帰り道を歩いていた。
「リコ、すごいね!どんどん自己ベスト更新してるじゃん。先生も全国も狙えるって言ってたし。あぁ~どんどんリコとの差が開いていくー」
「へへ。だって休みの日もずっと練習してたもん」
実際、莉子は早朝、そして時間があれば夜も走り込んでいた。
日曜日で部活が休みの時も、ゲームをする時間以外は、ほとんどを練習にあてていた。
「ほんとリコは運動好きだよね。私は休みの日は無理。休ませて~って感じだもん」
「あはは。私は逆に動いてないほうが無理かな。身体動かしたくてウズウスするもん」
「リコは運動バカだよね」
「ちょっと!バカって何よ!」
二人で笑い合いながら歩く。
――いつからだろう。
物心ついた時から、とにかくよく動き回る子供だった。
学校までの行き帰りも、意味無く走っていたし、友達とかけっこするのも好きだった。
体育の授業が大好きで、休み時間は外に出て、ドッチボールやサッカーをしたり。とにかくじっとしていられない子供だった。
「弟いるよね?智くんだっけ?」
「うん、六つ下」
「智くんは大人しいのに、なんでリコはこんなに落ち着きないの?」
「知るか!」
莉子は舌を出して、あっかんべーと子供みたいに笑ってみせた。
莉子には六つ歳が離れた弟がいる。
日比野智、9歳。
父と母と、弟の智と四人家族。家族仲はとてもよかった。
ただ、弟の智はやや引っ込み思案な所があり、姉である莉子は、そんな弟の事が可愛くもありながら心配でもあり、気にかけていた。
いつも後ろに隠れてる、たった1人の可愛い弟。
べったり甘えてついてくるその姿が、莉子は可愛くて仕方なかった。
莉子と香織。日が落ち始める中、たわいも無い話をしながらいつもの通学路を並んで歩いた。
その時……。
――チリン。
小さな音がした。
振り返ると、少し後ろに幼い男の子と母親が並んで歩いている。
智と同じくらいの背格好の男の子。
その胸元にはサッカーボール。
(智と同じくらいの年齢かな……)
次の瞬間。
「あ……」
ボールが手を滑り、車道へ転がった。
男の子は迷いなく、ボールを追って飛び出す。
直後、こちらに向かってくる車のクラクション。
そして悲鳴。
――危ない!!
考えるより先に、身体が動いていた。
男の子へ向かって走り出す。
「リコ!!」
香織の叫ぶ声。
迫る車。
ドン――
気づいた時、莉子は地面に倒れていた。
視界が赤く滲む。
泣き叫ぶ男の子。
(よかった……無事だ……)
ホッとしたのと同時に、段々と意識が遠のいていく。
(私…死ぬのかな……)
まだ中学生なのに。大会も出ていないのに。
何もかもこれからだったのに、私の人生、これでお終いなの。
莉子は深い闇へと沈んでいった。




