4.バリーの検問所
「ニファ、そろそろ街が見えるぞ」
ガタンと乗り合い馬車が揺れて、少しうたた寝をしていたらしいとハッとして顔を上げる。そして、そっとシズが寄りかからせてくれたらしい場所をチラッと見て安心する。
そりゃあ、もしシズさんの服に涎でも付いていたら……流石に泣きそうであるからして。
「ありがとう」と、遠くをみるシズの目線を追ったニファの視界にはごったに積まれたような建物の山と、不自然なほどに残された緑が調和する街が映る。確かにそれは兄のアルトの待つ私の生まれ故郷で、そして今の私たちの拠点でもある街、バリーの1週間ぶりの景色であった。
♢ ♢ ♢
バリーは大陸の中では北東にある街だ。
街道を挟んだ先にある港町や山岳地帯の村などの行き来があり、王都へもそう遠くはない。そんなどこかへ向かう誰かの休息地がバリーという街である。
バリーは隣り合う街が多いという特性から交易や交流も盛んな文化の中間地点であるので、やはりそこそこに人の出入りも多い。
つまり、乗り合い馬車を降りた後の門の検問はこの辺の街の中では一番の混雑率かもしれなかった。
「いらっしゃい!並びながらこの街特産のジュースはどうだい?」
「朝飯は食べたかい?向こうの街から運ばれてきたばかりの新鮮な肉のサンドイッチだよ」
「そこの旦那、奥さんへの土産を忘れてやしないかい?向こうの鉱山で採れたばかりの鉱石だ、見てってよ」
人が集まれば、商人もたくましい。そりゃあこうして店もやってくるという訳で、より一層の混雑になるのがこの街の門である。
門への列にシズと並びながらニファは少し考えた。
考えて、ちょっと渋り、それから、少し息を吸った。
「……シズさん、その」
「どした、ニファ」
人混みの中なので、少しだけつま先立ちで耳元に近くなるようにシズに話す。
「……今回は、掴まっててもいいですか」
前回はニファはここで人に流された。この検問所もずっと混雑している訳ではなく、開門後のこの時間だからこその人混みではあるのだが、前回の早朝の検問所でちょっとしたトラブルが発生した。その時、パニックとなった人の流れに飛ばされて逸れるという経験を得たニファは、ここで逸れたら合流が大変と、身に染みて理解をさせられてしまった。
今度は同じことにならないように、シズに迷惑かけないようにしたい。あと、少し怖かった。
そんなちょっと箱入りなところがあるニファの今できる最善はきっとこれに違いないと。シズにお願いをしたのであった。
「ん、そうだな。ほら」
ちょっとした決意を持ったニファと裏腹に「ああなるほど」とばかりに、シズは心得た顔つきでこちらへ手を差し伸べる。
服の裾とか、肘とかを脳裏に浮かべていたニファは何の下心もない優しさで差し伸べられた手に一瞬硬直した。「あれ、思ってたのと違う…!」そう思ったが、ずっと固まりすぎていてもまた変だろう。ぎこちなくだがその手を取ると、「んー、ちょっと違うな、こうか」と改めてしっかりと繋ぎ直される。
先日のように絡むような形でこそないが、ニファの左手はしっかりとシズと繋がれた。それだけでちょっとお腹がいっぱいとニファはむず痒かった。それでもニファがなんとか上がろうとする口角を宥めて格闘していると、ふわりと、シズの香りに包み込まれた。
「え?」
パチクリと目を瞬かせるがなんてことない、シズがニファの体を引き寄せたのである。
あれ、その、思ったのと違う…!
ニファは3テンポ遅れの中、また心で叫んだ。
人混みで逸れないよう、裾を掴ませてもらうだけのつもりが一体…!?ええと、その、手を繋いでもらえたらそれだけでよかったんですけれど…!!
そう、いわば花火大会で人も多いし裾を掴んでもいいですか?程度の提案をしたつもりが、なるほど、通学中の満員電車で人の圧から庇ってくれる彼氏みたいなことになっているのである。
確かにそこそこに人も多く、列の進みも悪い中であるので、そんなにパタパタと歩みを進める訳でもない。とはいえ、圧倒的な衆目環境とそして、この距離の近さである。流石に、流石にちょっと恥ずかしくなかろうか。なんとか少し距離を取ろうと提案しようとして口を開いた。
「これなら、前みたいに何かトラブルで人の流れができちまっても庇えるし、逸れないだろ?」
いい判断とばかりに前を向いたままニファを離さないシズに、一瞬で茹で上がっている脳内ではなす術はなく、開いた口は反論一つせず「そ、う、かも…?」としか発言しない。
全く、なんとも使えない口である。
近すぎる距離をどうにもできないままに、跳ねる心臓がなるべく荒ぶらないように、聞こえることがないようにと……ニファはもう、震えて祈ることしかできないのであった。
──ちなみに、そんなニファの懐では、兄から渡されて大切に持っているように言われたハズのレアアイテム“商業用特別通行証”が、本当に大切にただただ持たれすぎて日の目を見ることがなく忘れ去られて泣いていたという。